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死は、すべての人に平等でしょうか

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有り難し有り難し 10

お金持ちも偉い人も、そうでな人も、死んでしまえば平等だと仏教は解いていますが、ほんとうにそうなんでしょうか? わたしの父方の遠い親戚は、99歳で会社の会長だったお爺さんが亡くなったさいに、マスコミが来るのを避けるため家族だけの密葬をし、その後、高級ホテルで2000人もの人を集めてお別れ会をしました。香典も花もお供えもすべて辞退されました。
対して、うちの夫方のおじいちゃんも同時期に亡くなりましたが、無年金、無保険だったため、夫とおばあちゃんが自腹を切って葬儀代を出し、通夜と葬式の家族葬をしましたが、お金がなかったため、香典も花もお供えもいただき、その代わり、お返しが大変大変でした。それでも100万近くは足が出て、その分は貯金から出しました。
死は平等だという言葉は、そういう意味ではないと頭ではわかっていますが、
会社を立ち上げ成功し、会長になった父方の親戚と、お金がなくて自分の墓すら買えない夫方の親とではひどく差があるように感じられ、悲しくなって涙が出てきてしまいます。

2019年10月26日 6:55

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親子の恩

 本題と少しずれるかもしれませんが、一つ気になることがあります。

 本人の貯えが少なく、子供や配偶者が本人の葬儀を持ち出しで行うことは、子供や配偶者として当たり前のことだと思います。自分の死や葬儀に対して、自分ではどうにもできなくて、縁者がやるかやらないか、どのようにやるかと苦労するのが、自然のことです。子供なら、人間に生まれさせてくれた親に対する孝行の一つなので、小さくてもきちんとお別れするのはよいことです。配偶者は、契約の関係ですから、信頼度に基づいてやればよいでしょう。
 死にゆく本人にたまたま財産があれば、それを使って葬儀しても良いのですが、子供の親孝行の機会はその分減ってしまいます。

 本題です。
 死ぬという現象は、生きるという現象と同じで、万民共通です。誰もが必死に瞬間瞬間生きていて、身体がもたなくなると死にます。その生命現象は誰にも同じです。
 しかし、どのように生きるか、どのように死ぬか、そして、どのように新たに生まれ変わるか、それは各生命ごとに千差万別です。善行為や悪行為が善業や悪業として心を作り突き動かし、次の自分を作っていくので、生きて死ぬという現象はみんな同じですが、それ以外の「生き方」は、人それぞれなのです。死後に生まれ変わってどこかに生きるその生き方も、人それぞれです。

 会社で成功して死ぬときになってもお金がまだある生き方は、その面では成功です。配偶者や子供に葬式の面倒を見てもらうのは、それに比べると成功していないように見えるかもしれません。しかし、心の中身は、心に溜まった業は、どんなものなのか、傍からは分かりませんよ。

 死者を見送る、葬儀をする、これらは遺された者の善行為なのですが、金銭面や時間や運営などの苦労と別に、心でどれだけ死者に感謝し死者の出立をお祝いしてあげられるか、こちらの心の持ちようで、善行為の大きさが変わってきます。業は心ですから、善業か悪業かは心によって変わるのです。

 今からでも遅くありません。夫や義母に対して、義父の葬儀をお二人がしっかり行ってあげたことを、素晴らしいことをしたのだとほめてあげましょう。せっかく善行為をしたのですから、誰かと比べて、しかも表面的なことを比べて、その善業を減らさないように、むしろ、業の意味を知って、善業を増やせるように、心で頑張ってください。

2019年10月26日 8:35
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

質問者からのお礼

会長は、お金の苦労はありませんでしたが、葬儀を、マスコミに知られないようにこっそりとしかできませんでした。お金はたくさんあり、地位にも名声にも恵まれ、また、檀家になっているお寺を全額会長が負担し、新しく建て直したりもしていました。金持ち喧嘩せずとはこういうことかと、はたからうらやましく思っておりましたが、プライベートがなかったですね。それにたいして、うちの義理の父は、お金はありませんでしたが、自分の家族に看取られ、通夜も葬式も、本当に愛してくれる人たちとゆっくりと過ごすことができていました。夫が喪主をやっているときに、生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうと言っていましたが、葬儀とは感謝の気持ちで送り出す式だったんですね。今は、嫁ぎ先が生まれ育った家と違って貧しくて、ほかの人をうらやましがってばかりの煩悩の塊のわたしですが、がんばって健康と若さを保って、懸命に働いてちょこっとでもお金を子供のために残してやりたいと決意できました。

