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死は、すべての人に平等でしょうか

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有り難し有り難し 13

お金持ちも偉い人も、そうでな人も、死んでしまえば平等だと仏教は解いていますが、ほんとうにそうなんでしょうか? わたしの父方の遠い親戚は、99歳で会社の会長だったお爺さんが亡くなったさいに、マスコミが来るのを避けるため家族だけの密葬をし、その後、高級ホテルで2000人もの人を集めてお別れ会をしました。香典も花もお供えもすべて辞退されました。
対して、うちの夫方のおじいちゃんも同時期に亡くなりましたが、無年金、無保険だったため、夫とおばあちゃんが自腹を切って葬儀代を出し、通夜と葬式の家族葬をしましたが、お金がなかったため、香典も花もお供えもいただき、その代わり、お返しが大変大変でした。それでも100万近くは足が出て、その分は貯金から出しました。
死は平等だという言葉は、そういう意味ではないと頭ではわかっていますが、
会社を立ち上げ成功し、会長になった父方の親戚と、お金がなくて自分の墓すら買えない夫方の親とではひどく差があるように感じられ、悲しくなって涙が出てきてしまいます。

2019年10月26日 6:55

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親子の恩

 本題と少しずれるかもしれませんが、一つ気になることがあります。

 本人の貯えが少なく、子供や配偶者が本人の葬儀を持ち出しで行うことは、子供や配偶者として当たり前のことだと思います。自分の死や葬儀に対して、自分ではどうにもできなくて、縁者がやるかやらないか、どのようにやるかと苦労するのが、自然のことです。子供なら、人間に生まれさせてくれた親に対する孝行の一つなので、小さくてもきちんとお別れするのはよいことです。配偶者は、契約の関係ですから、信頼度に基づいてやればよいでしょう。
 死にゆく本人にたまたま財産があれば、それを使って葬儀しても良いのですが、子供の親孝行の機会はその分減ってしまいます。

 本題です。
 死ぬという現象は、生きるという現象と同じで、万民共通です。誰もが必死に瞬間瞬間生きていて、身体がもたなくなると死にます。その生命現象は誰にも同じです。
 しかし、どのように生きるか、どのように死ぬか、そして、どのように新たに生まれ変わるか、それは各生命ごとに千差万別です。善行為や悪行為が善業や悪業として心を作り突き動かし、次の自分を作っていくので、生きて死ぬという現象はみんな同じですが、それ以外の「生き方」は、人それぞれなのです。死後に生まれ変わってどこかに生きるその生き方も、人それぞれです。

 会社で成功して死ぬときになってもお金がまだある生き方は、その面では成功です。配偶者や子供に葬式の面倒を見てもらうのは、それに比べると成功していないように見えるかもしれません。しかし、心の中身は、心に溜まった業は、どんなものなのか、傍からは分かりませんよ。

 死者を見送る、葬儀をする、これらは遺された者の善行為なのですが、金銭面や時間や運営などの苦労と別に、心でどれだけ死者に感謝し死者の出立をお祝いしてあげられるか、こちらの心の持ちようで、善行為の大きさが変わってきます。業は心ですから、善業か悪業かは心によって変わるのです。

 今からでも遅くありません。夫や義母に対して、義父の葬儀をお二人がしっかり行ってあげたことを、素晴らしいことをしたのだとほめてあげましょう。せっかく善行為をしたのですから、誰かと比べて、しかも表面的なことを比べて、その善業を減らさないように、むしろ、業の意味を知って、善業を増やせるように、心で頑張ってください。

2019年10月26日 8:35
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有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...

質問者からのお礼

会長は、お金の苦労はありませんでしたが、葬儀を、マスコミに知られないようにこっそりとしかできませんでした。お金はたくさんあり、地位にも名声にも恵まれ、また、檀家になっているお寺を全額会長が負担し、新しく建て直したりもしていました。金持ち喧嘩せずとはこういうことかと、はたからうらやましく思っておりましたが、プライベートがなかったですね。それにたいして、うちの義理の父は、お金はありませんでしたが、自分の家族に看取られ、通夜も葬式も、本当に愛してくれる人たちとゆっくりと過ごすことができていました。夫が喪主をやっているときに、生んでくれてありがとう、育ててくれてありがとうと言っていましたが、葬儀とは感謝の気持ちで送り出す式だったんですね。今は、嫁ぎ先が生まれ育った家と違って貧しくて、ほかの人をうらやましがってばかりの煩悩の塊のわたしですが、がんばって健康と若さを保って、懸命に働いてちょこっとでもお金を子供のために残してやりたいと決意できました。

