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善悪とは、どう生きれば?

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有り難し有り難し 25

世の中は陰陽の関係で構成されていますよね?

そこで、わたしが葛藤しているのは、善悪や幸不幸などが見る立場や目線を変えて考えると、善悪や幸不幸がコロコロ変わるという事。

例えば戦争、「武器を作る商人にとって戦争は生きていくために必要なので善」しかし「家族を無意味に殺された人達からしたら悪」このように考えるその人の主張、属しているグループ、見る立場や見る視点、価値観、人それぞれによって善悪がコロコロ変わる、それぞれの善悪の主張が目線を変えるとその立場では正しくなるんですよね。

私はみんなが共通で善だと思う世界にしたいんですよ。
でも世の中、育った環境も価値観、思想、知識も違う、千差万別、陰陽の関係で出来ているので私が人を幸せにすると、間接てきに不幸になる人も出る、もう無理じゃんと、これが、壁として出てくるんですよね。これが一つ。

二つ目が、自分を含めこの世全員の幸せと世界平和が叶って欲しい。でも人間欲がある、財欲・色欲・飲食欲・名誉欲・睡眠欲などなど、これらがある限り世界平和は夢物語。

ならば自分の欲に忠実に生きた方が楽だし、楽しいだろうなと、自己中に生きた方が良いのではと、自暴自棄になっています。

でも、私としては来世の為にも徳分は減るような行為はしたくない、十善戒は守りたいし、経典の思想に則って生きたい。

でも、どうせ現世でみんなが幸せになるのが無理なら、俺も周りの人みたいに自己中になって現世は自分の欲を満たして過ごすかな!という欲 vs 経典に書いてあるような思想にそぐわない、徳分を損なうような事はするな、という構図になるんですよね。

我欲 vs 仏教的思想 心vs脳

これが二つ目。

長くなりましたが、利他の精神で皆んなの幸せを祈る→しかし幸せは人それぞれ、間接的に不幸を祈る事にもなる→仏教思想に矛盾が起きる→アホらしくなる→自己中になる→仏教思想に反するし、来世がろくなことにならない、となる→訳が分からなくなる。これが現状です。

私なりに考えて、利他の精神から起こった純粋な欲かどうかで、自分の欲も他人の欲も、仏教的にも矛盾せず善悪、幸不幸を決めれるのかな?と思いました、又、皆が皆幸せになれなくても、報われなくとも、努力する心が一番大事なのかなと思ったのですがどうなのでしょう。

読んだ感想でも構いません、回答お待ちしています。

2019年12月26日 2:02

この問答を娑婆にも伝える
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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

この世の中は…

拝読させていただきました、慈陽院の平本と申します。

色々と考えているのですね、色々と考え悩むことは、大切なことだと思います。

まず善と悪は、人間が作り出した物差しや境みたいなものです。

仏教では、この世界を「無」「空」であると説いています。

次に欲のままに生きると人は、必ず悩み苦しみます。

仏教では、この世界は何が起こるか分からない世界であり、さらに確実に老いていき、いつ不治の病になるか分からず、いつ死ぬか分からないこの世界では、思い通りにならないことが圧倒的に多いのです。
そして思い通りにならなかったときに、人は大きく苦しみます。

なので心を豊かにして幸せになりたいなら、欲(思い通りにしたい気持ち)から離れることが幸せの第一歩であると説いています。

利他の精神もこの世界の無常の真理(何が起こるか分からない)を知ったうえで、他人の幸福を念じたり、祈ることは、良いことだと思います。

まずは自分の心を豊かにして、自分の手の届く範囲の困っている人の為に動くだけでも良いと思います。

一人一人の心が豊かになり、そして手の届く範囲の困っている人を助けることがのちの争わない世界を作ると思います。

まず全体を見ずに個をみるのがいいと思います。
あと努力する心は、大事であると思います。

またお悩みごとがありましたらご相談お待ちしています。

2019年12月26日 16:10
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有り難し
おきもち

平本 優眞
横浜市神奈川区 東白楽の「倶生山 慈陽院 なごみ庵」という「浄土真宗」の小...

