私は小さい頃から、悲しい事や辛い事があると、しみじみ考える事があります。
どうして生きるんだろう、
最近自分なりに答えを探ってみて居るのですが、くだらない理由しか思い浮かびません。
親を心配させない為、とか、周りの人が悲しむから、とか、
別に自殺願望がある訳ではありません。
素朴な疑問です。
親や友人に相談すると、変な勘違いをされてしまいそうで、誰にも相談した事はありません。
今の生活はとても楽しく、満足しています。
でも、何処か他人に気を遣って、他人の為だけに生きているような気がしてなりません。
それで良いのでしょうか。
拙い文で申し訳ありませんが、是非答えていただけると嬉しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まことに恐れながら
生きる意味は、当人にしかわからないのです。
あなたのそとに、その答えはありません。
あなたのこころにしか答えはありません。
でも、そういわれても、と思われると存じます。
ひとつの助けとして、中島みゆきさんの「糸」という詩があります。
(載せていいのかわかりませんが、、、)
なぜ めぐり逢うのかを
私たちは なにも知らない
いつ めぐり逢うのかを
私たちは いつも知らない
どこにいたの 生きてきたの
遠い空の下 ふたつの物語
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かを
暖めうるかもしれない
なぜ 生きてゆくのかを
迷った日の跡の ささくれ
夢追いかけ走って
ころんだ日の跡の ささくれ
こんな糸が なんになるの
心許(もと)なくて ふるえてた風の中
縦の糸はあなた 横の糸は私
織りなす布は いつか誰かの
傷をかばうかもしれない
縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に 出逢えることを
人は 仕合わせと呼びます
わたしたちはそれぞれに糸をもって生まれ、
その糸が多くのひとたちと触れ合ったりすることで、
結ばれていきます。
しかし、あなたの他の人達の糸には、
あなたが望まなかった色の糸があったり、
長い、短い、太い、細い、いろいろな性質の糸があって、
それは容赦なくあなたという糸に結ばれます。
それは、あなたにとってはもしかしたらつらいことに
なるかもしれません。あなたにとって苦しいことに
なるかもしれません。
でも、そうして出来上がった「布」は、いつか誰かを
あたためたり、傷をかばってあげることが出来るのです。
この詩は、よろこびだけが「仕合わせ」だとは言っていません。
もちろん「苦しみ」だけが「仕合わせ」だとも言っていません。
両方があって仕合わせの糸は編まれていくのです。
わたしは、いま生きる意味を見つけることは
出来ないと思っています。
わたしにできるのは糸を編むがごとく、多くの出会いを
楽しみながら「いまを生きる」ことです。
いまは善し悪し共に沢山の出会いをし、味わっていくことで
いつかそれがだれかのための「布」、すなわち意味に
なることを願い、お互いに生きていけたらと思います。
あなたにさちあれ。さちあれ。合掌
うめこさんに限らず私も含めた人間は、
「どうして生きているのか。」
「何のために生きているのか。」
どうしても考えてしまいます。
私達人間は、何か目標・目的がないと「むなしく」感じてしまうようです。
だから人それぞれ、自分自身が生きている意味、目的を必死に見いだそうとします。
ある人は「親のため」「家族のため」「子供のため」。
ある人は「本当の自分を知るため」「仏教に出遇うため」
ある人は「お金のため」「生活のため」「愛のため」
どれも正解だし正解じゃないとも言えるんだと思います。
仏教では、(私が所属する宗派では)
「どうして生きるんだろう」と思ってしまうこころ、考えてしまうこころは「煩悩」ですよ、と言っています。
煩悩は”一生”無くすことは出来ませんよ、と言っています。
「死後の世界はあるのか?」という問いと同じように、
考えても考えても答えは”一生”出ませんよ、という事を言っています。
考えても無意味ですよ、という事を言っています。
答えなんてきっとないんですから。
それよりも、私が生きていくために、「今すべきこと」を精一杯やったほうが意味がありますよ、
という事を言っています。
犬、猫、ねずみなどの動物は、えさを食べないと死にます。
だから必死に、精一杯「今すべきこと」つまり「えさ」を求めています。
人間の社会はかなり複雑になっていますが、基本は動物と一緒です。
生まれて、学校に行って勉強したり、みんなと遊んだりて、進学して、仕事を見つけて、結婚して、子供を育てて、働いて、歳をとって、縁尽きたときに死んでいく。
その時その時「今すべきこと」をやって死んでいく・・・。
人間に限らず、あらゆる生物が生まれてきた理由や目的なんて無いと思うんです。
「生まれてきたから生きる」
ただそれだけだと思います。
しかしながら、その「今すべきこと」をするために、意味を求めること、理由を求めることは、決して悪いことでは無いと思います。
うめこさんはまだ10代。
「どうして生きるんだろう」と今のうちに精一杯悩むことが、
今すべきことなのかもしれませんね(^_^
うめこさんが自分なりに出された理由、決してくだらなくはないと思います。
ちなみに、当面の私の生きている意味は、
「愛する妻のため!」という事にさせてください。
仏教的に言うと、魂は輪廻転生を繰り返します。
あなたさまがどこの世界からきて次にどこの世界に
生まれ変わられるのかは私にはわかりません。
ただし、何等かに目的をもってこの世に人間として、生まれてきたのです。
それでは、その目的は何かというと「気づき」だと思います。
ああこんな自分だったのか!とか、こんなところは直さないといけないなとか、
お粗末だなとか、意外と自分はいいことろがあるね。とか、
あなた様が、まさにおっしゃるように、嫌なことがあったとき、
ご自身の思うようにならないときは、
なぜ生まれてきたんだと考えるのではなく。
それこそが生まれてきた理由と目的を考える場なのではないでしょうか?
ご両親や他人のためではなく、ご自身の魂の成長のための修行の場がこの世だと思います。
お釈迦さまはインドの王子さまでしたが29歳で出家され激しい修行ののち、35歳で悟りを開かれました。
何で生まれてきたんだというお気持ちを、私が生まれた意義と目的について、
考えてみるという方向に転換されたら如何でしょうか?
今は見つからなくとも、何十年後かに自分自身に気付くことが必ずあります。
あなた様が素晴らしい人生をこれから歩まれることを祈念しています。