法要時、肝心な箇所を間違われたら?
初めて相談をさせて頂きます。宜しくお願いいたします。
先日親戚の四十九日法要と納骨がありましたが、その際に僧侶の方が「参列者の名前を間違えて唱える」という場面がありました。
※卒塔婆を立てる参列者の名前を読み上げていったのですが、私の家族全員が「名字」を誤って読まれました。
※私の名字は、故人が生前 結婚する前まで名乗っていた旧姓でもあります。また故人は生前私達の家に対して大きな愛情を持って接して下さいました。
※墓所と法要を行ったのは葬儀会社が運営する霊園です(今回の僧侶の方は霊園職員の方が手配。霊園と提携するお寺のようです)
亡くなる直前まで私達の家族を愛して下さった親戚。私の家族もまた故人を愛していましたし深く感謝しています。だからこそ今回「名前を間違われた」事は悔しく感じました。
法要後、思わず僧侶の方に『恐れ入りますが名前を間違われて読み上げられました。▲▲(間違った名字)ではなく、●●(正しい名字)です』と申し出てしまいました。
しかし僧侶の方は「じゃあ墓前納骨時に言い直しますから」という『軽くあしらわれた』と感じる言動を取られました。これには参列者一同唖然となりました。
今日の為に必死に準備をしてきた施主や関係者全員、そして私の家を心から愛してくれた故人の事を思うと…あの言動は非常にショッキングでした。
納骨時には正しい名字で言い直してお経を上げて下さいましたが、参列者全員わだかまりが残ってしまい非常に残念です。
実は前回、祖母の回忌法要においても同様の事件がありました(回忌数を間違われて読み上げられた)
連続して類似問題が起こり、悲しさと憤りを抱いてしまいました。
霊園職員の方には「2度連続で誤って進行された」と抗議したので次回以降はこのような事がないよう願うばかりです。
さて、このような事態を経験してしまったのでお伺いしたいのですが、法事の席で僧侶の方が名前や回忌数など「参列者にとっての重要点」を誤って進行する事はあり得る事なのでしょうか?
またこのような誤りがあった場合、参列者はどのような対応を行うのがベストですか?
そして…故人に対する供養はどうすれば良いでしょうか?今回はモヤモヤが残るような法要となってしまい…故人に申し訳ない思いがあります。
稚拙な文章で恐れ入りますが、お知恵を拝借願えますと幸いです。宜しくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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気持ちは伝わってますよ
おはようございます。
お悔やみを申し上げます。そのような事があってはモヤモヤした思いが残りますね。
名前を間違えるのは失礼な事です。私も気をつけます。
法要で読まれた名前が誤って読まれたり、何回忌かを誤って読まれたとしても、ホンモノのあなたが、亡くなった方を念じて法要をしていることは紛れもない事実ですので、供養自体は成立し、気持ちはきっと故人のところに伝わっていると思います。
寺檀関係など深いご縁があるなら、一度伝えれば直してもらえると思いますが、霊園墓地で契約僧侶とのことですので、今後も常に違うお坊さんが来る事になると思いますので、直してもらえない可能性はあると思います。霊園墓地・派遣僧侶の弊害と言えましょう。対策としては、次から提出時に名前にフリガナを振っておく・何回忌なのか大きな字で書くなどの対策を取るしかないでしょう。または可能であれば菩提のお寺を持ちそこの僧侶にお願いすることでしょう。
質問者からのお礼
光禪様
初めまして。この度は私の拙い文書をお読みくださり、また大変真摯なお答えを賜り、ありがとうございました。
実は私の家も、先日法事を行った親戚の家も曹洞宗なのです。ですから、一番最初のご回答を下さいましたのが曹洞宗の光禪様である事に嬉しさを感じました。感謝いたします。
この度は貴重な助言を頂きありがとうございました。大変勉強になりました。
霊園墓地は亡き祖父が「この景色が素晴らしいからここに墓を建てる」と十年以上前に建立しました。
※自然豊かな場所にあり、四季折々の季節を感じられる場所です。祖父は自然が大好きでしたので選んだのだと思います。
※今までにも何度も法事を行いました。それまでは何のトラブルも無かったのですが、ここ数年になってから職員の方も僧侶の方も、双方ともに対応に(細々した点ですが)不信感を抱く出来事が幾つかありました。
※…そして先日の親戚の納骨、更にその前の祖母の回忌法要にて「名前と回忌回数の間違いをしたまま進行」という、家族親戚としては『一番傷つく』対応を連続でされてしまいショックを受けて相談をさせて頂いた次第です。
光禪様の具体的な助言、大変参考になりました。先ずは用紙に記入する文字を工夫するなど、出来る事から取り組んでみようと思います。
そして…以下のお言葉に心が救われました。
『ホンモノのあなたが、亡くなった方を念じて法要をしていることは紛れもない事実ですので、供養自体は成立し、気持ちはきっと故人のところに伝わっていると思います。』
思わず涙が出ました。そして安心しました。光禪様のこちらのお言葉に心から感謝いたします。大きな心の支えとなりました。
この度はお忙しい中、私の質問に丁寧にお答え頂きまして誠にありがとうございました。「相談をお願いして良かった」とすっきりしました!深く感謝いたします。
日々季節が移ろい美しい景色を愛でられる喜びを感じつつも、立秋を過ぎて気候や体調の変化にも気をつけねばと思う頃となりました。光禪様も何卒お体ご自愛下さいませ。
この度は本当にありがとうございました!