誰かと自分をくらべないでください

初めまして、今晩は。

お悩みを拝見させて頂きました。

煩悩や我と言うものに捕られがちの世の中。人はその煩悩や我に捕らわれてあれもこれも!と求めてしまいます。何が正しく、何が間違えているのか・・理に適う事ではないのに、どうして・・といった世の中になっているようで、凡人の私でも、忘れている何かを正したい!と常に思っています。

お釈迦様も、この世のものごとは全て思うようにならない・・とおっしゃっています。

周りがこうだから、自分も・・ではないと思います。10人いて、10人右を向いて!といわれ・・一人くらいは反対の左を向く人がいてもいいと思います。

先日、銀行で手続きを待つ間、ふと見ると・・誰かが落としたごみがカウンター前に落ちていました。見えているのに誰も見ないふりをして素通りをしていました。そのごみを私はサッとごみ箱を探して入れました。それでも知らん顔でした・・

自分に正直に生きることです。必ず、真面目なその姿を誰かが見ています。

十善戒を守ろうとすること、とても素晴らしいです!

争いごとで使うお金を、平和の為になせ使わないのか・・。

ミサイルなどを作るお金を、生きたくても命の灯を懸命に消えないように生きる人のために何故つかわないのか・・。

私も思い続けています。微力ながら、それでも仏教者として命が尽きるまで金剛石のようにぶれず、動じず、諦めずに出来ることを私はしていきたいです。

どうか、その素敵な心を周りの色に染めず、keyp様の優しく真面目な素の心で歩んで欲しいです。

善きことをすれば、人生は好転していきます。

あなたらしい素敵な人生を仕合せに歩めますように。

合掌。

2019年12月26日 18:34
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有り難し
おきもち

永寛
皆様、初めまして。ストレスの多い現代・・お寺とはご葬儀や法事のみではなく、...

『正しい』

『正しい』とは「一」に「止まる」と書きます。
つまり、本来1つでなければならない。
しかし、ご提起の通り、人はそれぞれの『正しい』を持っています。
拝金主義、能力主義、権威主義…各人が『信じる』物差しによる『正しさ』です。

宗(おおもと)の教え、宗教にもその教えに説かれる『正しい』があります。
仏教、お釈迦様の教えにおける『正しい』は、自分にとって都合の良い悪い、損か得か?、好きか嫌いか?…などを廃した天地の道理『真理』に基づくものです。
ですから、本来であれば、万人共有の『正しい』であって良いはずなのです。

ところが、人とは弱いものだから、つい『正しい』より『楽しい』の誘惑に負けてしまう…
『楽しい』の中に、自分に都合の良い『正しい』を勝手に作って正当化してしまう…
それが『正しい』乱立の仕組みです。

仏教では、この『自分勝手な正しい』のことを『我見』と言います。
お釈迦様の教えの目指すところは『苦悩からの解放』です。
(但し『苦を楽に換える』ではありません。苦楽、善悪、陰陽…のような二元的な考え方ではなく『苦であったもの』を『苦でないもの』に換えるという考え方です。これを『中道(ちゅうどう)』と言います)

『我見』を物差しとしたままでは、いつまでも苦悩の中を流転し続けるだけです。
今『楽しい』を謳歌しようとも、いつかそれが終わり苦悩に変わります。
「今さえ良ければ…」という刹那快楽主義は、後悔しても戻ることのできない過去となり、その原因によって導かれる未来の結果に繋がります。

仏教の『戒律』における「アレはいけない」「コレはダメ」というのは、窮屈さを強要するものではなく…
「苦悩からの解放を目指すのであれば、戒律で挙げることは慎みなさい。でないと、やがてその行為が苦悩となって身に降りかかり、いつまでも苦悩から解放されないぞ」という教えが体系化されたものです。

「後悔する」という経験も、将来重要なパーツとなるかもしれませんが、戒律を守ろうとすることは、信じる『正しい』の実践でもあります。

たとえ数が少なかろうと、信じる力が強ければ、『正しい』は揺るぎません。

どうかご自身の信仰の『正しい』を大切にして下さい。

最後に、布教の役目にある身でありながら、お釈迦様の教えの『正しい』を十分に広めることが出来ていなくて、申し訳ありません…

2019年12月26日 20:45
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有り難し
おきもち

GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...

質問者からのお礼

はぁ〜なる程、解答ありがとうございます!何に悩んでいるのは良く分からずとりあえず、思っていることを殴り書きしたのですが丁寧に答えて頂きありがとうございます!

