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褒め言葉?お世辞?素直に喜んでもいいのか

回答数回答 2
有り難し有り難し 30

昔からよく「癒される」「いい人」と言われるのですが、褒め言葉として素直に受け取ってもいいものかと悩んでいます。

小学生の頃は友達同士で交換するプロフィール帳などの「いやし系」のところによく名前を書かれ、高校生の頃もクラスメイトや部活の子に「一緒の教室にいてくれると空気が和む」などと言われながら過ごしてきました。
大人になってもそれは変わらず、新入社員の頃は同期に「のんびりしてて一緒にいると落ち着く」と言われ、アラサーになった今でも「おだやかでいつも落ち着いた人」と言われ、先日はたまたま立ち寄った飲食店でまで年配の女性スタッフの方に「こんなにゆったりやさしく笑う人はじめて見たわ、ごめんなさいね、お客さまなのにこんなこと言って…」と言われて驚きました。
ブログもやっているのですが、「おだやかなお人柄に惹かれました」という内容のコメントをよくいただきます。

見た目としては女性にしては大きめの165cmでスポーツもやっていたため肩幅も広く、つり目で眉毛もしっかりしています。小柄でたれ目のふわふわ可愛らしいタイプとはかけ離れており、どこに癒される要素があるのかと自分ではよく分かっていません。
また後輩や年配の方にはよく好かれますが、とろとろしているのが目立つのか、同年代や先輩といった方たちにはよく嫌な顔をされたりいじめなどもされてきたため、喜んでいる場合ではなくもっとスピーディーになった方がいいのではとも悩みます。

こういった褒め言葉は自分だけのものではなく、誰でもよく言われるお世辞なのでしょうか。うれしい気持ちになる反面、それが原因でいじめられてきた過去もあり、素直に受け取って喜んでもいいのかと悩んでいます。
本音としてはいつでもおだやかに笑っているような、やさしくあたたかい人でありたいです。

小さな悩みですが、さまざまな思いや過去がぐるぐると交錯してしまい、なかなか答えに辿り着けずにいます。こう考えるといいよ、というヒントのようなものがありましたら、お知恵を貸していただけますと幸いです。

2024年12月16日 10:50
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

泥の中でも汚れないのが蓮であります。

拝読させていただきました。

癒し系のは確かでしょう。
しかし、そのように思われていない人びとにとっては"自分もそうなれたらいいのに"と心では思っているけども素直にならないのが大人であり自尊心であり先輩であるからでもあることです。

いわゆる嫌がらせなどをしてくる人は「嫉妬」から嫌味的な発言をしてくる攻撃的になっているのでしょう。
それは何故なのか?なぜ起こるのか?嫌がらせをしてくる人にをお答えしておきますね。
「自分にもっていない素質や才能を羨ましく潜在意識が感受し、無意識が煩悩となり当人が苦悶しているのです。そして、他人を否定しないと自分らしさを保つことができない精神力の弱さからでているのです。」

人は強くありません。学びは大切ですが、社会人になると大人の自覚がかえって学ぶ姿勢を失い、「驕り」「傲慢」と化していきます。
人生は生涯修行と思いながら生きるのことが人生を味わえることに繋がります。

わたしたち僧侶は基本修行中は食事のときは会話はしません。肉や魚など生きとし生ける命をいただいて生かさせていただいていることを感受しなければならないからです。
一般的には会話をするために食べ物(アテなど)を犠牲にして、「楽しかった」などと食事の大切さに欠如しています。そんな日本国では世界でも2位に位置するほど食品ロスとなり、その捨てる食材だけで6カ国の人びとが救われると言われています。

日本はまだまだ豊かです。変な事件も増加していますが、情報社会であることから見聞する機会があるだけで、犯罪などは実は横ばいで同数です。

ぽここさんの存在は多くの人びとを癒せる御方ですので、これからも周囲の汚れた環境にいようとも、清らかな心を汚すことなく貫いてください。それを四字熟語でこのようにいいます。
『泥水の蓮』
泥の中にいる蓮は、釈迦は人生も同じなんだと説きました。汚れた環境の中でこそ、ブレることなく生きれば立派であり、実際に蓮は、綺麗な水では小さな花しか咲きません。濁れば濁った泥水の中から真っ直ぐ茎を伸ばし咲く蓮の葉は、大きな花が開花します。

辛いとき、愚痴を吐きたいときはいつでもhasunohaへ立ち寄ってください。

参考程度までに。

合掌

2024年12月16日 11:55
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有り難し
おきもち

祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは正しい道しるべであります。 選択肢が多い世の中になり、何が正解であるのか?すべて正解であります。しかし、人は損得で判断するのでなく、正しいか正しくないかで判断する人間であることを説いていきます。 ※電話相談は受け付けませんので、あらかじめご了承ください。