「死について」問答一覧

親戚の葬式後のメンタル

今日、祖父の姉の葬式がありました。 離れたところに住んでおり最後に会ってから10年近く経っていますが、小さい頃遊んでもらってお世話になった人なので、最後の機会だと思い向かいました。 棺に花を入れる時や火葬では涙が出そうになりましたが、悲しいよりも、もらい泣き、雰囲気につられているだけだと思いました。 ところが葬式が終わり、帰ってきてから夜。 もし自分の子供が死んでしまったら… もし夫が死んでしまったら… と考えると涙が止まりません。 事故、事件など最悪の可能性を想像してしまいます。 少しですが、自分も死んだらどうなる?と子供みたいな事を考えてしまいます。 1度考え出すと止まらず心がぐちゃぐちゃです。 葬式に行かなければよかったとすら思います。 こんなに心がボロボロになるなら、もっと近い人の死で自分がどうなってしまうか怖いのです。 その人がいなくなって悲しいのに加え、お見送りをした後も、こんなにも怯えなくてはならないのでしょうか。 こう考えてしまうのは普通ですか? 亡くなった人だけの事を考えないのは薄情ですか? 検索しても、近しい人の死後のメンタルを労る記述があっても、私とは違い相談できるのがここしかありませんでした。 今後あるであろう死の度、これではとても心が持たないと思い どう思えば前向きに見送ることができるのか、 大きすぎる不安を感じなくていいのか 教えていただきたいです。

有り難し有り難し 7
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自殺の身勝手さ。第三者を巻き込む死

私の大切な家族が自殺の第一発見者になりました。会社で、恨みつらみを書いた遺書がありました。トラウマになりました。会社に行くたびに思い出すだろうし、顔が頭から離れないみたいです。私は、亡くなった人を悪く言うのはいけないとわかっていても許せません。 そんなに恨みがあるなら生きて戦えばいいし、それが無理なら社長の前で死ねばいい。その死をもって何か変わると思ったのかもしれませんが、変わらないし逆恨みらしいです。そんな風に恨みながら死んでいった人を、恐怖の中で懸命に救おうとした家族の気持ちを考えると、怒りが込み上げてきて、私の方が恨んでいます。きっとつらくて当人にしかわからない苦しみがあって自殺に至ったので、 責めるのもおかしいですよ。でも、これからってときなんです。もしこの先、PTSDになったり精神が病んでしまったら、誰も責任はとれません。ハスノハでも自殺したいという書き込みを見ます。 死にたいなら黙って人目につかず死んでください。私は大切な恩師を亡くしました。最後まで生きることを願い、余命との恐怖の中でも諦めず、死と正面から向き合いながら必死で生きることを教えていただきました。だからこそ、自殺したいとか自殺した人を軽蔑します。人それぞれの人生ですから、生きられない人の分まで生きろとか思いません。関係ないですから。でも、死ぬならどうぞ人目につかないところでお願いします迷惑です。自殺するということは、それを発見する人が必ずいる。その人の家庭を追い込み、その人自身が病んで病気になったり、最悪自殺することもあり得るかもしれない。自分勝手に一人で死んだつもりでも、誰かを巻き込み誰かの人生まで狂わすんです。もうサスペンスやドラマを見れなくなるかもしれない。完全な日常には戻れないかもしれない。自殺する人に死なないで、生きてたらいいことある!なんて言っても本人の辛さはわかりませんから。ただ、発見した誰かの人生まで巻き込まないでもらいたい。それを踏まえて自殺なんてしないでほしい。そんな自分勝手な死は私は最低だとおもいます。私なりに家族を支えていくつもりです。考え方が自分でも最低だと思います。許す、許さないという立場でもないです。頭ではわかっていても気持ちがどうしても故人を恨んでしまいます。 一人で解決できそうにないです。

