その方から学ぶこと
お坊さまがヘイトスピーチをしたことで世間はワアワア言っているけど
ヘイトスピーチするほとんどがお坊さま以外の方々であり
ヘイトスピーチは決して良くないものだけど
そのことをそのお坊さまが私たちに気付かせてくれたのだから
そちらの方が大切であり取り上げられるべき事柄なはず
言ってはいないし書いてもいけない
けど思ってもいけない
けど一度も人を悪く言ったり蔑んだりしたことのない
そんなピュアな人なんていないはず
そもそも人がピュアな訳ないのだから
ヘイトスピーチしたお坊さまから学ぶことはたくさんある
バカにしたり見下すなんてとんでもない
ただお坊さまだって人間なのだから
間違うこともあるし
批判されるべき時もある
人を羨んだり憎んだりしても
ただただ言葉にしてないだけ
言ってないだけ書いてないだけ
そういう真に仏さまのような人がいるなら
それこそ仏さまであり
人間ではない
どんなかたちでもいい
どんな捉え方でもいい
今一度自らを見直し
正し
いかに生きていくかを見直す
良い機会と捉えて
これからやり直していく
そのお坊さまと自分自身とを
どちらも見守っていきたいものである
私も人間なので
正しいことを言えるとは思えないけど
私は今回のお坊さまからは
学ぶべきことがたくさんあったと信じる
もし私が同じような過ちをおかしたなら
やはり裁くだけでなく教訓としてもらいたい
ところで今回批判ばかりされている方々
あなたたちはそんなに美しい心を持って生きていると言えますか?
そんなに美しい人間なのでしょうか?
自らを見つめ直し考え直す機会とは思えませんか?
そのお坊さまは誰かを特定しようとネット上を奔走されている方々
あなたたちがしていることは
全然美しくないですよ
怒りに満ち溢れるほどに
どんどん心が荒んでいっていることに
そろそろ気づきましょう
ヘイトスピーチしたお坊さまを
批判するか
学び考え直す機会とするか
どちらをあなたは選びますか?
お坊さま方へ
やはり人間は人間です
お坊さまも人間だってことを
忘れている?気づけない?人たちに
いかにお坊さまが人間であり
今回のことで何を学ぶ機会としたらいいのか
私や皆さまに教えていただけると有り難いです
・仕事は資格より素質 ・鬱になろうが5才児ぐらい好奇心旺盛 ・順風満帆な人生より七転び八起きぐらいの人生がちょうどいい
職場で久しぶりに再会した人に「やっぱり~!」と言われることが苦痛
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
人としてどうするか
拝読させて頂きました。
あなたのおっしゃるとおり僧侶も人間です。
ですから心の中に貪りや怒りや愚かな心があります。
それが言葉になって出てくるか、心の中だけでとどまっているか見た目に違いはありますが、仏様は全てお見通しだと思います。
私達の心の中のその様な悪をしっかりとご覧になっています。
ですからそのような悪意を自分が持ったことにも仏様に深く懺悔していくことが大切です。
正直人からそのような報道があったことは伺いましたが詳細にはわかりません。
僧侶としてというよりは人として人を見下しおとしめ偏見や差別するような思いを抱くこと、そしてその思いをそのまま言葉に出して人を威嚇したり傷つけたり恐怖に陥れたりすることは悪です。悪業ですつまり罪です。
改めて僧侶として人としてどのように考え言葉にして行動していくことが善いことかを見つめ直してみることが必要かと思います。
悪意や悪業には苦しみ恐れや不幸がもたらされ
善意や善業には楽しみや喜びや幸せがもたらされますからね。
あなたのお考えも参考にさせて頂きます。ありがとうございます。合掌
再度拝読させて頂きました。改めて我が身のことを振り返る機会としていきたいですね。初心に戻って仏様の前で見つめなおしていきたいですね。
質問者からのお礼
Kousyo Kuuyo Azuma様、お久しぶりです。
お返事ありがとうございます。
最近、「人間とは?」と考えさせられる事がたくさんあり、たまたま、そのようなニュースがあったことも知りました。
私も詳しいことは、分からないです。一般的に報道されている内容ぐらいしか知りません。
ただ、どこのお寺の、どのお坊さまが発したヘイトスピーチかを、単なる興味本意で、ネット上で「犯人探し」のようなことを楽しむ(報道の関係者等でない)一般人がいることに対して、何故、あなたたちがそんな事しているのですか?あなたたちは真に美しい心の持ち主と言える人たちなのですか?と、ふとした疑問が浮かんだので、質問させていただきました。
難しい…ですね。
でも…それを教訓にしないと、せっかく人が目指すべき道を照らしてくれた、この機会が無駄に終わってしまう、と思いました。
人間は人間なので、気付いたなら、気付いた時には、最低でも「反省」することが必要なのではないかと。
他人の心も、自分の心も、ちゃんと等しく、ちゃんと見据えられる人になれたらいいなと考えさせられたニュースでした。