虚言癖は治せますか
泣いてるのを誤魔化したり、怒られないように嘘をついたり、
昔から自分を守るために嘘をつき続けてきた結果、救いようもないクズで虚言癖マンになりました
日常的に、無意識に嘘はつくわ、
自分の嘘を認めないわ、
嘘をついても罪悪感がないわ、
(完全なるクズ)
自分でも現実と嘘と発言と記憶がごっちゃごっちゃになります
嘘をついてる自覚がないってやつでしょうか、もう自分でも自分のことがよく分かりません
友達から親や先生や恋人までいろんな人に嘘をついてきました
嘘を指摘されて怒られて泣いて、それでも治らなくて、
お前は泣くだけでなんも治らないよな、とも言われるようになりました
ネットで虚言癖を治す方法を探して見つけて読んでも、ピンと来ないというかよく分からないというか...
嘘をつくな、といろんな人に言われてきたけど全然治らないし周りからの信頼はゼロ
素直になりたい、正直な人間になりたい、
と思ってもなり方がわからない
どうすればそんな完璧になれるんだ、
とか思い始めるともう生きるのが嫌でしかない
かと言って周りに散々迷惑かけて嘘で人を傷つけておいて自分には死ぬ権利すら無いよな、ってなります
自分と向き合うって何、自分って何、
自分に問いかけるほどわからなくなる
失敗するのが怖くて動けないし、動けなくて迷惑かけるしもうどうすればいいか分からない
お前はどう思ってるんだ、と言われても自分でも頭の中がぼんやりしてぐちゃぐちゃして薄暗い、自分が持っている言葉に出来ない...
でも嘘をつかない人間になりたい、
大切な人を二度と失いたくないです
どうすればいいのでしょうか
汚くて残念な人間 アスペの傾向と虚言癖がある 自分でも何がしたいのかさっぱりわからないクズ どうせなら死ぬか人生やり直したい 好きなものはオカルトと猫と音楽と独特な世界観
過去にあった嫌なこと、イライラしたことに囚われやすい
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「世の中」のほとんどは嘘でできている。
こんにちは。
私はべつに「世の中」のすべてを知っているわけではありませんが
「嘘」こそ人類の進歩を促してきたのだ、というセンセーショナルな見出しで
世界的ベストセラーになったのが
『サピエンス全史(上下巻)』でしたね。
著者のユヴァル・ノア・ハラリさんは
言語も貨幣も「嘘」を信じることによって成り立っている、とおっしゃっています。
宗教なんかは、「嘘」の最たるものだと。
ぜんぶ、「嘘」を信じる力によって私たちの暮らしは成り立っているというんです。
嘘をついていい、ということではないんですね。
嘘をついてまでパセリさんは自分を守ろうとしている。
ほかならぬパセリさん自身がそれをよく分かっていらっしゃるでしょう。
となれば
守る必要のない環境に、
自分を開け渡せる「居場所」に、
まずは身を置くことがいちばんではないかなと思います。
問題は「嘘をつく」ことそのものではない、
ということです。
自分を守ろうとするから
装うとするから嘘をつく、というのは、
ハラリさんの言葉を借りれば
それは、それが人類の生き残る術(すべ)だったからなのです。
邦画『エイプリルフールズ』をよければ観てみてください。
「嘘はときに人を救う。」と私は感じました。
嘘によって人は傷つきもするし滅びもする。
逆に救われたりもするんだと。
それはそれで大事なときもあるけれど
それとはべつに
守らなくていい、
装わなくていい場所で
じぶんを開いてゆければいいのではないでしょうか。
すぐには見つけられないかもしれないけれど
きっとどこかにあるはずです。
そこでは嘘は必要ないだろう?と
仏教を開かれたお釈迦さまはおっしゃっています。
嘘をぜんぶ毛嫌いするのではなく、
嘘をつく必要のない時間と空間を、
少しでも見つけて大事にしてください。
自分が何をしたいのか、何をすべきなのかは、きっとそこから開かれていくものと、私は信じています。
【これも嘘?→】南無釈迦牟尼仏 合掌
質問者からのお礼
ありがたいお言葉ありがとうございます...🙏
参考にさせていただきます
(言葉足らずでこれしか伝えられず申し訳ないです...)
嘘をつく必要のない時間と時間を見つけて大事にしたいと思います