hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自分の性格について難がある

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

私の悩みとしては、怒りっぽい性格があるということです。どのような状況で怒ってしまうかというと、文化祭の準備等で周りが準備をしている中、自分だけすることがなくて暇な時や、仲間外れにされたと思い込んでしまった時です。

また、怒ったときには、暴言を発してしまうこともあります。そのせいなのか、話しかけてくれる人も徐々に減っていっています。

もし、社会に出た時点でこの性格が直っていなかったら、暴言を発したという理由で訴訟問題になってしまうかもしれません。

この性格を直すためには、どうすればよいのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

怒りを覚える出来事に対して、私自身は大丈夫でしょうか

こんばんは。亀山純史と申します。

世の中には、ある出来事に対して、気が短い人もいれば、気が長い人もいますよね。なぜ、同じ出来事であっても、人によって怒りを感じる人もいれば、そうでない人もいるのでしょうか。それは、出来事が怒りのエネルギーを発しているのではなく、その出来事における私自身の考えや思考に対しての気持ちの一つが怒りである、ということです。たとえば、人に対してですが「あいつはムカつく奴だ。」という怒りの気持ちが起きたとしたら、その場合、その相手に「ムカつく」というエネルギーがあり、そのエネルギーを私が受け取っているわけではなく、その相手に対する私の評価(たとえば、「彼は自分勝手な人だ。」)、その評価に対して「ムカつく」という気持ちが生まれている、ということです。
そうであれば、「出来事に対して、私自身はどうなのか・私自身は大丈夫なのか」ということを考えてみたいですね。私たちは出来事や人を批判することは得意です。しかし、自分自身のことも考えてみてください。そうすれば、「自分もそうだよなぁ。」ということが多くありませんか。「彼は自分勝手な人だ。」という評価において、主語の「彼」を「私」に置き換えた「私は自分勝手な人だ。」という評価は、あなたに当てはまる評価ではありませんか。(私は人はみな、自分勝手な面を持っていると思っているので、これを例に出してみました。)

最後に一言。怒り、暴言からは、何も建設的な事柄は起きません。そして、怒り、暴言は相手だけでなく、この私も傷つく行為でしょう。それは、怒り、暴言で気持ちがスッキリすることはなく、怒り、暴言は後味が悪いものだからです。なぜ後味が悪いか、それは、怒り、暴言は善い感情、善い行いではない、ということを、私たちは自覚しているからなのです。

以上が私からの回答です。自分の性格を冷静に見られていることに対して感心いたします。是非、自分の改善したい点を少しでも良い方向に持っていけるように努力しましょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。少しでも改善できるように努力し、人との関係がよくなるようにしていきます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