自分の幸せがある人物に流れていく
自分の不幸と同時に幸せになる親戚がいます。
まず彼女が結婚してからすぐ、私の父に末期癌が見つかりました。その後彼女の父(伯父)に初期の癌が見つかり、そちらはほぼ完治しました。私の父は亡くなりました。
そして父の死後しばらくし子供が出来たのを喜んだのもつかの間その子は死産となってしまい、その後すぐに彼女が妊娠しました。
彼女が結婚してからうちには悪いことばかりが続いています。偶然だと思うようにはしているのですが、タイミング的にどうしても私が得るはずだった幸せがすべて彼女に流れていったのではないかと、憎しみさえ感じてしまうのです。
祖父と孫と一緒に出掛けるという私の夢は叶いませんでした。そしてこれからも一生叶うことはないです。彼女は今も祖父と孫を遊ばせたり、楽しく暮らしているのです。
自分の幸せが近しい人間に流れて行くことはただの偶然なのでしょうか?何かの因果でしょうか?もし防げるのならこれ以上奪われるのは嫌なのです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
比較するのは煩悩。「喜」は修行。
まず、死なない人はいません。
その親戚がどんな幸せな人生だろうと、どうせ最後は死んで骨になるのです、
他人のあなたが気にする必要はありません。
自分と他人を比較したくなるのは、煩悩(悩みを増やす悪の心)です。
さらに、他人の幸せを妬むのも煩悩です。
人間は、自分と共通点がある人に対して嫉妬しやすいのです。自分とかけ離れたスーパースターや王族などには嫉妬しないのです。
で、仏教では、嫉妬とは反対に、「喜(き)」の心を増やしましょうと言います。
「喜」とは、他人の幸せを見て自分も喜ぶ心です。
お父さんは亡くなったが親戚のおじさんは治療に成功したとかいう場合、それを喜んだ方が、あなたは幸せな気分になれます。
親戚の中に幸せな人がいるのは、あなたにとって喜べるチャンス、人生に喜びの彩りをもらえるチャンスです。
だから、親戚の幸せに便乗して一緒に喜んだりホッとしたりしてください。
それが仏教の「喜」の修行です。
仏教の修行は、幸せを感じやすい性格になるためのトレーニングです。
幸せになりたいなら、他人の幸せを喜べる人を目指しましょう。
だって、幸せな他人は街にいくらでもいますから。
それを見て自分もハッピーになれるならば、一生ハッピーに暮らせますよね。