有り難し有り難し 12
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安楽死について

度々の質問を失礼致します。  最近、安楽死に関する映像を観ました。 今まで実際に安楽死される方を観たことがなかったので衝撃と同時に安楽死についてとても考えさせられる内容だと思いました。  実際に病気に苦しまれているご本人やご家族を拝見して苦しみながらも安楽死を選択する場面を観てやるせなさを感じると同時に苦しみから解放される場面を観て涙が止まりませんでした…。  安楽死に至るまではご本人、ご家族共に議論を重ねており、最終的には自分のことは自分で行え、自分の意思を伝える自由を持ち人間としての尊厳を持ったまま生きたいというご本人の気持ちが痛い程に伝わってきました。また、それを見送るご家族も本当に悲しかっただろうけれどもご本人の意思を尊重できる思いやりの深さも痛い程に伝わってきました。  それを観て病気で苦しむ本人が「どんな苦境でも生きたい」という意思がないのに治療を続けることや生を強いることはとても残酷なことではないかと思いました。  また、私は安楽死がもし許可されるようになったら本当に苦しんでいる人が救われるし、そうじゃないとしてもいつか生きることに疲れ切ってしまった時に尊厳をもって人生を終えることができる選択肢が存在するということは安心して生きていくことに繋がるのではないだろうかと感じました。  生きていれば確かにいつかは病が治るかもしれません。でも、そうならなかった場合苦しみを味わうのは病気になった本人です。今の日本はなぜ、苦しんでいる本人の意思を無視して無理やり生かそうとするのでしょうか…。そして、苦しんでいるのに死にたければ本人の尊厳を踏みにじるような残酷な方法で自殺する方法しかないのは何故なのでしょうか…。 生まれてくることは選べないのに死ぬことは許されないのは何故なのでしょうか…? 苦しみぬいてまで生きることは本当にそんなに価値のあることなのでしょうか…? 家族は確かに生きてくれた方が心の支えになって良いかもしれない、でも苦しみを味わう本人の意思を無視しても正しいことなのでしょうか?  笑顔で最後までご家族を労わりながらも亡くなっていく患者様ご本人を観て「生きる」とは何か本当に考えてしまいました。  安楽死について、どの様に考えるのかお坊様方の意見をお聞きしたいです、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
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人が死ぬと言うこと

初めて投稿させていただきます。 人の死について、今頭から離れないことがあります。 私や私の両親の事ではなく、近所の80代の男性(ご夫婦でお住まいです)が今年始めに病気で入院手術されました。手術は成功したのですが、先日から急に体調が悪化し手足に水が溜まるようになって今日再び入院することになったそうです。 お医者様によると「いつ何時に…」という事を言われたと奥様が言っておられました。 私は顔見知り程度で何度かお話ししたり、いつもご夫婦でお散歩されている姿を見ていただけですが…なんて言えば良いのか、お二人が並んでお散歩されているお姿がもう見られないのかと思うと急に寂しく感じられ、今日お話を聞いてから落ち込んでしまっています。 お子さんは息子さんがお二人いらっしゃるのですがそれぞれ事情があり、ほとんど会いに来てくれないみたいです。(ご長男は近所に住んでいます) あまりにもご実家に帰ってこない事でご主人は「子供なんて産むんじゃなかったな」とさえ仰ってたと聞きました。もちろん本心からではないと思いますが、病気でしんどくて心が弱っている時に息子が家に全然来てくれない、病院に送ってもくれないとそんな愚痴も言いたくなるのかもしれません。 私が「検査の時や必要なときは病院までいつでも車で送っていきますよ」って言っても、いつも「大丈夫です」って遠慮され、お二人で通っておられました。私の母が奥様から聞いたのはご主人が「息子でさえ来てくれないのに、ご近所さんにそんな迷惑はかけられない」と仰っていたみたいです。 何か私にも出来ることはないかと考えていた矢先、再入院。 そして、もう長くないと… 人は必ず亡くなるものですが、何もしてあげられなかった後悔が溢れてきて。 出来れば、また元気になってもらえたら良いのですが、もし無理なら少しでも穏やかに最期をむかえてほしいと願わざるを得ません。 私は人の死を受け入れる事が難しいのか、覚悟が無いのか、ずっと頭から離れなくて辛いです。 人が死ぬことを想像すると悲しくて怖くて。きっとこれから何度も経験していくのにこんな弱い精神で耐えられるのか。 どう考えていけば良いのでしょうか? 長文になり大変申し訳ありません。

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コウモリを殺してしまった

つい先ほど、家の中にコウモリが入ってきてしまい飛び回っていたので、虫捕り網で外に逃がしてあげようと思い網を振るっていました。 以前にもコウモリが入ったことがあり、その時も捕まえて外に逃がしてやれたため、簡単に考えていました。 ところが、振るっていた網がコウモリを直撃してしまい、コウモリは血を流して動かなくなってしまいました。 私は生き物が好きで、普段から虫なども殺さないよう気をつけています。 網を張っているとき、頭の隅で、コウモリに当たるかもしれないなと思っていましたが、そのまま振るい続けてしまいました。 翼を広げたコウモリは20センチほどあったように思いますが、ぎゅっとカラダを縮こませたみたいに死んでいました。頭か首のあたりから血がぷっくりと出てきていました。 その後、玄関先の植え込みに簡単ですが埋めました。 その時も、可哀想なことをしてしまって申し訳ない気持ちの反面、殺してしまったことで自分になにか悪いこと、バチが当たるんじゃないかと考えてしまいました。 そんな自分がとても醜く思いました。 コウモリの寿命は3〜5年程です。 あのコウモリはまだ子供だったかもしれません。 そう考えると申し訳ない気持ちでいっぱいです。 こういった間違いをしてしまったとき、どう対処したらよろしいでしょうか。

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