涅槃に至った精神の状態についてのご質問。回答受付中
ぎんりんと申します。よろしくお願いいたします。
仏教の本を読むと、涅槃とは、精神が何物によっても動かされず、無常の世において常に自らの心を安らかに保てる状態だとあります。
という事は、涅槃に至った仏は、家族や親友が亡くなっても、悲しみに打ちひしがれず、とても楽しい事があっても、人々と喜びを分かち合うことは無いのでしょうか。
私のような凡夫から見ると、なんだかとても寂しいなぁと思ってしまいます。
仏陀は、世の人々を皆この境地へと引き上げることを使命として自らに課されたそうですが、何事への愛執も無ければ、人々は子供を作らないだろうし、文化も芸術も何も生まれないはずです。
仏陀のご意志が達成され、皆が悟りを得た世の中になれば、無味乾燥な世の中になり、やがては人類は姿を消してしまうように思うのですが、仏陀はそれもまた良しとされていたのでしょうか。
仏教を少し齧った者が初めに通るような疑問で恐縮ですが、どうかご教授頂けますと幸甚に存じます。
お坊さんからの回答 2件
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大枠の理屈の上ではそうなるかもしれません
確かに大枠の理屈の上ではそうなるかもしれません。
しかし、そうであるならこの世のすべての人間が仏陀の示された寂静の世界に住むことができるようになり、生きる苦しさからも死の恐れからも解放されたわけですから、何も不都合なことはありません。
死は必ず生命に訪れるものですから、遅かれ早かれ、また、全体としてどんな規模になったとしても、とりあえずは涅槃に住んでいるか否かということとは関係ありません。
生命は何らかの宿業によって生じます。喜怒哀楽は業の種ですから、それを感じる生命がある限り必ずまた次の生命が生じます。ですから、ぎんりんさんのように(そして、おそらくは人間のほとんどが同じように)感じる限り、人間を含めた生命は消滅しないでしょう。
あまり気にすることはないと思います。
スマナサーラ長老の
本やyoutubeに、悟った後の心の状態について語ったものも何種類かあります。
探して、ご覧になってください。その心がよく、推測できます。