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仏像の一部が壊れました

回答数回答 2
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こんにちは
オークションで購入した新品の地蔵王菩薩さんの仏像が三回ほど触っただけなのに座っている蓮華の部分が一部剥がれてしまいました。
すぐ接着剤でくっつけたのですが
接着剤で仏像が少し汚れてしまいました。
このような仏像でも開眼して構わないでしょうか?
あと本来落札予定だったもう一つの江戸時代に作られた地蔵菩薩を諦めたところで起きた出来事でした。
何かから守ってくださったと考えるべきでしょうか?
そのような仏像を開眼しても大丈夫でしょうか?
ちなみに地蔵王菩薩さんの真言は普通の地蔵菩薩さんと同じ真言でしょうか?
教えてください

2019年12月27日 0:39

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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏像を「モノ」とするか「ご本尊」とするか

ご相談拝読しました。

仏像が壊れてしまったのはショックでしたね。お気持ちお察しします。

しかし仏教は偶像崇拝の教えではありません。開眼法要をしようがしまいが仏像は仏像、ただの「モノ」です。

でもその「モノ」を象徴としてあなた自身が真実に目を覚ますならその「モノ」はただの「モノ」でなく「ご本尊」となります。

「ご本尊」はお願いをするものではありません。ご本尊にお願い事をするのならそれは「ご本尊(もっとも尊いもの)」でなく「自分の願い(思い)」を中心にしているのです。自分の思いを中心にする在り方はどこまでいっても迷いです。それに振り回されるのが人間なのですから。

だから「ご本尊」の仏様としての願いを私たちの方が聞く事が仏教の学びです。

仏様の守護とは自分の都合の良い事を起してくれたり、都合の悪い事から避けてくれたりすることではありません。都合の良い悪いは結局自分の思いのモノサシです。
そこに振り回されてることに気がつかせ、どんな出来事にも都合の良し悪しをこえて向き合っていく力をいただくことが仏様からの守護なのです。

2019年12月27日 16:43
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はじめまして。 北海道の道南地区にある若松という農村のお寺に所属しており...

決して失われることのないお地蔵さんがここにありますが。

仏像のお地蔵さんは仏像の数だけ存在します。
六道は人間の数だけ存在ます。
自分の心の六道を救ってくださる地蔵の働きは自分で求めれば必ずそれが本尊の働きになりましょう。
本尊様とは仏像、木仏、金仏、仏画に求めるべきものでしょうか。
私のおすすめは外に地蔵を求めず、自身のうちにお地蔵さんなる救いの働きを見出すことです。
もちろん、本尊様としておまつりしたい仏像が壊れてしまったことはショックだったでしょうが、物質はいずれカタチが変ってゆくもの。
そういう喪失感や損ないの心を人間界というのです。
地蔵とはそういう失い、がっかり感、損ない感を救ってくださる働きです。
仏心の象徴とでもいいましょうか。
そういう地蔵さんを自身の内におまつりして、手を合わせられるようになると地蔵レベル黒帯です。
こういう話は響く人と響かない人がいますので、響いた人はお寺まで。
あらゆる仏像は自己の内のある何かを象徴しているのです。
木仏、金仏としての仏像を本尊となさることも良いこと、良い功徳です。
ですが、その仏像が欠けた、失われた、…損なわれた…、
そこにメッセージがあるのですよ。
そういう心をより良い心へ導いてくれるのが地蔵菩薩の願行であり、仏教の説く菩提心であり、救いの心です。
ぜひ、そういう所もいずれ明らかにしてみようと志してみてください。
決して失われることのない本当のお地蔵さん、本物のお地蔵さんに出会うことができるでしょう。
見える人には見えるものです。
見えるというより、感じ取れる人には感じ取れるものです。
そういうものを後からあらわしたものがお地蔵さんの仏像ですから、その仏像の本尊様も本当は「そっち」なのです。
「そっち」が先にあるのであって、仏像は「そっち」の本尊さんの影のようなものです。

2019年12月27日 18:45
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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 📞08020659278 法話禅会 毎週日曜3時より...

