卒業できるか不安です。
大学院の修士2年のものですが、大学院を卒業できるか不安で仕方ありません。
もし卒業できなかったら、内定取り消し、さらには留年というハンデを背負ってもう一度つらい就職活動をしなきゃいけない、と考えると、怖くて仕方ありません。さらに、留年すれば今度こそ卒業できるという確証もないことが不安を増長させます。
毎日このような不安を頭に浮かべては、不安で胸が苦しくなる一方です。
研究自体は最低限進めてきたつもりではありますが、大きな学会で発表できるような画期的なデータまではとることができていません。また、就職活動などで暫く来なかった時期もあり、もしかしたらそれに対して教授がまだ怒っていて卒業させてくれないかも、と不安になります。
実際、私のまわりで修士で留年したという話は一切聞いたことがないのですが、私の所属する研究科は最近できたばかりのところですので、もしかしたら基準などが厳しくなっているかも?などと万が一のことをと考えてしまいます。
教授にも、どこまで研究を進めたら卒業条件を満たせるか相談したい、という旨のメールを持ちかけたのですが、○○まで進めたらよい、と一言しか返事が返ってこず、本当にそれだけで卒業できるのか、もしかしたら本当は卒業させる気がなく、適当なことを行ってるのではないかと疑心暗鬼になってしまいます。
余談ですが、私の研究科は本来5年制で、5年間かけて博士号をとるような制度になっているのですが、私が入学した年度から、2年間在学すれば修士号も取得できるようにシステムが改正されました。(これはおそらく、本研究科に入学するひとが少なすぎるため、入学者を増やすための苦肉の策だったのだと思います。)それを機に、私は2年だけ在学して修士号をとるつもりで本研究科に入学しました。2年だけ在学して修士号をとることについては、事前に教授に伝えてあります。伝えてはいるのですが、その私の所属する研究科は、先ほど述べた通り人が少ないため、教授的にはもしかしたら2年で卒業してほしくないのではないか、と不安になってしまいます。
拙い文章で申し訳ございません。
どうか不安で頭がいっぱいになっている私に、不安と戦うすべを教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
教授があなたをわざわざ卒業できないようにする、なんてありえないでしょう。そんな事をしたって、教授にとって何の得にもなりません。教授の評価が下がるだけです。おかしな妄想はせずに、教授のアドバイスにしっかり向き合い、やるべきことをきちんとやるようにしましょう。
どこの誰がみても「〇〇まで進んだ」という成果を作ることです
私も文系ですが修士(博士前期)課程を修了した者です。ですので、お気持ちは多少なりとも判るつもりでお答えします。
期限が迫ってくると心配のあまり自分から不安材料を色々探し回ってしまうものです。特に大学院の勉強は、あらかじめどこかにある正解に辿り着けばゴールというものではないので、自分の手持ちの成果で果たして十分なのかどうか、だれも保証してくれません。どこかに重大な欠陥があるのではないか、思わぬ落とし穴があるのではないかと、どんどん気持ちが追い詰められていきます。
実は、こうした心理状態そのものは悪いわけではありません。大学院の勉強は、自分の研究テーマについて、できるだけ精緻に説得力ある結論を出す方法と能力を身につけることが目的ですから、「欠陥」や「落とし穴」に注意をはらう姿勢は当然のことです。
ですから、もし「欠陥」や「落とし穴」になりそうな材料が見つかったなら、それを回避したりリカバリする方法を考え実践することです。
指導してくださる先生から「○○まで進めたらよい」というお言葉を頂いてるのであれば、それを指針として、どこの誰が見ても確かに「〇〇まで進んでいる」と納得してもらえるような成果を作れば良いのです。そのために期限まで傾注するのが、取り得る唯一の方法です。
あらゆるものごとは原因によって結果が生じます。私たちは「結果」そのものを都合よく操作することはできませんが、「原因」の状態についてはある程度、対処し働きかけることができます。未来の「結果」についてあれこれ妄想を膨らませて悩むよりも、今、「原因」となる諸条件に働きかけ、自分の望む方向へ振り向けていく方が合理的です。
蛇足ながら、どのような学問領域であれ修士レベルの研究で「画期的なデータ」等を求められることはまずありません。それよりも研究のための正確な方法と遂行能力の習得が評価の重点となるはずですから、心配せずに全力で今現在の課題に取り組めば良いだけです。
【追伸】
>でも毎日不安で胸が苦しいのです。
>どうにかならないでしょうか。
不安であるということは、逆に言えば「ある程度の見通しがある」ということを意味します。本当に無知無自覚であれば不安は生じません。どのような場合であれ何事かを為すには心の葛藤=不安を避けることはできません。不安は不安として、それに拘泥しないことが必要だと思います。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
でも毎日不安で胸が苦しいのです。
どうにかならないでしょうか。