「死について」問答一覧

思考をやめたい、自分をやめたい

昔から、0か100かの考え方をするタイプだったように思います。 最近は、「生」か「死」について考えていないといられなくなり、苦しいです。 「死ぬのが怖い」と発作を起こすこともあります。でも、落ち着くと 「さっさと死にたい」と考えています。 自分が死ぬシチュエーションを何パターンも考えたり、 「もし今ここで死んでも大丈夫?-うん(orまだ嫌等)」自問自答を繰り返しています。 幼少期から死ぬことが怖くて仕方なかったです。発作を起こすこともしばしばありました。 大学在学中~大学卒業後、フリーターをしていたときに 自分の置かれた状況、無能さに嫌気がさして、死にたいと思うようになりました。 その後就職し、なんとかもちこたえていましたが、コロナのせいか、楽しみがなくなった途端に不安・恐怖におそわれるようになりました。 どうせ死ぬならいつ死んでも同じなのでは? 生きる意味も必要もないのにどうして皆生きていけるのだろう、 でも死ぬのがとてつもなく怖い…ぐるぐると考え、 考えることに疲れ果て、「今なら安らかに死ねそう」と思ってやっと眠りにつくことが多いです。 心療内科を受診したこともありますが、先生のスタイルもあってか、 睡眠薬の処方のみで、強制的に眠って体力は回復できましたが、 考え方が変わらないとずっとこのままだな、と感じています。 現在の生活に不自由は特になく、心だけが置いていかれているような気がします。 「死が怖くない」今のうちに死んでしまいたいです。また怖くなるターンが来ても苦しいので。 違うことを考えていたり、趣味を楽しんでいるときにもふと、 「どうせ死ぬのに何やってるの?」と現実に戻されるような問いかけが浮かんでしまいます。 思考に左右されるのにも疲れました。どうしたらいいのでしょう。 家族を遺すことに少し抵抗がありますが、でも皆死んじゃうからな…と思っています。 長文・駄文すみません。書き出してみれば何かわかるかも、と思いましたが、難しいですね。

有り難し有り難し 19
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死ぬ間際の人間のありかた。

人は、死ぬ間際、どういう心持ちでいたら良いのでしょうか。 死ぬ瞬間。 浄土系の教えでは、弥陀来迎を信じ、弥陀にお任せして、心穏やかに 最後の時を迎える事だと思います。 死の間際、恐怖なく安穏で居る事は並大抵じゃない。 高度な仏教哲学も、「自分が成っていないと」生老病死の苦しみに対する、屁の突っ張りでしかない。 「成った事」すら、無明を前にして、自覚出来ない気がします。 だとしたら、方便でも、心穏やかに最期を迎えられる、浄土系の教えは、在俗の者に有効なのかなと思いました。 学究であり、優れた人格の法然上人の、庶民への優しさかなと思いました。 しかし、究極の真理は、「自浄其意」だと思います。 しかし、禅宗にも一抹の疑問が涌きました。 「六道輪廻は生きる人間の心の有り様。」と、輪廻思想を切り捨てると、 「而今」の真理から言えば正しいですが、施餓鬼等、自身が行っている事も否定してしまう。  正自覚者である釈尊が、見通した世界。インド土着の世界観等々と切り捨ててはいけない気がするんです。 だとすると、死の間際の心の有り様は重要なのではないでしょうか。 人生に一度しか経験しない、最大恐怖の死。 生老病死の最大恐怖。 何かすがるものがなくても、灯明の如く寂滅できるものでしょうか。 お坊様方は、人は死の直前、間際、どのような状態に居るのが理想と思われますか? 何もかも放下して、消え行く中。 どんな気持ちでいるべきなのでしょうか。 最大の疑問です。 どうぞ、ご教示くださいますよう、お願い致します。