実際に、私の性格上、自分の幸せより他人の幸せが優先で、周りに困っている人がいたら手助けしたり、私なりにその人が幸せになるような道を提示してみたり、その人その人が喜ぶ事をしてきたつもりなのですが、私が断れなかったり、怒らない為、舐められているのか、どうも、恩を仇で返すような行為をされたり、表面は感謝されていても、欲な部分が垣間見えたり、良いようにただ私が使われるだけだったりと、うんざりでした。
それが思い通りにならず悩んでいたんだなと気づけました、ありがとうございます。

とりあえずまず、自分の心を豊かにしてから、心に余裕が出来たら、利他に励みたいと思ったのですが、やはり性格上、他人を無碍に出来ない、でも優しくしても逆に私が無碍に扱われる、でもこれが無情の真理?なんですかね?笑 めげずに受け入れれれるように、ひとまわり人間的に成長して、心を強くすればいいのでしょうか笑

しかしながら解決の糸口が少し見えた気がします!新たに見識も広がり、良かったですありがとうございました!

回答ありがとうございます!
一緒にするのも失礼かも知れませんが、おんなじ様な方がいて、まだこの世も捨てたものでないなと安堵しております。笑笑

落ちたごみ、めちゃくちゃ共感してしまいました笑笑 
一、二回なら何も思わず拾うのですが、回数が増えるにつれ呆れてしまう、そして悩みにレベルアップしてしまう笑笑 それすら気にしない人間になるように精進致します!笑

今のご時世、不倫が多い、女性の経験人数を自慢したり、そればかりか、経験人数が少ない、もしくは無い人、その他諸々を馬鹿にするなど、十善戒を守るような素晴らしい方々が生き辛い、世知辛い世の中、我ながら捻くれない方がおかしいなと思います笑笑

最後の方にそんな出来た人間では無いのですが褒めてくださり嬉しかったです笑笑
ありがとうございます😊

平本様と、永寛様の二つの意見があいまって、お陰様で悩みが昇華できました、ありがとうございました!

悩んでたのがアホらしいレベルです笑笑

理不尽な世の中ですが、自信を持って金剛石のように強く生きたいと思います🙇‍♂️

最後になりましたが、私からも平本様と永寛様、そして皆様が素敵な人生を仕合わせに歩めますように。

合掌。

回答ありがとうございました!

最初から最後まで、自分に当てはまり過ぎて、あんな事をほざいておきながらと、めちゃくちゃ反省しています笑笑 

ほんとに全部ドンピシャすぎて、どこの文も同じくらい大事な内容で衝撃を受けています笑 自分の悩みと、他人に対する悩み、この根本原因が「我見」を軸に考えた為にあり、全てこれからの派生だったのだと、凄く腑に落ちました。ありがとうございました🙇‍♂️

まだ10代の私が上からで申し訳ないですがお気になさらず!このように着実に私に届いておりますので、私から私の周りへと、少しずつでも確実に広まっています!
これからも私のように我見の世界で迷っている人のみならず、布教によって手を差し伸べて上げて下さい!ありがとうございました🙇‍♂️

GALUCHAT様の幸せとご活躍も微力ながらお祈り致します。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

女子高生コンクリート殺人事件犯人への罰

以前、女子高生コンクリート詰め殺人事件という悲惨な事件がありました。 この事件を知り私は、本当にこの事件の犯人が許せず『司法は少年法で犯人たちを庇ったが、神仏は必ず彼らを罰してくれるはずだ』『因果応報があるのなら、この犯人たちは地獄に落ちるだろう』と願いました。 しかし、事件から数十年経過し、数年前、この事件の犯人がまた別の事件で逮捕されたそうです。 聞けば犯人の一部には妻や子供もいて、しかも『俺は人を殺したことあるんだぞ』と、件のコンクリート詰め殺人事件の話をネタに別の人を脅して再逮捕されたそうですね。 これを聞いて、私は絶望しました。 全く反省していないどころか、むしろあの事件のことを新しい犯罪を犯すためのネタにしていたなんてあり得ないです。 コンクリート詰め殺人事件の被害者の女の子は何の落ち度もないのに凄惨な殺され方をされ未来を断たれたのにも関わらず、犯人には家庭もありのうのうと生きています。さらに反省せず再犯を犯してます。 神仏は彼らを罰してくれないのでしょうか? それから、インターネットを見る限り多くの人たちが犯人に怒りを感じ、掲示板に『死ね』などと発言していましたが、犯人たちは一向に元気です。よく『言葉には言霊の力がある』と言われますが、あれだけ恨まれ『死ね』と言われているにも関わらず『言霊の力』は彼らに届いていないのではないか、と思いました。 『言霊の力』だけでなく『生霊』や『念の力』に対しても疑いを感じはじめました。あれだけの人が怒りを感じているのだから誰か一人くらい『生霊』や『念』を無意識にでも意識的にでも飛ばしていてもおかしくないはずなのに、犯人はのうのうとしているみたいだからです。 これでは、犯人に殺された被害者が浮かばれません。 神仏の罰はないのでしょうか。因果応報はないのでしょうか。言霊の力や念の力、生霊なども全部存在しないのでしょうか。

