身内の縁切りたい
はじめまして。
昨年初秋に母が亡くなりました。
母は亡くなる1年前の夏にくも膜下で倒れ、奇跡的に一命を取り留め、その後数回の脳手術やそれに伴う身体のあちこちにメスを入れる処置をした後に亡くなりました。
亡くなるまでのその間、身内内で手術や治療法に際し、色々と話し合いがありました。
母の側にいる父と、弟、弟の嫁はどんな形でも良いから生きていて欲しい、手術して例え麻痺が残ったとしても生きていて欲しいと泣きながら訴えてきました。
私と兄は脳だけに、今後色々考えても母が苦労するだけで、無駄な治療や手術を繰り返しても治る見込みを考えれなかった事と、今まで散々苦労させて頑張らせてきたのに、何故また病に倒れたこの時まで痛い思いを何度もさせなくてはならないか疑問視し、手術と治療に際し何度も反対しました。
私と兄は飛行機を要さないといけない遠方に住んでいた為、どんな意見も通らず、結果1年間、母は寝たきりのような状態で最後は苦しみながら亡くなりました。
もっと早くに楽にしてあげたかった。
身体に何回も傷を入れず、早く楽にしてあげたかった。
父と弟夫婦に対する怒りで、葬式も泣けなかった。
葬式後、父と弟夫婦と連絡切りました。
残された父70代が亡くなる時が来ても、葬式には出ないつもりです。
もう身内の縁切りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お父さんとお母さんの気持ち
あなたがお母さんのことを大切に思っていたことは分かります。家族と縁を切りたいと思うくらいですから。
ただ、お母さんが病に倒れて一番悲しんでいたのは、あなたでは無く、お父さんでしょう。
お母さんと知り合って、結婚し、これまでたくさんの思い出を一緒に作ってきました。
初めて妊娠した時の喜び、あなた達を出産した時の喜びと戸惑い、あなた達兄弟を怒ったり笑ったりして育ててきた事、あなたには昔の事でも、お父さんは昨日の事のように感じています。
その思い出のたった一人の共感できるお母さんが病に倒れて死にそうになった時の悲しみは、絶望感は、おそらく子供達より何倍も大きかったのではないでしょうか。
それこそ、藁をも掴む気持ちで治療を選んだのでしょう。
一瞬でもいい、もう一度微笑んで欲しい。
そう思って、お父さんはずっと側で看病していたのではないですか。
宗派で違いますが、浄土宗では極楽浄土を信じています。
人は命が尽きたら極楽浄土に行くのです。
お母さんは今、極楽浄土からあなた達を見守っています。
お母さんはお父さんを恨んでいますか?
いいえ、むしろ感謝していると思いませんか。
懸命に尽くしてくれたのですから。
一緒に生きてきたのですから。
あなたにも感謝しているでしょう。
お母さんの為に早く楽になってもらおうと願ったのですから。
でも、お母さん、ひとつ悲しんでいませんか。
家族がバラバラになったことです。
自分が病になったせいで家族がバラバラになっていると責任を感じているのではないでしょうか。
私には詳しい事情は分かりませんが、気持ちが分かり合える、許しあえる、それがお母さんが作ってきた家族ではありませんか。
すぐには許せないかもしれませんが、怒りに支配されないよう、ゆっくり考えてみて下さい。
質問者からのお礼
聖章様、お忙しい中、優しいお言葉ありがとうございます。読んだ瞬間に自分のわだかまりと事の核心を突かれた事で涙が止まりませんでした。
父が一番悲しんでいた。
まさにそうでありました。
そして母はいつも「家族みんな仲くね」を私達に諭してきた人。
父と母の気持ち、そして自分がこのわだかまりとどう向き合い生きていけば良いか、ゆっくり心を整理していきたいと思います。
ありがとうございました。
聖章様、お忙しい中、優しいお言葉ありがとうございます。読んだ瞬間に自分のわだかまりと事の核心を突かれた事で涙が止まりませんでした。
父が一番悲しんでいた。
まさにそうでありました。
そして母はいつも「家族みんな仲くね」を私達に諭してきた人。
父と母の気持ち、そして自分がこのわだかまりとどう向き合い生きていけば良いか、ゆっくり心を整理していきたいと思います。
ありがとうございました。