人生の決着をつける
私は今死ぬことについて悩んでいます。というのも、ある本を読んで「人は確実に死ぬにもかかわらず、その恐怖から逃げる為に死を連想する物事を日常から遠ざけてきた。本当によりよく生きるなら、自身の納得のいく終わらせ方を考えるべき。」という旨の文章に感銘を受けて、それ以来自身のやるべきことを放ったらかして自分で自身の息の根を断つことばかり考えるようになったからです。
私がなぜここで相談しようと思ったかと言いますと、身近な人に相談しようものなら確実に反対されることが目に見えているからです。
私は、今のところ他人から見て不自由な生活はしていないと思っていますが、これまでただ死ぬのが怖いという理由だけで勉強を頑張ったり体を鍛えたりするばかりで、夢のない生活を延々と続けています。そんな中先述の文章に出会った、「死の権利を自由に行使する」という人生で初めての夢が出来て、しかも運良く自身の満足のいく死に方を見つけたことで今すごく充実した気分で生きています。
‥ただ一つ気がかりなのが、両親や数少ない友人といった私が死んだ時に残された人たちの気持ちです。
私の満足のいく死に方というのはぶっちゃけ自殺の一種にあたるやり方で、一応人に迷惑をかけるつもりはないのですが、それでも私が事情を説明せずに突然死ぬと両親や友人に影響を及ぼしてしまいます。かといって、馬鹿正直に自分の夢について説明したら、絶対反対されるとも思っています。だからといって、他人の為に興味ない生き方をするのは生殺しにされているようで凄く嫌です。でもでも自身の夢だからって人に迷惑かけていいのかなぁ‥
こんな感じで中途半端に人の心が残っているせいか、自身の夢と他人への影響のジレンマで悩んでいます。
一応自身の見解としては、「生殺与奪の権利を握られるくらいなら、自身で決着をつけたい。たとえその為に人が死ぬとも、例え地獄で残酷に裁かれようとも。自分の意思を貫くなら今じゃあないのか。」といった自己中の極みみたいな結論に至ったのですが、一応取り返しのつかない事なので相談してみたいと思い、文章をしたためることになりました。
あまりにも生物として気の違ったような質問で申し訳ないですが、何卒ご返事の程宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
質問ありがとうございます。
あなたの意見を否定しているわけではありませんが聞いてください。
私はその本を読んでいないので内容は分かりませんが、「納得のいく死に方」という言葉だけ聞いて頭に思い浮かんだことは、「納得のいく生き方ができたから、納得のいく死に方ができる」ということです。
誰にも迷惑をかけずに苦しみを感じずに死ぬことだけでは納得のいく死に方ではないと私は思います。
今のあなたがどのような状況に置かれているのかは分かりませんが、命は自分のためにだけあるのではありません。
半分は自分の為でもいいでしょうが、あと半分は社会の為やあるいはこの先出会う誰か大切な人の為に費やすべきだと思います。
ですから、死ぬことを考えることは悪いことではありませんが、その事だけに囚われずに、どう生きていくかということも考えて欲しいと思います。
どんな生き方でもいいのですから、あなたに合う生き方を探してくださいね。
それを手探りで試行錯誤や失敗の中で探して、それをやり尽くして、その先に、全てやるべき事やりたい事をやり尽くして思い残すこともない本当の納得のいく死に方も可能になるのだと思いますよ。
質問者からのお礼
御回答ありがとうございます。
確かに、真っ当な死という結果の為には、生きるという過程を重視することが大事かもしれません。
ちょっとだけ心が楽になりました。
ただ、やはり親や友人など、死に関してそこまで真剣に考えていない人に気軽に相談するにはあまりにも重い内容なので、また行き詰まったらハスノハにお世話になるかもしれないです。
三宅様も他の方々の悩み、葛藤、愚痴などなどに向き合っていらっしゃると思われます。そのような中でこんな悩ましい質問に答えてくださったことに改めて感謝の言葉を述べさせていただきます。