有り難し有り難し 8
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あっけない死

よろしくお願いします。 地面と、窓から見える排気ダクトに鳥がたまごを産んでいました。地面のたまごは毎日無事かなぁと帰り際見たり、廃棄ダクトは親鳥が巣を作っているのに気付いてから何気なく見ていました。そのどちらも今日死んでしまいました。地面のたまごは大雨によって。廃棄ダクトのたまごは機械を動かしたか?によって巣ごと落下していました。雨なんて予報で分かっていたし、廃棄ダクトだって巣があることを伝えることだって出来ていました。どちらもしなかったことが悔しく後になってそんなことを思う自分が不快です。あんなに頑張って巣を作っていた親鳥や、たまごに近づく人間に威嚇していた親鳥を思うと悲しいし、わたしは結局何もしなかったのに悲しんでいることに何なんだろう自分は、と思います。 そして生き物の命はこんなにもあっけなく終わってしまうのかと悲しくなりました。これからやっと産まれるところだったのに。地面のたまごは割れて今から産まれるところだったようです。それなのにあっけなくです。生き物の過酷さをみて人間の甘さを思いました。自然だから仕方ないのかもしれませんが、やはりショックです。全ての生き物に言えることかもしれませんが、こんなに簡単に死んでしまうのかと思うとやりきれません。

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未来はすでに決まっている?生きて死ぬとは

よく当たると噂の鑑定士がいます。 配偶者の5年先が見えないと言われて現役だったのに3年後突然病で亡くなったり、死期が近い人は死臭がしてきついとか3年先の未来までは見えるそうです。一応鑑定で食べていっているけどお金は設定されておらず気持ち程度でいいし、人の人生を見るから不安だけを残せないと言う理由から制限時間なしです。私はお会いした事ないですが友達や家族が見てもらっています。四柱推命やその人が前に座るだけである程度わかるそうです。私は、大切な恩師を亡くしてから自分で切り開いて生きてきました。周りの人のおかげで今は元気に過ごせています。恩師は占いは一切信じず見たものだけ信じていました。でも、その恩師すら実は未来は既に決まっていて自分で切り開いて生きてきたつもりでも実はもう定められた中で生きていたのかなと思うと怖くなります。四柱推命も然りです。その方は当たりすぎてテレビにも呼ばれていますが断っているそうです。私は白黒はっきりした性格で、占いや運命、宿命などつかみどころのない物事に弱く不安になる傾向があります。私は人が生まれてきた意味はなく、ただ生まれて死んでいくだけと思っています。 そこに意味も価値もないです。ただ生きてきた以上は人の役に立ちたいし意味や価値は自分で見出したいと思っています。あくまでも自分の人生は自分で切り開き、一つ一つの選択次第でいつでも人生を豊かにすることができると信じています。私は不安や恐怖を抱きやすいのですが、生まれてきたことや死んでいくことをもっと自分なりに噛み砕いて理解したいし、いつか死ぬのに死に対して恐怖があるので、死を受け入れて恐怖を無くしたいとも思っています。せっかくこの世に生まれてきて、大切な人たちに出会えて恵まれて、人生の困難も学びとして捉え、今日より明日が充実しているように、生きていることをもっと心から楽しくなれるようにしたいのに鑑定士の話を聞いて恐怖に思う自分がいます。恩師の死も既に決まっていて、私も自分で切り開いて生きているようで決められた枠の中で生きているのかと思うと、怖くてたまりません。ロボットのようにあることなすこと受け入れて定められたように生きるのが人生なのでしょうか?勇気を持って出した答えも決断も、生まれた時から決まっていたのでしょうか?人は、そんな風に生まれて死んでいく人生なのでしょうか。

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死ぬ事「だけ」が辛い

最初の就職先に、半年で 出ていけと言われ、心が折れ まともに再就職出来る気がしない 親が先に死ぬのは当たり前なので いつまでもすねをかじれない バイトだけでは寿命を全うするまでの 稼ぎを得られない。 男に無縁など 今は辛くはないですが、生きていていく未来に希望を見いだせません。 ですが死ねば、見えないながら 仲良くなった幽霊の友達や神様方が お話したり、遊んだり 散歩してくれるとおっしゃいました。 こちらへ来るのを待ちきれない、 だから早くこちらへ来いと 夜中に神様方が 肉体が精神を手放すように 手伝ってくれましたが 結局呼吸を止めきる事が 出来ませんでした。 朝を迎えて起きてから 死ぬ事「だけ」が辛いと 死というものをありありと自覚し 泣きながら身を震わせています。 恐らく寿命でさえ 安楽死ではないのでしょう。 少しだけ調べましたが 死のうと思ってしまうほどの 絶望を抱えた人達ですら 自殺未遂に終わり 光を失ったまま 今を生きている者も居ます。 絶望しきった訳ではない私は 彼ら以上に死ねないでしょう。 生き物は全ていつかは死にます。 それでも私だけでなく 寿命の前に人が楽に死ぬ方法を知りたいです。 余談:方法だけなら、 一瞬で頭全体を脳まで潰すという 答えを出してみました。 しかしその状況が、 高速道路で急ハンドルを切り 反対側の車線へ飛び出すという どう考えても迷惑極まりない方法しか 思いつけませんでした。 一秒でもはやく皆に会いたいです。 いつまでも返答をお待ちしています。

