「理解する」とはどういうことか?回答受付中
いつもご回答ありがとうございます。
漠然とした質問なのですが、「理解する」とはどういうことでしょうか?仕事や日常の中で、自分が何かを理解しているかどうか、と考えることが多いのですが、そもそも、その「理解」って一体何だろう、と最近とても気になっており、質問させていただきました。
私は文学を研究しており、大学でも授業を担当しているのですが、自分が研究するうえでよく、「自分はこの作者の真意が理解できているだろうか」とか考えますし、学生が出してくれたレポート対して、偉そうに「あなたは、まだ○○に対する理解が浅いですね」とコメントしたりすることがあります。でも、そういうふうに言っている自分は本当は何を理解しているんだろうか・・・と考えると、自分は何もわかってなくて、本当のバカは自分ではないか?と思ったりします。
世の中には色々なエキスパートがいます。私も、学会に所属していて、この分野では著名な先生方の研究発表を聞いたりすることがあります。その人たちは、自分の専門分野の話題については、ペラペラと饒舌に喋るのですが、時々、「この人たちって、本当に自分が話していることを理解しているんだろうか?知識があるだけでは?」と思ってしまうことがあります。
今の自分に一つ言えることは、何かを本当に理解するというのは、ただ知識があったり、理屈がわかったり、理論を使いこなせたりすることではないだろう、ということだけです。
お坊さんは経典を読んだり、仏教に関する理論を勉強したり、こうしてハスノハで私たちの悩みに回答して下さっています。お坊さんが何かを「理解した!」と思うのは、どういう時ですか?どういう状態が、「理解している」と言えますか?
差し迫った質問ではないのですが、ぜひ色々なご意見をお聞かせいただけると幸いです。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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使える時
おじゃる丸さん、お久しぶりです、また興味深い質問を…。「時はいつから始まったのですか?」的な。
多分、辞書的なことではなく、体験を集めたいのだろうと思って、私なりの体験(言い換え)を書きますね。
①人を理解するとか
まず、私は「人を理解する、した」というのは不可能と考えています。だって他人だから。「私はやさしいよ」と言われて、「やさしいんだね」と言葉では理解する…「自分のことを優しいと思ってるんだ」ということは理解します。
ただ、「だから俺を傷つけないはず」とかには至らない。本当は腹黒いんだろうとも思わない。僕なりの「やさしい人が取るであろう行動」も期待しない。
◯これは、「知識があるだけ」でもあります、が「こちらの価値観を押し付けない」誠実さでもあると考えています。
②言葉とか概念を理解する
こちらは、「自分なりに使える状態になった=理解した」と言えそうです。言葉を他の言葉に置き換えたり、説明しなおせる。具体的と抽象的のレベルを行き来できる。そうなった時に(言葉が孤立していない状態で捉えられるようになった時)は、理解したと認識しています。
◯これと、「理論を使いこなす」は別物ですか?一部でも含まれるものですか?
③作者の真意、という不確かなもの
政治家の言葉や教科書の文章であれば「作者の真意」はしっかり受け止めなきゃいけませんよね。「日本海側は冬に雪が多いという知識を持って欲しい」とか。でも文学の場合、作者の真意って、そんなに明確なものでしょうか?全て言語化できるものでしょうか?
はたまた、「作者」といえば表現方法は様々です。音楽や絵画の「作者の真意」はどうなるのでしょう。
◯そろそろ「理解する」という言葉が一人ではいられない、対象を想定しなければ議論できないことにお気づきでしょうか?
④あなたの問い(迷い)は、「本当の」を探そうとしていることです。つまり、他に代替されない概念を。私はむしろ、そこに興味があります、なぜあなたは「代替されないこと」を求めているのか、と。


