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「理解する」とはどういうことか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 16

いつもご回答ありがとうございます。
漠然とした質問なのですが、「理解する」とはどういうことでしょうか?仕事や日常の中で、自分が何かを理解しているかどうか、と考えることが多いのですが、そもそも、その「理解」って一体何だろう、と最近とても気になっており、質問させていただきました。

私は文学を研究しており、大学でも授業を担当しているのですが、自分が研究するうえでよく、「自分はこの作者の真意が理解できているだろうか」とか考えますし、学生が出してくれたレポート対して、偉そうに「あなたは、まだ○○に対する理解が浅いですね」とコメントしたりすることがあります。でも、そういうふうに言っている自分は本当は何を理解しているんだろうか・・・と考えると、自分は何もわかってなくて、本当のバカは自分ではないか?と思ったりします。

世の中には色々なエキスパートがいます。私も、学会に所属していて、この分野では著名な先生方の研究発表を聞いたりすることがあります。その人たちは、自分の専門分野の話題については、ペラペラと饒舌に喋るのですが、時々、「この人たちって、本当に自分が話していることを理解しているんだろうか?知識があるだけでは?」と思ってしまうことがあります。

今の自分に一つ言えることは、何かを本当に理解するというのは、ただ知識があったり、理屈がわかったり、理論を使いこなせたりすることではないだろう、ということだけです。

お坊さんは経典を読んだり、仏教に関する理論を勉強したり、こうしてハスノハで私たちの悩みに回答して下さっています。お坊さんが何かを「理解した!」と思うのは、どういう時ですか?どういう状態が、「理解している」と言えますか?

差し迫った質問ではないのですが、ぜひ色々なご意見をお聞かせいただけると幸いです。

2026年3月14日 20:11
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お坊さんにも理解できない教えがあります

(編集部より。投稿の一部を変更しています)

興味深い質問をありがとうございます。
お坊さんなら仏教の教えをすべて理解しているだろうと思われるかもしれませんが、それは大間違いです。
仏教を学びながら、今日はここまで理解できた、ここのところはまだ理解できないと反省し続ける毎日です。
この場合の「理解する」というのは「腑に落ちる」という表現が一番合っているように思われます。
仏教の基本的な教えの一つに「十二支縁起(十二縁起、十二因縁とも)」というのがあるのをご存じでしょうか。
「無明」から「老死」まで、人生の苦しみが生まれる12のプロセスを解明したものですが、恥ずかしながら、私は今も理解できません。
わかりやすく説明してくれる書物も見当たりません(実は、ほとんどの仏教徒が正確に理解できていない、という説もあります)。
私が仏教の教えを人に伝える際、十二支縁起については触れないようにしています。
何か質問されたら、答えることができないからです。
とすると、「理解する」とは「人に教えることができる」と言い換えることができるかもしれません。

2026年3月15日 9:47
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有り難し
おきもち

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使える時

 おじゃる丸さん、お久しぶりです、また興味深い質問を…。「時はいつから始まったのですか?」的な。
 多分、辞書的なことではなく、体験を集めたいのだろうと思って、私なりの体験(言い換え)を書きますね。

①人を理解するとか
 まず、私は「人を理解する、した」というのは不可能と考えています。だって他人だから。「私はやさしいよ」と言われて、「やさしいんだね」と言葉では理解する…「自分のことを優しいと思ってるんだ」ということは理解します。
 ただ、「だから俺を傷つけないはず」とかには至らない。本当は腹黒いんだろうとも思わない。僕なりの「やさしい人が取るであろう行動」も期待しない。
◯これは、「知識があるだけ」でもあります、が「こちらの価値観を押し付けない」誠実さでもあると考えています。

②言葉とか概念を理解する
 こちらは、「自分なりに使える状態になった=理解した」と言えそうです。言葉を他の言葉に置き換えたり、説明しなおせる。具体的と抽象的のレベルを行き来できる。そうなった時に(言葉が孤立していない状態で捉えられるようになった時)は、理解したと認識しています。
◯これと、「理論を使いこなす」は別物ですか?一部でも含まれるものですか?

③作者の真意、という不確かなもの
 政治家の言葉や教科書の文章であれば「作者の真意」はしっかり受け止めなきゃいけませんよね。「日本海側は冬に雪が多いという知識を持って欲しい」とか。でも文学の場合、作者の真意って、そんなに明確なものでしょうか?全て言語化できるものでしょうか?
はたまた、「作者」といえば表現方法は様々です。音楽や絵画の「作者の真意」はどうなるのでしょう。
◯そろそろ「理解する」という言葉が一人ではいられない、対象を想定しなければ議論できないことにお気づきでしょうか?

④あなたの問い(迷い)は、「本当の」を探そうとしていることです。つまり、他に代替されない概念を。私はむしろ、そこに興味があります、なぜあなたは「代替されないこと」を求めているのか、と。

(追記)
 恐らく、ですが…仏教では「理解の段階」を、「問思修」と整理しています。良かったらご参照アレ。

2026年3月14日 22:44
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

佐藤様
覚えていてくださりありがとうございます😭改名したのに笑
ご回答ありがとうございます。対象により理解の方法が異なる、一つの正しい答えだけがあるのではないというのはその通りだと思うのですが、それを受け入れたとしても、自分が何かを「理解した」という「実感」が持てないことが多いのです。作者などの真意は、その作者にしかわからない(本人にもわかってないかもしれない)ので、研究者は基本的に、色々な情報を客観的に参照したり、理論を使いながら「自分の解釈」で論じていくのですが、その際、理論を使いこなせたとしても、なんとなく、「これで私は何を理解したんだろう」という不安が残ることがあります。
すごく感覚的な話なので、それこそ「理解不能」でしたらすいません😅
ご回答を今後参考にします。ありがとうございます😊

井上様
はじめまして、このたびはご回答ありがとうございます😊
お坊さんでも、仏教の難解な部分は、日々理解を更新してるんですね。
「腑に落ちるかどうか」は、まさに私が言いたかったことです!どんなに良いとされる本を読んでも、表面的に「こういうことを言っている」と言うことはできても、その内容がスッと腑に落ちる感覚がないと、やはり自分は理解してないんじゃないか、と思うんですよね。
腑に落ちないことについては、適度に距離を取りながらも、諦めず向き合い続けたいと思いました。

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