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やることたくさんあるよ〜。

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やることがたくさんあるけども

こころも身体も疲れきって動けない。
そんな時、和尚さんはどうしますか?

頑張って動かないと…。

2019年11月27日 18:02

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

燃え尽きれば、元も子もない。

”こころも身体も疲れきって動けない“
疲労だろうが病気だろうが、動けんものはやっぱり動けんものです。
だから、動けなくなってしまったのなら、仕方がないので思いきって休みます。

それ以前に、車の運転が上手な人ほどカーブで余力を残しておくように、何事も若干の余裕を持って取り組みましょう。もちろんF1レースのように全力で攻めねばならぬときもありますが、また次に繋がるように、明日もまた今日と同じようにパフォーマンスを発揮できるように備えておく事も大切にしましょう。

頑張りすぎ、頑張らなさすぎという両極端は、【中道】を歩めと教える仏教の最も嫌うところであります。

2019年11月27日 23:00
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有り難し
おきもち

となりのトトロの世界のような山奥の田舎の小さな小さなお寺の住職をしています...

シンプルゆえの強み

拝見いたしました。

まずタスクを全て書き上げた後、私は優先順位をつけます
そして取り掛かる時に、目標と時間を決めます。

例えばある本を読みたい、としたら「50ページまで読む」という目標と「30分」という制限時間を設けます。
もし時間内に目標達成できなくても構いません。次のタスクに移りましょう。
そうすることによって、優先順位をつけた威力が発揮されます。

優先順位、目標、時間。
この3つをセットにすることはシンプルですがそれゆえに汎用性が高いので試してみてください。

2019年11月27日 19:22
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有り難し
おきもち

「お坊さんのことを知りたい」問答一覧

お坊さん達ではどう実態の話をしてますか

私は般若心経に影響を受けています。 ここに机があります。私達はこれが無いと知っています。誰かが、それは机でそこにあって、木で出来ていて茶色で硬いと言います。 私にも茶色に見えるし、ぶつければ私は痛いです。 でも、やっぱり茶色は無いし、机もないし、私も無いです。 それでも痛いのは嫌で、そこに机があると考えて生活します。でも、あらためて眺めると、やっぱり無いです。 強いて言えば、さっきまであった、と言うかなと思います。でも、無いから『さっき』と言うのもいま言ったけど変だと思っていて、さっきも無いんだけど強いて言えばにすぎず、とにかくいま、机は無いよ、と思います。 私達はそこに水色のティーカップが見えていて、私にも見えています。でも、無いし、としか言いようがないく、水色もない。強いて言えば、その子が自分を水色と思っているでしょう、私もそれを水色と思っています。でも、そこに水色は無いと私達は知っています。 私達は、と言ったのは、きっと同じ話をしていると思っていますが、お坊さん達の間では違うのか、聞きたいと思いました。どこかは違うと思います。 その子の水色が無いと知っていますが、その子が「私、水色でかわいいの」と言ったら、ああ、水色だよ、それにかわいいよ、と言うと思います。 私は無いです。神も無いと思っています。私がいたら神もいる、私が無いなら神も無いと考えています。両方ある、と両方ないのどっちかしかないと思い、ところで実際どっちも無いよねえ、と思います。お坊さんはこう言っていないと思いました。 目の前に、机があり、傍らにまた水色のティーカップが見える、でも私達はこれが無いとしか見えないと思います。 私は、ひょっとして自分は時間の話をしているのかなとよく思います。 時間の話であれば、さっきと呼ぶものもなく、今机があるという事も起きていません。 今そこにあるという概念がなく、この机に対して机があると言える事実はなく、とにかくえんえん無いんだが、と思ったり仏陀は荒唐無稽で精神世界に限った話をしたのでは無さそうに思ったりします。 あると思っていて、としか言いようがない机をまた見て、もう無いとしか見えないし、ところであらためてそこに机があると言ってみる必要あるんだろうか、言わなくていいと思う、と考えたりします。私は時間の話をしているのでしょうか。 お坊さん達は違う話をしていますか?

有り難し有り難し 19
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修行したお坊さんは平常心でいられますか?

僕には子供の頃から17年飼っているペットの猫がいます。 僕にとってはペットではなく、親友でありかつ手のかかる子供のような存在です。 ですがいい年なので色々な病気の兆候が出てきています。 食欲があるのに歯周病の歯が痛くてゴハンが食べれない、でも高齢なので麻酔して抜歯することも腎臓の数値が高いのでできない。 辛そうにしているのを見ると僕もとんでもなく辛い気持ちになって、もっとしっかり歯みがきしてあげてたらとか一日中そのことを考え他のことが手に付きません。 そこで僕は仏教に救いを求めたいと思いました。 と同時に修行したお坊さんなら同じ時ほんとに平常心でいられるのかな?って疑問に思ってここに書き込みました。 仏教は事実のみに親しむと聞きました。つまり苦しんでる大切な存在を見て、できることがなかったとき、できることがないのだからそのことに対して不安になることもなく、一日中考え続けることもなく、そのことは置いといて平常心でいつもと変わらぬ日常を送れるのでしょうか? そうなりたい反面、それってちょっと人間味に欠けて悪く言えばサイコパスなようにも見えてしまいます。

有り難し有り難し 17
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