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人間不信が治りません

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有り難し有り難し 14

とても長文になります。失礼致します。
長年人を信じることが出来ません。原因がいくつかあります。

1つ目は親の事です。幼い頃母が離婚し現在の父親と再婚しました。父親も再婚です。前妻との子供の方が可愛いようで、普段は絶対に遊びに連れて行ってくれることが無いのに、前妻との子供達の事は毎月1回必ず私たちの住む家に泊まりに呼び、遊びに連れていきます。

こんな状況なのに父親の実家に帰省すると仲のいい家族を演じたいのか、頻繁に話しかけてきて子供ながらにうんざりしていました。

この頃から父親の事は一切の他人として考えていたのですが、高校生の頃父親から性的暴行未遂を受け、男性不信になりました。この父親と母親の間に私と年の離れた弟が産まれた為、生きていく為にも母親は離婚をしません。

2つ目は中学生の頃です。小学生の頃から学校で毎日遊ぶくらい仲の良かった男女の友人達に裏切られました。

この2人とは別に幼馴染がおり、私はその子のことが好きでした。でもその子には好きな子がいたので、迷惑をかけないように言わず仲のいい友人のままでいようと思っていました。
幼馴染がいない所で好きな人の話になり、心を許していた友人達だったので絶対に内緒にするという約束で話しました。その日を境に無視が始まりました。家族の事もありもう何を信じたらいいのかわからなくなりました。

この頃から現在までずっと人の視線がとても怖く、目を見て話す事が出来なくなったり、家族や親しい友人以外の他人と話す時極端に声が小さくなってしまったり、少し離れた場所で話をしている人がいれば私は何かしてしまっただろうかと不安になったりしてしまいます。

社会人になり、就職をしたものの会社の行事でスカートや水着を強要され男性不信と人間不信が加速してしまい2年経たずに退職。

次の職は入社してみると年間10人近く退職するような場所だったようで、年功序列と贔屓が酷く、努力をしても全く報われず、仕事中涙が止まらなくなった事があってから4年で退職してしまいました。

世界にはもっと酷い目にあっている人も沢山いることはわかりますが、正直今自分の人生は一体なんなんだとひたすらに辛いです。

せめて人の視線を気にせず、人の目を見て話せるような普通の人の生活を送りたいのですが、どうしたらいいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一緒にじっくり考えていきましょう

ご相談拝読しました。とても苦労の多い経験をされてきたのですね。

もしかしたら世界にはあなたよりも苦しい経験をしている人がいるかもしれませんが、あなたの苦しみは他の誰のものでもないあなたの苦しみ。それは比べることができないものです。
だから「普通」なんてものは幻想です。あなたはあなたのご縁の中で立派に生きてこられたのではないでしょうか。

さて、ここはお坊さんに仏教の教えやお坊さんの個人的な人生経験などに照らして相談するサイトです。あなたが望む結果を得るためには専門的な心理療法などを受けることが望ましいのかもしれません。ここでは自由に何でも吐き出してご相談いただくことを歓迎しますが、専門的なケアも併せて検討してみてください。

さてさて、私たちの日常生活は基本的には「信」に基づいて成り立っています。「不信」がベースであればいちいち何でも疑い疲れてしまいますね。明日世界が滅びるとは思わないし、明日自分が死ぬとも思っていない。そういう無意識的な「信」を植え付けてくれるのは本来であれば(特に幼少期における)親の存在なのでしょう。この人だけは私を裏切らないという信頼です。

成長につれて親も都合に左右される一人の人間なんだなとわかってくるわけですが、そのころにはすでにベースである「信」が形成されているのでしょう。あなたはその形成過程においてご苦労が多かったのかもしれませんね。

人も人生も出会いで形作られていきます。人との出会い。出来事との出会い。あなたにとってこれは私を裏切らないという「何か」との出会いがあなたに「信」を形成してくれることを念じます。

でもその「信」における「裏切らない」とは「私の思う通りにしてくれる」とは違うのだと思います。私の思いに叶うかどうかは結局私の都合に過ぎません。たとえ私の思いとは違っても私の都合を超えて私を支えてくれるもの、それは私たちお坊さんにとっては仏教の教えです。

あなたにとってもそうした何かがきっとあるはずです。そうしたものに出会い、自らの存在を委ねられたなら、他者への視点も「この人は私の思いに叶うかどうか」ではなく、「自分の思いと違うことを私が認められるかどうか」という自分の問題として受け止められてくるのでしょう。

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個別相談可能
はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生経験も仏法聴聞も、まだまだ未熟な私ではありますが、皆様のお悩みに対し真摯に向き合い、共に悩み共に考えたいと思います。 お話しする内容は「こたえ」ではありません。仏法を聞いてもお金が儲かるわけでも、人間関係に恵まれるわけでも、病気が治るわけでも、何ものにも左右されない心の持ち様が手に入るわけでもありません。 仏法の救いとは悩みが私の思い通りに解決することでなく、どんな悩みも私の現実として引き受けて、悩みながらも生きていけることだと私はいただいております。 悩みを救う(解決する)のではなく、悩む人を救う(悩む私という存在を引き受けていける)のです。 「こたえ」ではなく、「問い」を共有することで、悩み苦しみを引き受けて生きていける一助となれれば幸いです。 【回答について】 後から読み返し、誤字脱字に気づいた際は訂正を入れます。訂正ではなく、お礼コメントへの返信のため追記する場合はタイトルに〔追記あり〕と記載します。 なお、タイトルも本文も字数制限があるため際限なく追記できないこともご承知おきを。
基本的には平日13時~15時のみ対応可能です。お寺の行事、急な法務で対応できない場合もあります。

質問者からのお礼

お返事頂きありがとうございます。
家では普通に父親以外とは日常会話が出来る為病院なんて大袈裟だと言われていたので、どうしたらいいんだと訳がわからなくなっていましたが、一度診療を受けてみようと思います。
聞いてもらい、回答まで頂けた事で心が少し軽くなりました。本当にありがとうございました。

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