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相談に対するご回答に腹が立ちました

回答数回答 1
有り難し有り難し 21

以前、こちらでの相談に対する回答の一つに腹が立っておりました。
いま言語化できる気がしたので、怒りをぶつけさせていただけます。
質問はこちらです。
https://hasunoha.jp/questions/5942

パスタファリアニズムについて、仏教徒の方々に宣教する気はないので、詳細は割愛しますが、私が腹を立てていた、今思い出して腹が立っているのは、次の一文です。
「それだけでパスタファリアンを名乗るのは本家パスタファリアンに失礼」です。
私は、信徒であることの証明書を持っております。
ちなみに、通販で、当時40ドル程度で購入しました。

重要なのは、パスタファリアニズム(空飛ぶスパゲッティ・モンスター教)は、宗教に対するパロディであること、つまり、信仰そのものがパロディであるべきだということです。

パロディとは風刺です、風刺とはつまり批判のことです。
上記で、頂いたご回答にいかに怒りを抱いているかわかると思います。

私は預言者が一人の宗教が大嫌いです。
なぜなら、その最初の一人の考えに引っ張られるからです。
以下何人弟子がいようと、何世代続こうと、その最初の一人の考えが根幹(root)として存在するからです。
だから私は仏教徒になりたくないのです。
そんな奴らの一員にされたくないからです。
失礼なことを申し上げているのは存じていますが、この怒りは紛れもなく事実です。

だから、私は死後戒名は「絶対に」つけてほしくないし、できれば葬式も上げてほしくありません。
なぜここに相談したのかというと、日本人なら否応なしに仏教形式の葬式を挙げられ、否応なしに戒名がつけられるからです。
私の意志とは関係なく。

だから、仏教徒の方にクレームを付けたくなったのです。
そして、そのシステムを作り上げているあなた方に、回避方法を聞きに来ました。

怒りが言語化できてとても満足していますし、申し訳ない気持ちも同時にあります。
ですが、あえて怒りをぶつけさせていただきました。

十数年ぶりに、怒りという感覚を思い出せましたので、とても満足しています。
怒りを感じていなかったのは、人に期待をしていなかったからです。
なぜなら、私はちょっと人とは違う考え方をするようですので、意見が合うことが少ないようでしたので。

ありがとうございました。
失礼いたしました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

 それは失礼いたしました。

 自分の気持ちを言葉にして整理するのはとても良い事です。

 アメリカンインディアンのことわざに「怒りは自分に盛る毒」という言葉があります。
 この質問を通してスッキリしたようですので、もうこれ以上出さない方が、あなたの為になると思います。

 お戒名は仏弟子としてのお名前ですので、それが不要という事は仏教徒ではない(仏教徒になるつもりがない人)ということです。日本人なら否応なしにという事ではありません。日本において信教は自由です。あなたの信仰に基づいた葬儀をあげてもらえばよいでしょう。
 ちなみに仏教は「預言者が一人の宗教」ではありません。(お釈迦さまは預言者ではありません)。目に見えないものや実際に起こっていないことについて語ることはありません(ですから実は「死後の世界」についても否定的です。仏教は死んだらどうなるの教えではなく、生きているからどうするの教えです)。仏教の教えのひとつに「因果」がありますが、「お祈りをしたら願いが叶う」といった教えではなく、「ものごとには科学的に証明できる原因が必ずある」という考え方です。過去の質問を拝読しましたが、あなたは認めたくないかもしれませんが、実は仏教はあなたの思想に合致しているともいえます。一度仏教をきちんと学んでみるのも良いかもしれません。(過去の質問で、一番最初にした質問をここで挙げたというあなたの手法はとても良いです。これも物事の根元を見るという意味で、仏教の考えに近いです)

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有り難し
おきもち

・曹洞宗/静岡県/50代 平成27年鳳林寺住職。平成28年hasunoh...
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質問者からのお礼

>光禪様
ご回答ありがとうございます。

余計なことを言うのは私の癖です。
ですが、私は考えていることは言葉に出さねば決して伝わることはないという信念があるので、余計なことを申し上げます。

>過去の質問で、一番最初にした質問をここで挙げたというあなたの手法はとても良いです。
まずは、この言葉にありがとうございます。
因果、原因と結果の追求は、すなわち科学(科学的方法)の一部です。
ただし、自分のことですので、客観的(つまり主観を除いた視点)に立てないことが非常に腹立たしいです。
つまり、私が腹を立てている相手の一人は、自分です。
そして、思想や思考が近いことと、信教は別の問題です。

怒ることには確かにデメリットがたくさんあります。
怒りだけで、過去に何かを解決できたことはありません。
しかし、アドレナリンが出ます。
少なくとも、一時的に疲れは取れますし、物事の原動力になります。
久しくしていませんでしたが、冷静に怒る事ができればいいのかなと思っております。
怒りは、人に期待するからこそ起こる感情で、コミュニケーションを求めている現れです。
相手の方にとってはご迷惑かもしれませんが。
毒は少量なら薬になるそうですね。

釈迦、ガウタマ・シッダールタが預言者ではないというのは、真偽はともかく、ごまかしだと思います。
何かを説いて、人々を導き、宗教を成した人は預言者のはずです。
それが、誰かにとって良いと思う思想であってもです。

釈迦は死後の世界について説いているはずです。
相手の名前や詳細は忘れましたが、釈迦がある自殺者を止めたとき、「繰り返されるから無駄」と言ったそうですね。
善悪ではなく、無駄として解くのは良いと思いますが、これこそ輪廻について語っています。

そして、生き方は自分で考えて決めます。
学ぶということは、相対する思想であっても、それ自体はいいことと思います。
ですから、先の話を含めて学ぶ意欲はあります。
※相対するというのは、対立するという意味ではありません。

ですが、宗教は善悪の基準になります。
そこに属する聖職者や修行者の方々が望もうと望むまいと、その集団の善悪の基準になるのです。
特に、よく知りもしないのにその集団に属している人たちがそうします。
私は善悪で物事を考えたくありません。
客観性を失います。
正義の反対は別の正義です。

私が死んだとき、携行している葬式を執り行う前に遺言書を開封してくれることを願います。
私は葬式は「挙げてほしくありません」ので。

長々と失礼しましたが、ありがとうございました。
光禪様なりに、ご自身の考えに則って、真剣にご回答頂いているのだろうなと思います。
その対応に、お礼を申し上げます。

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