相手の素晴らしさ、自分の至らなさの認め方
こんばんは、お正月からこんな質問をしてしまって申し訳ないのですが、やはりどうしても解消できないため書かせていただきます。
以前、人の成功を喜びたいがどうしたらいいのかわからない。と質問をさせていただきました。
その際、「相手の素晴らしさを認め、自分の至らなさを認めましょう」とお返事いただいたのですが、つまりどうすればいいのか分からないまま、私の心は成長することなく時だけが過ぎました。
相手が素晴らしいのも、私に至らないところが星の数ほどあることも、頭では理解しているのです。
どうすれば心に理解させることができるのでしょうか?
うす暗い内容となりましたが、皆様どうぞ良いお年を。
他人の成功に嫉妬する 人に執着する 自分の思う通りに動かないとイライラする 情を大切にしたいのに効率を重視してしまう 自分以外誰も悪くないが、私にとってつらかった思い出がよくよみがえる
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「すごっ」と「ダサっ」
本来、相対的に考える必要のないものまで「相手」と「自分」を比較して考えることが、嫉妬や蔑みの原因であることは、今までの問答でご理解されてるようですね。
また、「相手の成功を喜べること」が「相手の成功を妬むこと」よりも良いとも考えておられる。
つまり、前者が「良く」て、後者が「悪い」と思われている…
実際、前者が「得」で後者が「損」となる場面が多いと思います。
(お釈迦様の教えを説く立場の者が、損得の物差しでお話するのもどうか?と思いますが…)
ここはいっそのこと割りきって、『得になるからやる』で実践してみたらどうですか?
『すごっ』と思うのも、『ダサっ』と思うのも、労力としてはあまり変わりません。
どうせ同じ労力を費やすのならば、良かれと思われる『すごっ』を実践してみる…
実際に『すごっ』と思う方が「得」だったと実感(あなたの言う「心に理解させる」)できればそのまま続けられるだろうし、違和感があればその都度修正してけば、最終的にあなたの目指すものに近づけるんじゃないでしょうか?
何もしないでいるより、何か今までと違った発見があるかもしれませんょ。