供養の心が芽生えない
父に対して供養の心が芽生えません。
私は親が離婚するその時まで、父から虐待を受けていました。
殴る蹴るや山中への放置、海への突落しなど入院を伴うものもありましたが、いよいよ病院から通報か...という時に母が起こした離婚が成立し、晴れて自由の身になれました。15歳でした。
後に父は孤独死しましたが、骨がどこにあるかは分かりませんし、手すら合わせていません。
「強く生きろ」と暴力を振るわれながら言われ、結果病気や怪我をすれば「弱い」となじられました。
子は親を選べない為虐待云々はもう諦めています。しかし、親も子を選べないのですよね。なら、供養もしない子を持っても「強く生きてね(亡くなっていますが)」という心境です。
薄情でしょうか?
罪悪感すらありません。薄情というのも手を合わせないならバチが当たるのかな?という非常に利己的な考えからです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
じゃあ、直接どうぞ。
”薄情でしょうか?”
そんなことないよ。
”罪悪感すらありません”
そりゃあ、そうだろう。
あなたの場合は、親に感謝しろと言われても困っちゃうよね。
本来、仏教とは先祖供養が眼目ではないんだ。葬儀や年忌法要などは、先祖供養を通じて仏教に出遇い、仏・法・僧の【三宝】に帰依していくことが目的なんだ。だから、祖先に敬意を払ったり感謝の気持ちを思い起こしたりすることはそれはそれで意味のあることではあるんだけど、それ自体が目的ではないんです。
だから、あなたはダイレクトに仏教に触れてください。
親を恨んだままでもいい。あなたはあなたの人生の課題を超えていく道がありますよ。
さあ、遠慮なく凡夫直入の道を通っておいでよ。
<追記>
”実は現在妊娠中です”
それはそれは!! おめでとうございます。楽しみだなぁ〜w
"虐待を受けた私が母になるという負い目も感じて"
親子の関係が成り立ち、家庭がきちんと機能することは、まったく当たり前なんかではない、極めて有り難い、心から感謝すべき奇跡なんだという事をよく知っている他ならあなたこそが、これから日本一の団らん一家を作ればいいんだ。負い目に思うことはない。むしろ虐待の経験さえも栄養にしちゃえ!!
応援しています。拝
質問者からのお礼
恨んだままでも良いと言っていただきほっとしました。
祖父母(曹洞宗です)からは上も下も見るな、後ろも過去だ、今気を強く持ってねと励まされ生きてきました。しかしふと、供養は今の問題なのに出来ないのは私はやはり過去を捨てられないんだなと思ってしまい相談に至りました。
実は現在妊娠中です。
絶対に大切に育てるのはもちろん、虐待を受けた私が母になるという負い目も感じていましたが、子に恥じぬようこのまま凡と葛藤と共に生きていこうと思います。
ありがとうございました。