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死ぬ時期を決めて生きる父

初めまして。 私の父は61歳です。                     現在一人暮らしの父は、どうやら自分で死ぬ時期を決めているようなのです(数年以内のようです。)。                     理由は二つ。 一つめは、介護状態になったとき、子どもに迷惑をかけたくないから。 二つめは、生きる期限を決めた方が、金銭面で苦労することなく、楽しく生きることができるから。 というものです。                     「そういうわけだから、俺の心配をするな。ある日突然いなくなるから。迷惑はかけない。」と言います。                     父の言い分は理解できないものでもありません。長生きすることが幸せだとは限らないと、私もよく考えるからです。私だって死にたくなるときはあります。                     ただ、それを子どもである私に伝える意味が分からないのです。                     父の決意が本気だとしたら、私は父の言葉をどう受け入れればよいのでしょうか。                     自分で死ぬ時期を決めるということに対して、反対すべきなのか、そのつもりで心構えをすべきなのか。                     自分の親に「自死宣言」をされ、心穏やかにはいられませんし、正直憤りさえ感じます。                     今まで散々心の虐待を受けた挙げ句、自死宣言。いつまで私の心を傷つけるんだろう?とも思ってしまいます。                     まとまりのない文になってしまいましたが、回答をいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 3
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死に対する矛盾と疑問

私は家計的に仏教とは縁があり。 お坊さんの思想をとても信頼していまして、以前からこのサイトを自分自身の励みとしています。 まず私の人生を話しさせていただきます、以前縁あって地下アイドルをしていました、某AKBなんてメジャーな運営ではないので、日の目を見ることはほとんどありませんでした、それでも僅かなファンを大事にしてまいりました。 その活動の傍ら私は男になりたいう性同一性障害に苦しむようになりました、自分の求める容姿になれない、輪郭も骨格も、男になり切るには無理があると周りから言われても諦めず叶わぬ夢を追い、そのストレスの反動でたくさん親やメンバーに悪態を吐きました。 性別を変えるためには膨大な費用がかかり我が家の財産では到底無理でした、毎日苦い思いに泣く日々、鏡を割ったり死のうとするのは日常茶飯事でした。 学校もろくに行かずに3年程アイドルを続けて、そろそろ将来やべぇ、って思いました。 アイドルを辞めて、高校受験をしました、今では無事入学し、文学と生物学の勉強をしてそれなりに充実しております、見た目も男と女の中間だって、半端だってそれが自分なのだから受け入れよう、妥協したっていいじゃないかと思うようになりました。 そんなある日、何気なく死後について考えました。 死んだ後はどうなるんだろう。 思い出の服、大切な友達や家族との記憶、大好きな歌、憧れの人のことを全て忘れてしまうのかな。 やってきたこと全て無駄になるの?。 死にたくない、生きたい、ずっと生きたい。 あれだけ死ぬことばかり考えていたけれど、今度は生き続けるために画策しなければならないなんて、あぁ、なんて皮肉。 記憶は脳が作ってるから死んで脳が焼かれたらおしまい、あの世って考え方は死への恐怖をなくすための御伽話なのかな。 あの世があっても転生して魚や牛になって食われるのは勘弁だよ。 そのために今は自分なりの徳を積んでいます、散々私がいじめた親に恩返しをしています。 死への恐怖、なくなりますかね? あと人は死んだらどうなるのですか? 人格が変わってしまいました、興味と欲望と生きる気力がなくなりました、かと言って死にたくもないのでただ存在しています、死を気にしない溌剌とした自分に戻りたいです。 死という概念に囚われずに輝く同年代が少し羨ましく思えます。 今私が見えているものは灰色の世界です。

有り難し有り難し 4
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