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夫が二人目を欲しくないといいます

回答数回答 2
有り難し有り難し 80

初めてご相談させていただきます。
私は35歳の兼業主婦です。4歳になる子がおります。
二人目が欲しい私と欲しくない夫で意見が合わず、どうしたらいいのかと悩んでおります。

私自身にも夫にも兄弟がいますので、子供は複数人ほしいと考えていました。
しかし復職したこともあって、毎日ばたばた暮らすうちに今の年齢になってしまいました。

少しでも早いほうがいいだろうと思い、夫と話してみますと
夫が「二人目はいらない」と言うので驚きました。
今まで、「子供は何人ほしい?」という質問に「一人でもいい」と言っていましたが、はっきりいらないとは言っていなかったからです。

理由を聞くと、お金の不安と年齢の不安があるとのことでした。
夫は49歳です。
「今から子供が生まれたら、成人するときには70の年寄りだ」と言います。
定年すれば収入が減ることも心配しているようです。

夫の言うこともわかるのですが、やはり私には
それだけで子供を諦めるほどのことではないように感じられます。
共働きですし、子供ふたりを育てることができない収入とは思えません。

やはり私は子供がほしいのです。
たぶん夫が先に亡くなり、この子一人を置いて自分も死ぬのがこわいのです。
兄弟がいてくれたらと思います。

このまま、夫の言うままに諦めてしまったら
この先もずっと夫を好きでいられるのだろうかと不安にもなります。
産めない年齢になった時に、「あの時なら間に合ったはずなのに」と思ってしまう気がするのです。

夫の意志を無視することはできません。
でも私がこのまま諦めるのも何かが違います。
(年齢的な理由などで)結果的に授からなかった、という状態なら諦めはつくように思います。

高齢出産のリスクなども考えましたが、やはり欲しい気持ちは変わりません。
私はどうすればいいのでしょうか。
このまま「ご縁がなかった」と思うしかないのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

1人でも 2人でも 3人でも いなくても

子供がうちは3人います。
子どもの数が多いとそれはそれで大変ですよー?
1人はいいなあと思います。
2人目を授かると最初の子が悲しそうになりますよー?。
ケンカもよくしますよー?
1人だと愛情も一心に注げます。
お金も一人分しかかかりません。
入学式もどっちかに行けないなんてことが起こりません。
ご主人の負担も軽くなります。
ご主人との時間が多く持てます。
もちろんこれは、子供が一人だけの人の良い面です。
もちろん2人の良さ、3人の良さ、どんな状況でもそこを「楽しめる」ような生き方を持ってください。
今与えられている事、授かっていることがみえていないと、あなたはいつまでも他所を認めるようになるからです。
今にまず満足する心を得てからだと思いますよ?

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

「子どもは自分の食い扶持を持って生まれて来る」

と、昔から言われています。

ウチは子どもが多いですが、
それはホント実感しています。
子どものお金のことは何とかなるものです。

年齢のことも、ちよ様の仰る通り、
高齢であるほど、子どもは二人いる方が心強いですね。

その想いが届きますように念じております。

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有り難し
おきもち

 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生まれ。山形大学理学部卒業後、証券会社で勤務。30歳で脱サラし、親戚筋の超覚寺に入寺、45歳で住職継職。  遺族の分かち合いやお悩み相談などグリーフサポート活動を続け、お寺の掲示板による法語伝道にも尽力している。カープ坊主の会会員。
こちらに法事が入っていなければ、ご希望の日時に相談させていただきます。 想いを吐き出しても、あなたの環境は変わりませんが、あなたの気持ちは変わっていきます。 どうぞ安心してお話しください。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
お二方とも違う内容ながら、どちらも心にしみました。

しかしまだ「今どうすべきか」が分からずにおります。
お忙しいとは思いますが、追加でご質問させてください。

夫に対し「二人目がほしい」と言い続けたほうがいいのでしょうか。
それとも気持ちが変わるまでただ待つべきでしょうか。

あまり言うと余計に嫌になるかもと思う一方、
何も言わないとこのままタイムリミットになるのではという恐怖があります。
(恥ずかしながらレスです)

覚元さま
仰るとおり、兄弟が生まれれば
将来はさみしくないとしても、しばらくは親を取られたように感じるかもしれませんね。
そのことに考えが及んでおりませんでした。

隆恩さま
そういう言葉があるのですね。知りませんでした。
私自身、特に裕福でもない家の生まれなので
お金のことはあまり心配していませんでした。
夫も同じように思ってくれればよいのですが…。

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