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悟りについて。

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有り難し有り難し 16

悟りというものは例えば電車に乗っているときにお年寄りに席を譲る。すると喜ばれる。「ああ、こういうことをするといいんだな」と思う。
こういうのが悟りなのでしょうか?
何も本に書いていることだけじゃなくて、「日常の中でこうすると人はこうなる」という事を知るというのが悟りなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

煩悩が減ることが悟りでは?

私たちの心には、悩み苦しみの原因となる「煩悩」が何種類もあります。
その煩悩が減れば、悩み苦しみが減ります。
たとえば、比喩ですが、
窓に映った木の影を「幽霊だ」と勘違いしていたら、幽霊に対する恐怖が生まれます。
しかし、何かのきっかけで「幽霊じゃなく木の影だった」と気付いたら、恐怖はなくなります。
この「勘違い」が煩悩であり、悟りとは「勘違い」がなくなること、真実に気づくことではないでしょうか。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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悟った者のありようについて

しんさま

悟りという事態とは、いかなる事態であるのかを説明するために、私たちのように悟っていない凡夫の者のありよう、更に、煩悩(煩悩障)を無くして解脱した者(阿羅漢、独覚・縁覚・声聞の聖者、遠行地以上の菩薩)のありよう、更に、悟りの最後の妨げとなっている所知障を断じて、仏陀・如来となった者のありようの、それぞれがどのようにして世界を認識しているのかということを、整理して考えることが大切なところとなります。

以下の拙図がその三者の違いを表している簡単なものとなりますが、その内容の理解はそれぞれ非常に難しいところがございます。

https://stat.ameba.jp/user_images/20191110/09/sunyahide/59/79/j/o1080081014636056519.jpg?caw=800

仏陀・如来が世界をいかに認識し、またいかにして智慧・慈悲によるはたらきかけをなさられておられるのか、その理解へと向けては、チベット仏教ゲルク派の開祖ツォンカパ大師の後期中観思想が大いに役立つところとなります。

しかし、その理解のためには、龍樹(ナーガールジュナ)大師以降における「空」と「縁起」、「世俗諦」と「勝義諦」の二つの真理に関しての思想から学び進めていかなければならないところとなります。

是非、悟りという事態を理解するためのキータームとして、「空」と「縁起」、「世俗諦」と「勝義諦」を留めおかれまして、仏教の修習を進めて下さりましたら、誠に有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

有り難し有り難し 21
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悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

有り難し有り難し 20
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