有り難し有り難し 35
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ターミネーターか人間のどっちかなのか

死刑制度についての質問をさせていただきます。 僕は死刑制度に賛成です。理由は一つで、犯罪への抑止力となっていることと、今までそれで社会が成り立っていたのだから急に廃止することで世の中が混乱するからです。 でも、このままでいいとは思っていません。僕が思う死刑によるデメリットは、 1.刑務官(死刑執行人)への精神的ダメージ(たぶん) 2.死ねば更生するチャンスは二度とない 3.死刑制度は国民の国家に対する甘え 4.死刑囚の国(?)への恨みは他の誰かが相続すること、 つまり殺意は死なないということ →3国家に対する甘えについては、国民が国家に殺してもらうだけでは誰も成長しないのではないかと思ったからです。結局は現状維持で、また同じ苦しみが繰り返されるから、殺人者に共感する能力が育たないまま。 そこで、死刑制度を新しくすることを考えてみました。2と4は変えられないので1と3について解決策を考察しました。 それは、「刑務官(死刑執行人)の仕事が減り、遺族または志願した者が死刑執行代理人となり国の代わりに死刑執行のボタンを押す。代理人は遺族を最優先とすること。死刑執行の一週間前までに5人を死刑執行代理人と決定し、決定してから覆せない」というものです。 つまり、『明らかな人の殺意によって死刑を執行する』という案です。 こう考えた理由は、 A.国に殺人を止める力は無いから。死刑制度は抑止力としてもう限界まで来ていると思う。 B.死刑囚は遺族の悔しさ、怒り、憎しみ、恨み、殺意を真正面から受け取るべきだと思ったからです。(理由は、なにより殺して欲しいと望んでいるのは遺族だから、その殺意が伝わればいずれ更生するための種になるかもしれないから。そもそも国に殺意は無いから。) 前回の問答の後、他の国と比べてみて考え 、死刑が無くても穏やかな国になるが一番いいのではないかと考えました。それに、今ある社会正義は必ず崩れ去るものだと思っています。 でもそんなこと出来やしないので、死刑囚の殺され方なら変えられるのではないかと思いました。僕はターミネーターか人間に殺されるなら人間を選びたいです。(笑) もう何が正しいのか分かりません。 いろいろ間違っているところもありますが、ご回答頂けたら幸いです。

有り難し有り難し 26
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理不尽だらけの世の中で大人になるのが怖い

