人生後半の生き方回答受付中
50歳を過ぎ、何を目的に生きていけば良いのか、考え出すと精神不安定になります。子供は家を出て、今は一人で生活しています。仕事は特に大きな不満なくやれていると思うのですが、休日になると人目を気にして思うように行動できなくなります。街に外出や外食で息抜きができればいいのですが、いい歳したおっさんが一人で行動しているのを他人から見られているような気がして、引け目を感じて行動できなくなります。人の集まりに参加するのも億劫に感じます。もっと積極的になりたい、と願うのですが、休日はいつも本を読んだり、人の少ない山に出かけたりと、他人と極力会わない行動を選択してしまいます。そういう行動ばかり選択する自分にいつも嫌気が差します。なので、仏教や心理学の本を読んで気持ちを落ち着かせるやり方を学ぼうとしているのですが、なかなか定着しません。いつか仏教でいうところの悟りを得て心を安定させたい、と願う次第です。
このような感じで、この先の人生を安定して過ごしていけるのか、不安になる事が多いです。そもそも年を取ったら行動が制限されるのは一般的で、贅沢な悩みなんでしょうか。皆さんはどうされているのでしょうか。人生後半の生き方について、アドバイス頂けたら有り難いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
わたしに生まれたことを感謝できる生き方を。
拝読させていただきました。
ある一定の事を成して来られた人びとの人生観には、若いときより余生を楽しむ方が多いものです。
それは初めて余裕という宝が心に入ったからこそ今思える心境であると思います。
釈迦は正しい教えを知らないで100年生きるより正しい教えを知って一日生きることの方が遥かにすぐれている。と真理を説きます。
それはグローバルされた世界の事情や現代社会の倫理や道徳を体得することが正しいといっているのではないのが仏教の立場です。仏教では不変であるどの時代においても変わらない大切な教えが真理であり、常に作動している心の理を観る心理とは違いはあります。
仏教でも源は釈迦といえども宗派があるように思想にも多少なりとも教理の把捉は異なります。
日本でも平安や鎌倉、室町時代により思想を釈迦の教えに沿いながら変化を適応しながら活かし生き延びている現代仏教です。
特に真言宗(密教)では、『大日経』と『理趣経』を重んじ、中でも『大日経』における「如実知自心」を重きとします。
これは、如実(ありのまま)自分自身の心(自心)を知ることであり、人びとは目まぐるしい社会(予定に縛られたり、世間の在り方に縛られたり等)に束縛されながら人生を探し終えていきます。ようは社会時間の奴隷なのでしょう。
しかし、世は諸行無常といえども自分を見つめる時間を作らず、人生はこんなもんだったと最期を迎えます。
タイトルに記しましたことは、昨今急逝されました中山美穂さんの「ただ泣きたくなるの」の詩の一節から述べたものです。
「わたしに生まれたことを感謝できれば」
これは深奥な仏教の理に適した如実知自心のことであり、生まれくるものすべては幸せになるために生まれてきたのだと思いたいのが人生です。そのためには自分よがりではない自分を知ることが悟りへの入り口となります。『秘蔵宝鑰』第八住心と空海は説きます。
ご質問の中に「何を目的に生きていけばいいのか」とあります。
かの画家であるピカソは
「生きる意味とは自分に与えられた才能を見つけること。そして生きる目的とはその才能を他に分け与えていくこと。」と述べます。
この言葉も真理であり、目的の前に自分自身の在り方(才能・本当の自分)を知り、その才能を他に分け与えていくことを目的とすることを説きます。
文字数に限りありますが、そらさんは僧侶に向いています。
質問者からのお礼
大変貴重なご助言、有難う御座います。理趣経は一度読んだことはあるのですが、秘蔵宝鑰は初めて聞きました。読んでみようと思います。実はピカソも大好きでして、自分のできる事で人に尽くせればと思いました。自分自身をもっと知るために努力していきたいです。有難う御座いました。