質問者からのお礼

ありがとうございます。そうですね。振り回されてはいけませんね。仏様の守護に感謝し、いきていきたいとおもいます

丹下様回答ありがとうございます。とても心に響きました。ありがとうございます。何か意味があって壊れたのかもしれませんね。あくまで本来の地蔵菩薩さんをかたどったのが仏像。なんだか安心しました。
この度は本当にありがとうございました!

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

小屋から出てきた仏像について

先日、祖父の家の物置小屋を探検していました。私が知っているのは、祖父の家は江戸時代から13代続く家です。 そのため、小屋にはなんか凄いの入ってそうだな、という木箱や竹籠が沢山あります。 色々見ていたところ、主に朱塗りのお膳セットや陶器でした。 しかし、父がふと この木の棒なんだ? と、足元の樽の上にあったものを手に取ると。 仏像でした。私は仏教は好きでお釈迦様の教えなどは好んで知ろうとするのですが、仏像に関しては分かりません。 その仏像は30センチくらいの立像で観音様でしょうか。 スラッとしていて右手は人差し指と親指をくっつけて上を向き、左手は下を向いている美しい仏像でした。 仏像の乗っている台の下には 先祖代々永享元年 と書かれており、調べてみると室町時代だとか。 もうひとつも立像で、胸の下あたりに法界定印(調べました)を組んだ お地蔵さま?お釈迦様?です。 これは、年代は不明です。10センチから15センチくらいです もうひとつは、20センチくらいの扉のついた彫り物です。3センチ程の人物が3人いて、御一方は不動明王様でした。 長くなりましたが、無造作に埃まみれの小屋において置くのも嫌だなと、見つけたのも何かのご縁かと思い、汚れを拭き取り綺麗にしました。 これらは、仏壇で一緒に手を合わせていいものでしょうか。 良ければ教えてください。曹洞宗です。

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本尊とお唱えの対応関係

 こんにちは。当家の菩提寺は曹洞宗なのですが、「うちのお寺のご本尊は歴史的な経緯から阿弥陀如来なんですよ」と住職に聞きました(あまり大きくもないこともあり、それまで遠目にはわからなかったんです)。宗派の本尊と各寺院の本尊が一致してないことはよくあることですので、それ自体はへえそうなんだ。ぐらいの感想でしたが、ちょっと後で考えてしまいまして。というのも、その阿弥陀如来様の前に「南無釈迦牟尼仏とお唱えしましょう」という掲示があり、ずっとそうしてたんですけど、目の前におられるのは釈迦如来じゃありませんよね・・・?「南無阿弥陀仏」じゃないんでしょうか??みんなに目の前で「南無釈迦牟尼仏」と言われて阿弥陀如来様はどう思われることなんでしょう?両方唱えてみるべき?  実は、法要の際に住職が「南無釈迦牟尼佛・南無高祖承陽大師・南無太祖常済大師」と列挙している部分に一言「南無阿弥陀仏」と挿入していたことがあり、おお!ここで配慮してたのかと得心したんですが、逆に言えば阿弥陀如来関係はここだけです。そもそも、曹洞宗のお経は釈迦如来や観世音菩薩関係のものばかりですよね。  寺の本尊もしくは各家庭の仏壇の本尊と、お唱えやお経って、必ずしも対応してなくてもいいものなんでしょうか?多分いいんだろうけど、なんでなんでしょう?(だって、そうじゃないと薬師如来や地蔵菩薩や不動明王のお経なんか唱えたくてもまず唱えられませんよね。)如来や菩薩は相互に「私の前で誰それからこんな読経があったよ」と報告してくださってるのか、それとも上司不在時の代理決裁のように宛先が別の如来でも処理してくださるのでしょうか?このあたり、どう理解したらいいものなんでしょうか、よろしければ回答お待ちしております。

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