自分が嫌い
昔から叱られることが怖くて、とにかく怒られることは避けて、良い子に振る舞って生きてきました。
自分には、間違えることは悪いことだという考え方が染みついちゃってるんだなと、最近気づきました。
理想的な人柄、性格、でないとダメだと思ってしまっています。
それによって、完璧でない自分や周りの人のことを嫌に思ってしまいます。(全てが理想通りでないのは悪いことじゃないのに。)
そのせいで、周りの人と心を開いて話すことができず、また、相手からも心を開いてもらえず、あまり仲良くなれません。
自分も、周りにいる人のことも認められず、いつも周りの目を気にして生きている自分を変えたいです。
どうしたらいいでしょうか。
お言葉よろしくお願いします。
(お時間があれば、私のプロフィールにも目を通したうえでご回答いただけると嬉しいです。図々しくすみません。)
自己嫌悪 ネガティブ志向 怠慢
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分を受け入れ、他人も受け入れよう
拝読させていただきました。慈陽院の平本と申します。
今回は、自分を変えたいということで、どうしたらいいかお悩みになっている感じでしょうか。
まず、間違えることがよくない、悪いことである、という考えは、学校の勉強の点数が高いほうが良い、点数が良くないのが悪いという考えが原因なのではないかと思っています。
しかし社会人に大人になればなるほど、思い通りにならないことがたくさんあり、失敗することが多くなってきます。
しかし失敗から得ることは、たくさんあります。
失敗を反省して次に活かせれば、自分の中の引き出しが一つ増えるのです。
ピンチのときの対処マニュアルが一つ増える感じです。
これを多く経験している人は、あたかも完璧な人に見えてしまいますが、完璧と見える人ほど、多くの失敗と苦労を乗り越えていると思います。
次に、人は自分の価値観から、はみ出てしまう人に少なからず嫌悪感を抱くと思います。
しかし世の中には、色々な人がいます。
色んな人がいるということは、面白いという側面と、面倒くさいという側面があると思います。
面白いと思える人は、色んな人を受け入れられる人です。つまり多様性を受け入れられるということだと思います。
しかし面倒くさいと思う人は、自分の価値観からはみ出ているので受け入れられない。つまり画一的ということだと思います。
もし、色んな人から受け入れられたいと思うなら、他人を受け入れればいいと思いますがいきなり受け入れることは、難しいと思います。
そういう場合には、将来自分は、どういう人間性ある大人を目指すか考えてみてはどうでしょうか。
思いやり、優しさ、気づかい、などの人間性が人間の根底でとても大事な部分であると思います。
そういう人間の芯となる部分を磨いていけば、色々な人を受け入れる優しさを育むことができ自ずと性格が変わってくると思います。
うまく伝わったか分かりませんが、参考になれば幸いです。