優しさを受け入れる事
いつも大変お世話になっております。
何度も大変申し訳ありませんが相談させて下さい。
毎回ではないですが、私は周りからの優しさを素直に受け入れる事が出来ない事があります。
例えば相手から褒められたりしても、本当は私を馬鹿にしてるのではないか等と疑ってしまいます。
先日、仕事後で帰りが遅かった私の為に妹や母が料理を作ってくれました。
しかし、太りたくない気持ちが未だに残っている私は内心嫌でしたが、摂食障害の私の事で妹と険悪になったり母に心配かけたりしたので食べました。
嬉しかったですし美味しかったですが、太りたくない気持ちが強く素直に受け入れる事が出来ませんでした。
食事しか楽しみしかないのですが、太る事への恐怖と食べたい気持ちとの葛藤の毎日で辛いです。
そして結局は、過食してしまうので自己嫌悪になり尚更辛いです。
また、職場では上司が私の病気を知り勤務を負担がない様に配慮してくれたり、病院に行って休職する道もある事を言ってくれました。
しかし、本当は上司は迷惑な私を辞めて欲しいと思っているとからだと思ってしまいます。
心を広く相手の気持ちを素直に受け入れたいのに、自分に自信がない私は疑ってしまいます。
長文で支離滅裂で誠にすみませんが、何卒御言葉を宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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裏切られても構わない、と達観すること
夜分遅くに申し訳ありません、拝見いたしました。
私も昔は相手の優しさを素直に受け入れられないタイプだったので、お気持ちよく理解できます。
今回は、私がこの性格を直すことができた、私自身のある学びについてお話しさせてください。
はじめに一言で結論を言ってしまいましょう。
優しさを受け取ることができないのは、相手を信頼していないからです。
当時の私自身も同様に悩んでいたので、深掘りすることにしました。
どうして優しさを受け入れられないのか。
それは「建前としての綺麗事で、本音は別なのでは?」という無意識の疑念が湧いているからだということに気づきました。
私は「かっこいいね!」と言われたら「皮肉か?」と勘ぐるような人でした。
では、なぜ本音だと思うことができないのか。
それは自分が期待して裏切られることが怖いからです。
自分自身をダサいと思っていたのに、「かっこいいね!」と言われてそれを信じて生活していたら、またどこかで「ダサい」と言われてしまった。
こんなことが昔あったので、人のいうことは鵜呑みにしてはいけないだ、と思っていたのです。
しかし、この考えだと本音で語っている人を嘘つき呼ばわりしていることになります。
言い換えれば、相手を傷つけているのです。
想像してみてください。
あなたが「好きだ」と伝えても「嘘だ」と言われ続けることを。
これではいつの日か、本音を伝えることが億劫になってしまいませんでしょうか。
この時に気づきました。
私は自分が傷つきたくないから他人を信じず、かえって傷つけているのだ、と。
つまり、私に足らないものは「傷つく覚悟で信頼する」という気概だったのです。
初対面の人に全幅の信頼を寄せろ、とは言いません。
ただあなたが大切にしたいという人がいるなら、自分が傷つく覚悟で相手を信頼する必要があります。
そうでなければ、あなたの優しさを他人に伝えることはできませんし、他人の優しさをあなたが受け取ることもできないのです。
きっと怖いと思います。
たしかに、傷つく可能性はありますがそれが実現してしまうことは稀です。
それよりも心温まる優しさを受け取ることの方がはるかに多いです。
勇気を出して、次の自分へと生まれ変われることを祈っております。
長文失礼いたしました。
質問者からのお礼
石井様、優しい御言葉ありがとうございます。
次の自分へと少しずつでも変われるように頑張りたいと思います。
ありがとうございました。