イヤなことをしっかり断れるなら大丈夫

ご質問拝見しました。

ご質問見る限りでは、悪い印象は無いですよ。ぽここ様が本当にほしい言葉かどうかはわかりませんが、雰囲気から醸し出されるものは他の人にはない強みとして受け止めて問題ないと思いますよ。

ただ、癒し系だから何でも押し付けられたり、断りきれないだろうと甘えられたり、いい人ではなく都合のいい人扱いされたりすると、精神衛生上よくないので、嫌なものはイヤ。メリットないことには丁重にお断り申し上げることもしていいです。

生き急いだりせっかちになる必要はないです。
ご自身の魅力はどうかそのまま大切にしてくださいませ。

2024年12月16日 11:47
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有り難し
おきもち

僧侶として長い時間を過ごしてきましたが、 四十年以上経った今でも、言葉や文字にできない思いはあります。 どんなに経験を重ねても、 世の中で起きる出来事や、自分の中に生まれる感情のすべてを きれいに整理して表現できるものではないと思っています。 だから、うまく書けなくても安心してください。 ここでは、無理に言葉を整えることよりも、 いったん息を整えて、静かに耳を澄ますことを大切にしています。 まとまりのない文章でも、途中で止まってしまっても構いません。 言葉になる前の思いが、そのまま置かれてもいい場所でありたいと考えています。
特別な準備や、上手に話すことは必要ありません。 このオンライン相談の時間は、あなたのために差し出された時間です。 話すことだけが人生の目的ではありません。 言葉が浮かばないときは、 ただ呼吸に耳を澄ませる時間として過ごしていただいても構いません。 日常の中で受けている外からの抑圧やストレスから、 ひととき身を離れるための「避難の時間」として この場を使っていただくこともできます。 僧侶である私は、何かを答える人というより、 あなたがこの時間を安心して過ごせるよう、 静かに同席する存在でありたいと考えています。 話がまとまらなくても、途中で止まっても大丈夫です。 この時間が、あなたのペースを取り戻すきっかけになれば幸いです。 なんまんだぶつ。

質問者からのお礼

・泰庵 一法さま
こんにちは、相談に乗っていただきありがとうございます。
「雰囲気から醸し出されるものは他の人にはない強みとして受け止めて問題ない」「生き急いだりせっかちになる必要はない」とのこと、ありがとうございます。
気がつけば理由も分からないまま漠然とした焦燥感を抱くようなことも多かったので、ゆっくりそのままでも大丈夫という力強いエールをいただけてほっとしています。
あと数ヶ月で30歳という節目の年になりますので、これからの人生はそういった面は自分の個性として磨いていこうと前向きな気持ちになりました。

また断る勇気も大切であるという教えもご教授いただき、ありがたいばかりです。なんとなく泰庵一法さまに見通されたような気もしますが、お察しのとおり断ることが苦手で選択肢として避けてきた人生のため、これからは「断り方」も自分なりに学び、身につけていこうと思いました。

昔からなんとなく「ふにゃふにゃした生き方だなぁ」と悩んでいたのですが、マイペースを個性として磨き、また断る勇気を持つことでしっかりと芯のある人になれそうかも、とだいぶ前向きな気持ちになれました。相談してみてよかったです。
このたびはご回答いただきありがとうございました。心より、感謝の気持ちでいっぱいです。

・法源さま
こんにちは、相談に乗っていただきありがとうございます。
「泥水の蓮」という四字熟語はお恥ずかしながら初めて知りまして、自分でも言葉の意味や蓮の花についていろいろと調べてみました。
黒く濁った泥水の中で育ちながらも決して泥のつかない高い位置でまっすぐに堂々と美しい花を咲かせ、天からの水もしたたかにはじく凛とした蓮の立ちふるまいに感激してしまい、こんなにも素敵なお花だったのかといくつも写真を見てしまいました。
また泥のことを見下すのではなく、同じ土地で過ごす仲間として、命が尽きるまで共に寄り添って生きる優しさにも惹かれてしまい、蓮という花がとても好きになってしまいました。

嫉妬の気持ちが湧き起こる心のしくみやお食事のお話、食品ロスや情報社会のお話など、どれも簡潔でありながらもいろいろと考えさせられるものばかりで、法源さまからの回答を何度も読んでは自分なりの答えを探る時間を過ごさせていただきました。
特に食事に関しては最近自分も思うところがあり、会話をしたりスマホを見たりしながらのついでの食事ではなく、命のありがたさや器のうつくしさ、食材の味や香り、季節感など、もっとそういったことに向き合いながらいただいた方がいいのではと考えていて、ぜひ法源さまのお考えも取り入れたいと思いました。

このたびはたいへん学びになるありがたい回答をありがとうございました。蓮の生き方から学べることの多さにおどろき、自分もこんな風にやさしくしたたかに生きたいと前向きな気持ちになりました。「泥水の蓮」、ぜひ人生の座右の銘にしたいです。
また悩んで立ち止まってしまったときには、こちらのhasunohaで相談させていただきたいです。ありがとうございました。

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