私は幼い頃から何か違和感があります。 小学校1年生のとき、クラスメイトの一人が宿題を忘れて教壇の前で先生に怒られていました。皆は自分の席に座りその光景を見ていました。勿論わたしも。 すると先生が私の名前を呼び、「〇〇君は悪い事をしたよね?」と聞いてきました。 私は、目の前でまるで晒し物みたいにされているクラスメイトを見て、違和感を覚えました。確かに宿題は先生との約束だけど、一方的な約束だし、わざわざ皆の前で叱り、恥ずかしい思いをさせなくてもいいのではないか、そして、普通は先生という子どもにとって学校での絶対権力者に「悪いことよね?」と言われて首を横に振ることなんてできません。でも私は最期、先生の怒りが落ちる間際まで首を縦に振ることが出来ませんでした。それが小さな抵抗でした。 それからは、なぜ私は生まれてきたのか。 なぜ学校に行かなければいけないのか。 先生が言うことに皆当たり前の様な顔をして従い、疑問を持たないのか。 大人の言うことは絶対に正しいのか。 校則には厳しいのにいじめは見て見ぬふりのか なぜ動物は殺しても罪に問われないのに、人は殺してはいけないのか 心と肉体は殺すのはどっちの方が悪いのか いじめで自殺に追い込まれても何故罪にならないのか 沢山考えるようになりました 私は自分に正直に生きたいと思うのですが、自分がやりたくないことを美化して言っているだけだと言われます。 それはワガママだと言われます。 私は悪口は言いたくないし、したくないことはしたくありません。私の正直に生きるとは、人に対して誠実であり、理解すること、愛をもつことです。 傷つけてはいないだろうか?ちゃんと向き合うことが出来ているだろうか? 気をつけてはいるのですが、確かに私は自分の意見を押し付け自分の型にはめてしまったり、自分の意見に執着してしまうことがあります。大人になるということは自分が折れることが出来るということだと思います。 でも、ねじ伏せられて皆同じ、個性がないとも思ってしまいます。出る釘は打たれるのだと感じます。 理想と現実の狭間で辛さを感じます。 勉強よりももっと大事な事があるのではないかと思ってしまいます。 思春期だからと言われますが、関係なしに私はやっぱり自由や愛に憧れを感じます。 でも、人に言っちゃいけないことだと言うこともわかっています。 なので、相談できずに苦しいです。

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私の理解されにくい考え方や気持ち

私は高校生です。本を読み漁っても曖昧なヒントしか得られません。「人は人を殺してはならない」というのは分かっているし、人を殺めることに肯定的な訳でも加害者を庇う訳でも無いけれど、加害者の生い立ちや事件の背景を見た時に、とても悲しくなるのです。(快楽殺人とは別) ニュースやマスメディアでは表面的に事実を淡々と言い、加害者を責めます。みんなどこか他人事のように感じるのです。 でも、もし、誰かが加害者の背景を事件の裏みたいなものを見れていて、そこに愛や差し伸べられる手があったのなら、何かが変わっていたのかもしれない。生まれながらに悪い人なんていないし、なにがこの人を歪めてしまったのだろうと考えるのです。 繰り返さないためには咎めるのではなくて、愛を持ち続けることでは? 貧困や虐待など、社会全体が目をそらさないことだと思うのです。 なぜ人を簡単に殺めるの?という人がいるけれど、じゃあ、なぜそこを追求しないの?と思うのです。私は加害者の育った環境は大いに影響していると考えるからです。もしも手を差し伸べることが出来たなら、被害者の人生も加害者の人生もこんな結末にはならなかったのでは?と無念の涙が止まりません。高校を卒業したらなにか私にできないだろうかと思います。 私はこのことを言ったりすると、誰もが顔をしかめます。私は私の話を理解できる人に出会えたことがありません。理解されない時のひとりぼっちのような寂しさが辛いです。 私の考え方が変わっているから、みんなに合わせなさいと言われます。私は普通なのに。 学校は苦痛で同級生とは話が合わず、悲しさと自分の至らなさと無力さに苦しんでいます。

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何故人は匿名の場だと辛苦を余計に煽るのか

これは私自身の見識による物なので一概に言えない部分も有ると思いますが… 何故ネットや匿名が許される場所、または普段の生活や仕事でも 一度の失敗で人を痛烈に責めたり、艱難辛苦を煽る人々が居るのでしょうか? 中には疾患を抱えてしまった方や障害と言われる人まで責められる人も居ます 例えば家庭内で虐待を受けた人が学校に相談しても、または虐めが原因で教師に 相談しても取り合ってくれなかった子ども達のニュースを見ると酷く思いますが、更に子どもの時に大人に相談しても聞いてくれなかった事で大人に対する信頼を失い、20代や30代になってようやく行政機関や周囲に相談できた方も居ます。 それまでにもネットや匿名の場所、現実世界でも「甘えるな、苦しむのは当たり前、苦しんだ?だからどうした相談するのは非常識だ、誰もお前の話など聞いていない、お前には先が無い」などと徒らに弱者を責め煽り更に弱者を作り出し、他人同士で生き甲斐を奪い合ってるのを見ると、何故互いに尊重し問題を解決する為の話し合いをしないのか?と思ってしまいます。 お坊さんは、この様な場合どの様な対処法が必要だと思いますか?

有り難し有り難し 11
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