コミュ障な自分とどう向き合うか
社会人1年目の者です。最近、仕事をする上で自分のコミュニケーション能力の低さが露呈し、自己嫌悪に陥っています。
私は幼いころから消極的な性格、いわゆるコミュ障で、人と関わる際も受け身に回ることが多い人間です。高校生になってからはそんな自分を少しでも変えたいと思い、人と関わる機会が多い仕事に就くことを目指しました。自分を変えるためにはとにかくいろいろな人と触れ合い慣れることが大切だと考え、接客バイトやサークル活動も行いました。上手くいかないことばかりでしたが、それも経験だと割り切ってなんとかやり過ごしていました。
そして無事、望んでいた人と関わる機会が多い仕事に就くことができたのですが、今では後悔しています。自分から苦手なものに挑戦したって、何も良いことなんかないんじゃないかって思うようになったんです。
私は幼いころから何も成長していませんでした。仕事の同僚たちとの飲み会には毎回参加するようにしましたが、その度に醜態をさらし、今では孤立気味です。今日も飲み会があったのですが、自分に話を振られた際に焦って的外れな返答をしてしまい、沈黙が流れました。こんな自分を他人はどういう目で見ているのかと考えると恐ろしく、なんだかもう疲れてしまいました。どうしても、コミュ障を克服した自分のビジョンが見えないんです。
コミュ障な自分は大嫌いです。でも、それを克服するために人と関わることももう嫌です。コミュニケーション能力は社会人として生きていくうえで必要不可欠なものということは理解しています。でもどうしたらいいのか分かりません。毎晩のようにトラウマがフラッシュバックして苦しいです。どうしてこうなってしまうんでしょうか。私はどう生きればいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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コミュニケーションの本来の目的は…
拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。
今回は、コミュニケーション能力の低さにお悩みになっている感じでしょうか。
人には、必ず得手不得手があります。
運動神経が良かったり、絵が上手であるのと同じようにコミュニケーション能力も人それぞれであると思います。
また人が悩むというのは、理想と現実の差が広がれば広がるほど大きく悩み苦しくなります。
そして理想と現実の差を埋める方法は、2つあります。
1つは、理想に目指して頑張ることですが、理想に到達しなかった場合には苦しみに変わってしまいます。
もう1つは、あるがまま、ありのままの現実を受け入れることです。
これは、理想を捨てる感じに見えてしまいますが、自分の弱さを知り受け入れることになります。
人は、誰にでも苦手や弱さがあります。苦手や弱さを受け入れ、自分の得意を活かせば、違った生き方もできると思います。
またコミュニケーションの本来の目的は、何かを伝えることであると思います。
その上でうまく話す人の方が評価されるのかもしれませんが、どうでしょうか。
仏教ではありませんが、論語にこういう言葉があります。
「巧言令色鮮し仁」こうげんれいしょくすくなしじん
意味:言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳の心が欠けているものだということ。
世の中には、饒舌な人を好まない人も多くいますので、あまりコミュニケーションにとらわれないようにしてみてはどうでしょうか。
またお悩みごとがありましたら、ご相談お待ちしています。
質問者からのお礼
初めまして。お返事ありがとうございます。
回答を拝読させていただき、自分の中の考えが変わったような気がします。私は傍から見て、コミュニケーション能力が高い人だ、と思ってもらうことにこだわり過ぎていたのかもしれません。平本様の仰るようにコミュニケーションの本来の目的は何かを伝えることなのに、外面ばかり気にしていたように思います。
これから心を入れ替えて自分の不得手な部分を受け入れ、その上でできることを精いっぱいやりたいと思います。お陰様で気持ちが楽になりました。本当にありがとうございました。