生きている意味が分からない
先日はご回答いただきありがとうございました。
しかし、やはり、苦労して入った大学の同年代の人が皆輝いた人生を送っているのに、世間的に立場が低く、ろくに給料もない非正規雇用でかつ誰とも分かり合う人もいない孤独な人生には本当に嫌気がさし、毎日死んでしまいたいという思いは消えません。
もう年齢が高い上に、まともな職歴もないことから、正社員になろうとしても転職も上手くいかず、世間の鼻つまみ者でしかないのかという念にかられてる日々です。
若くないのに社会的に貢献できず、人からも嫌われている自分なんか、死んだ方が自分の為かつ世間の為なのかとすら思います。
こんな自分に生きる価値はあるのでしょうか?うまく仕事につきたいのですが、それすら叶わないとなると、社会から消えた方がよいのでしょうか?
自分自身と社会への憎しみは募る一方です。
何卒よろしくお願いいたします
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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日々修行
その劣等感は大事です。
その劣等感をバネに、とにかく自分を鍛えるしかない。
もちろん必要に迫られてという事もあったが、私の場合は30代半ばで教員免許を大学の通信過程で取得したよ?僧侶の資格や知識技能、住職という看板だけではなかなか世の中のニーズに応えきらなくなってきたこの時代、私はこれからもまだまだ色々な事に挑戦していくつもりです。というより、僧分としての自分を活かすために、様々なことに取り組もうと考えています。
AIに人間の仕事を取られるぞと言われる反面、いたるところで人材不足が叫ばれている。さて、あなたには何ができる?何ができるようになれば求められるようになる?
管を巻いているヒマがあるなら、自分に賢く投資をして日々研鑽に励もう。
とらわれずに、あなたらしく。
こんにちは。
学歴や職歴で人生が決まる・・そうではないのです。
やろうと思えば、人間はたいていのことができると私は思っている・・
チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしない事を恐れろ・・
欠陥の多い人間は、特徴も多い人間・・
苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁が突きやぶれなくて、俺はダメな人間だ・・と劣等感にさいなまれるかもしれない。 私自身、その繰り返しだった・・
これは、Hondaの創立者である亡き本田宗一郎さんの言葉です。
完璧な人間なんかはいません。間違って、失敗して、立ち止まったり、悩み苦しんだりしながら前進して行くんです。私なんかは死のうとして失敗して、いろいろな出来事が次々と押し寄せて、サラリーマン時代には理に反する事をさせられて、何が理に適うことなのか?わからなくなったりした事もあります。メンタルクリニックのドクターとお話する機会があり、永寛さんよく生きてましたね!!と言われました。
迷って、立ち止まっていいんです。人生はあなたが主人公で描くのもあなたです。
結果をすぐに出そうとしたり、起こっていない事を思うから悩みます。頑張ってきたのですからちょっとだけ、頑張るのをやめて見ませんか?そして、心が窮屈になっているのですから、真っすぐに見つめる眼を横に向けて見ませんか?
無理に正社員といきなりハードルを上げずに、例えばレギュラーの派遣ではなくイレギュラーの派遣で、自分に合った職を実体験して探すことも今は出来ます。そうしながら自分に合った職を探している方もおられます。
結果をあせらず、あなたにはあなたの良さがあります。
辛い時、苦しい時はここに来て下さい。
あなたらしく希望ある冒険旅行と言う人生を仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
お二方ともありがとうございました。
もう遅すぎるのではないか、間違った生き方をしてしまったのではないか、という思いはやはり拭えません。
価値のある人間になりたいです。