大叔母が生きる気力を無くしてしまいました。
初めまして。
自分の周りには相談出来そうな人が居ない為、こちらのサイトさんを頼らせて頂きました。
本題ですが、現在大叔母が生きる事への必要性を感じておらず、毎日早く自分と寝たきりで障害のある夫を(あの世へ)連れて行ってくれ、と毎日仏壇へ拝んでいます。
元より勘の強い私に親戚数名から相談を受けました。
大叔母はもう六十代半ばであり、二十歳そこそこの私などでは生きてきた経験も価値観も違います。そんな私がどう言葉をかければ良いのか悩んでいます。
話は逸れてしまいますが、私は高校生の頃に実父を亡くしており、その原因が母の言動にあった事もあって、それ以来母と言うものが信用出来なくなりました。その時弟達の最低限の面倒を見てから私も後を追おうと決意した事がありました。
その気持ちのまま生き続け、弟達が進学や就職を成功させた際にそろそろか、と行動に出ようとした頃大叔母が後追いをする私の夢を見たらしく連絡をくれました。(その時には言われませんでしたが後日夢見の事を言われました。)
その時、説教をするでもなく、後追いを止める訳でもなく、只話を聞いてくれただけでしたが、予定していた決行の日を考え直すに至りました。
実の祖母より私を可愛がってくれた大叔母が過去の自分と似たような気持ちになっていると思うと心苦しい毎日が続いております。
結果、私は大叔母の連絡があった翌日に人生の恩師に出会う事が出来、後追いを辞める道を選ぶ事が出来ました。間接的にではありますが、一番初めに私の後追いを止めてくれていたのは大叔母に違いありません。あの時大叔母からの連絡が無ければ私は心に余裕が無いまま、恩師との出会いにもまともに向き合わず後を追う道を選んでいた事と思います。
歳の離れた私が大叔母に出来ることはあるのでしょうか。
元より世間体を異常に気にする人なので、私からの言葉や行動を受け入れてくれるのかも怪しい所です。
取るに足らぬ悩みかもしれませんが、一言アドバイスを頂けたら助かります。
最後に初めての質問の為、お見苦しい点がありましたら申し訳ありません。
長々と失礼致しました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたの感謝が「生きる力」になると思います。
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あの時大叔母からの連絡が無ければ私は心に余裕が無いまま、恩師との出会いにもまともに向き合わず後を追う道を選んでいた事と思います。
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この感謝の気持ちを伝え、「自分はまだまだ未熟であるから、これからも見守って欲しい。」とお願いなさったら、いくらかでも大叔母さんの励みとなると思います。確かに、長生きをするのも辛いことも多いですが、長生きする中で「生きてきてよかった。」と思えることも有ります。今後、あなたが生きて行く中で、少しでも「お蔭様で、頑張って生きている」「嬉しいことがありました」「目出度いことがありました」そういう報告するだけでも、大叔母さんが生きて行く力になると思います。
大叔母さんの愚痴は介護疲れ看病疲れからくるものと思われます。ケアマネージャーさん等に相談し介護サービスをより有効に使用して、介護看病の負担を軽減できるようにすることも必要かと思います。