不安がぬぐえない
普段からかなりの心配性で、些細なことでクヨクヨ、ちょっとしたことをズルズル引きづります。
健康診断の血液検査などでちょっとでも異常が見つかるとネットで検索し、不安になり、落ち込みます。(腎機能の値が基準値をちょっと超え、不安が止まらないなど)
元々15年前くらいにパワハラでうつ病発症し、治まったり、また発症したりという状態です。
産後うつにもなりました。
とにかく全て悪い方向に行くかもしれないという思考に陥ります。
会社の健康診断が控えていますが、それも恐ろしくて仕方ありません。クヨクヨすると病気やガンになりやすいと聞くと余計にクヨクヨしてしまい、「これでは病気やガンになってしまう。どうしよう」と悶々としてしまいます。
心療内科で薬は出されていますが、飲んでると薬だから飲み続けると肝臓や腎臓が悪くなるかもしれない!等全てマイナスに持っていきます。
薬だけでなく、悲観的になりすぎず少しでも気持ちが前向きになる方法を探してます
どなたか助けて頂けないでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
寿命を全うすることを心に信念を。
拝読させていただきました。
人は少なからず誰しもが心配をしているものです。
そこに差はあるだけです。
私たちは有限なる寿命という人生を生きています。
"病は気から"とありますように、自身を追い込んでは、胃痛から始まり胃炎になり、十二指腸潰瘍になり、胃がんへと進行していくように。
「願う」「祈る」ということは、プラスにもマイナスにも力が働きます。
マイナスの祈りになれば、そちらの方向へ自ずと向いていき、プラスの祈りを心がける習慣を練習していくことが今大切です。
「大丈夫!私は!」
「問題ない!何も心配することない!」
「いただいた命を、寿命を全うする」
私たちは寿命を全うしたいものの、自然災害などにより、健康であっても命を絶たなければならないときもあります。
守るものがたくさんあると思います。家族、お子さま、大切な人など。その人たちに私の命は強く生きていることを反映さすことで、他の人へ命の力強さが伝わっていきます。「私の父は頑固だったけど、芯の強い人だった」「僕の母は、病気だったけど、熱がでた僕をいつも自分より優先に心配をする強さを持っていた」などなど色々とあります。
今、インターネットや様々な医学に関する参考書も含め、千差万別です。惑わされないように心掛ける習慣も大切です。
私たち僧侶は葬儀に出仕する機会が多いものです。その時に感じることが、「故人さまが集めた大切なものより、故人さまが他人にどれだけの人生観という教えを与えたか」で、命の使い方が変わってきます。
般若心経の最後に記す
「ぎゃーてぃ ぎゃーてぃ・・」は、迷うな!前へ前へ進むのみ!という意味も込められています。
人生は一切皆苦でもあると仏教では説いています。しかし、人生は修行でもあります。今をしっかり生きることが、明るい日と書いて「明日」がやってきます。明日の心配より今を大切に楽しむ想念を。
応援しています心から
どんどん良くなります。安心してください。
合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
とても勇気づけられました。
般若心経は小さい時よく祖父母のもと聞かされていました。
そのときにぎゃーてい、ぎゃーていはーらーぎゃーてい以降最後の部分は力があると教えてもらったのですが、そういう意味があったのですね。
自分に負けぬよう、良い方向の祈りにもっていけるようがんばってみます。
本当にありがとうございました。