父親の死と子供の心のケア
初めまして。つい一週間ほど前に父親の葬儀を終えました。私は遠方に嫁いだため、最期会うことができませんでしたが一ヶ月ほど前に入院していた父の所へ会いに行っており、その時最後かもしれないと意識はしていたつもりです。が、生前とても可愛がってもらい気にかけてもらっていたし私も父が色々あっても大好きだったので最期会えなかったのを申し訳ないと思ってしまいます。頭の中では、受け入れなくてはならないと分かっているのにもう自分が死ぬまで父に会えないという事実がなかなか受け入れられません。また、今まではあまり深く考えなかった自分の死というのも強く意識してしまい怖さを感じます。時間が流れれば、全て受け入れられる事だとは思いますが、頭の中が色んな感情でゴチャゴチャしてしまい混乱しています。こんな事では優しくて時には厳しかった父に怒られてしまいそうです。
ただ、こんな感情の今の私を支えてくれる家族は勿論います。主人と子供たちは優しく、理解してくれて助けてくれ支えとなってくれています。その中で中学生の長女が初めての身近な死を経験し私以上に悲しみを感じていたようで、体調を崩したり精神的にもやや不安定になっています。私は自分の感情を優先していた事に気付きハッとしました。娘へのケアも考えなくてはいけないと、今になって感じています。娘は祖父の死によって、いつかは親の死が訪れる恐怖もやはり感じているようです。どのように話をしてあげればいいでしょうか?
私自身も、今はまだ辛いし娘と同じように先の事に恐怖も感じています。私も娘も今を乗り越えるために是非ともアドバイスをお願いします。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悲しみを抑えず思い切り泣いて大丈夫です
初めまして、こんにちは。
心からの想いを受け取り致しました。私も、妻、父を介護をしながら看取りました。いつかは必ず訪れる避けられない出来事です。父を看取った時や、母の兄、父の生みの母のご葬儀から、子ども達にも生きる全てが通る道・・死ということを学びました。私たちが食するお肉やお魚なども同じです。私たちに大切な命をお授けになられているのです。そして、生かされているのです。
妻の時も、父の時も・・命の灯がいくばくもない事を主治医より告知され、どうやって受け入れられるのか・・?妻、父がいない世界を想像しただけでも胸が張り裂けそうになり自分を見失ってしまうのでは・・・と思いました。いつ、訪れるかわからない時間に何が出来るか。生前、俺は親孝行が出来なかったと思っていたけれど、親孝行って貧乏でも笑顔で仕合せにお前たちが暮らしていてくれることそれこそが親孝行だよ・・と話していました。
ベッドに縛り付けられ、機械に囲まれるのは嫌だ。お前たちに負担をかけずに死にたいと父は話していました。妻のときも、父のときも・・灯を消えぬように必死な姿に、もう頑張らなくていい!こんなに頑張ってくれた。ゆっくりやすんで・・と伝えました。いくばくもない時間、いつも通りの生活を過ごし、父や妻との想い出はしっかりと心に刻んであります。
人は亡くなったらそれで終わりではないと思います。生前に愛した人の心の中に霊魂は入って共に歩んでくれると思っています。きっと・・違う!と言われても、私は信じて今日まで共に過ごしています。
純粋に手を合わせれば、ご先祖様方もその姿に微笑んでくれます。そして何よりも彼岸(あの世)にいる方は、此岸(この世)に残る私たちが悲しむ姿を望んではいません。今は悲しみから抜け出せなくていいのです。思い切り泣いて、泣いたら笑顔で日々を過ごして欲しいです。その姿を望んでいるはずです。
人生は冒険旅行。ご縁があり色々な方と出会い、別れがあります。別れがあるから新たな出会いもあるのです。
亡きお父様に心から・・南無大師遍照金剛
あなたらしく希望ある冒険旅行という人生を仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。頂いたお言葉、じっくりと噛みしめるように何度も読み返しています。今は悲しくて当たり前ですよね、頭では分かっているんです。私も娘も素直に感情を吐き出す事が苦手なのかもしれません。四十九日にはまた実家に帰省します。その時、父の死を受け入れてこれからも私や家族が笑顔で生きていけるように、見守ってねと手を合わせてきます。暖かいお言葉本当にありがとうございました。