LGBTに対するお坊さんの考えが知りたい
時代が時代だから隠してただけで、昔もそういう人は日本にもいたらしいですし。現代で、僧侶の方々はLGBTの人たちをどう考えてらっしゃるのか知りたいので、どうかご意見をお聞かせください。俗世的な質問をお許しくださいませ。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一人ひとり別々の存在
一人ひとりが別々の存在です。
カテゴリー分類は、人間が仮に名前をつけただけ。
たとえば、赤紫、紫、青紫という三つの言葉で色彩を仮に区別したとしても、厳密に赤紫と紫の境界線はありません。
たとえば、赤紫に白を混ぜた場合、白が増えればピンクに近くなったりもしますし。
そんな感じで、性別も、本来は明確な区別はなく一人ひとりが別々の存在ですが、人間が一応「ラベル」を貼って概念の名前を付けいるだけだと思います。
海外では、子供たちが、総合スポーツクラブで色んなスポーツをやる国もあります。
バスケも野球もプロ並みに上手い選手もいるでしょう。
その子に対して、「あなたはバスケ選手なのか野球選手なのかどっちなの?」と尋ねる意味も必要もありません。
あなたはバスケはできますか?
あなたは野球はできますか?
とそれぞれ個別に尋ねることはできます。
それに似ている気がします。
それぞれが生き方の個性
こんにちは。多様な性への考え方、在り方について浄土宗からその理解についてのガイドブックもでていますが、私個人から考えても色々な在り方や生き方があるのは当然だと思っています。私は長い間教育現場にもいましたが、現場も年々理解、対応が進んでいます。その人その人の個性であると思います。ただそのことで悩む方がかなりいらっしゃるのも事実です。自分のセクシャリティは自認されても、好意を寄せた相手が受け入れてくれるかどうか。これは男女間でも同じですが、ハードルが高い部分はあると思います。そのような時も含めて、相談したりできる方があるといいなと思います。その人になりかわることはできなくても寄り添い共に考えることはできるからです。色んな人がいて色んな性があるのを自然に受けとめられるのが宗教の柔軟性だと私は考えます。最近は小学生くらいからそのような教育があっていますので、まだまだある偏見のようなものがなくなっていくように、僧侶も努力しなければならないと考えています。