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自分の人生に責任を持ちたいです

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お世話になっております。
今回聞きたいのは、自分の人生に責任を持つには、どうしたらよいかということです。

これまでの人生、健康や、学業、将来のこと、人間関係など、あらゆることで、理想と現実のギャップに悩みました。努力では変えられないものもあると思います。しかし、私の場合は、できる努力をしていません。なにもせず、問題を問題のまま抱え、何かを達成した、克服した、という経験を持てないまま、大人になりました。すべての悩みは、なぜ努力できないのか、ということにつながります。
私は努力ができません。たいていのことを面倒がって、楽なほうに流れてきました。たまにやる気を起こしても、やる前にやる気を失うような調子で、やる前からあきらめることが多いです。子供のころから3日どころか1日も満足にこなせないことばかりでした。やりたくないことならそれでも仕方がないかもしれないですが、多少でも好きであったり、興味のあること、やりたいことでさえ、少しの障壁で、すぐにあきらめてしまいます。なにかを好きだと思っても、行動が伴っていないので、たいして好きではないんだなと思います。

こんな自分が嫌なのに、努力できないのはなぜか、と考えると、頑張らなくても生きてこられたからだと思いました。勉強や運動ができなくても、人間関係がうまくいかなくても、趣味や特技がなくても、働けず家にこもっていても、家から追い出されることもなく、三食ご飯を作ってもらえて、今日も生きています。家族関係は良好ではないですが、非常に恵まれています。だから、私は頑張る必要がないと思っているのかもしれないです。また、わたしの命を望んだのは親なのだから、なんで私が頑張らなくてはいけないんだろう、と思っています。

親に依存して、自分の命、人生の責任を持ちたくない、と思っていたら、頑張れるはずがないと思いました。そういう感情があっても、現にこのままではつらく、将来的にはこのままではいられず、努力する必要があります。経済的に自立すれば、頑張れないなどと言う暇もなく頑張ることができるかもしれない、学費も自分で払うなら、勉強を頑張れるかもしれない、ということを考えてみましたが、あまりの重責に想像だけでつらいです。
自分の人生に責任をもって、必要な努力をしたいです。自分のために行動できるのは、自分だけだと本当に理解したいです。どうしたらいいですか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生に責任を持つというのは、何かのせいにしないということよ。

あまり難しく考えない方がいいと思うわ。
努力が出来ない、長続きしないというなら、目標が高い(遠い)のかもしれないよ。
志高くと思わずに、もっと身近なところから。

引き篭もっていてもいいじゃん。
今日の食事の準備は私がするわ、そんな日は親も助かるだろうし、料理も覚えられる◎
身につくことだってあるんだよ。
家事手伝いも、立派なこと◎

また目標も、今週はここまで頑張る、明日はこれをしよう、そんな目先のことから達成していくの。
私もそうやって、コツコツ積み重ねてきたわ。大きなことなんて出来ないもの。それでも、継続は力になるからね。

人生に責任を持つというのは、何かのせいにしないということよ。
立派な人間になるとか、経済自立するとかじゃなく、自分の起きたことに、最後は納得しながら立っていくこと。
誰かの手を借りながら、支えられながらでもいい。それでも、自分を誰かの(何かの)せいに、言い訳にせずに、
マイペースでも、進んでいこう。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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人のせいにしない。

 こんばんは。「自分の人生に責任を持つ」って、それこそ大仰な気さえしますが、そこに思い至ったあなたは、すでに始めているのだと思います。
 あなたの文中、「命を望んだのは親なのだから」は「人のせい」にしているところですが、では「命を長らえさせることを望んでいるのは誰か?」と言えば、それはあなたです。覚えていないかも知れませんが、赤ちゃんのとき、あなたは泣いたでしょう。ヤレお腹が空いた、ヤレおむつが気持ち悪い、ヤレ暑くて嫌だ…。ぜんぶ「生きたいから」やっている行動ですよね。「私を世話して頂戴」は、全てあなた発信です。まわりは、それに従って何かにと動いてくれているのです。
 ですから、それに感謝することが第一歩だと思います。ここは既にできていますよね、「家族には非常に恵まれている」と。ですから、それを表明するのが第二歩ということになります。感謝すべきを知っている。それを表すとで2ステップです。
 一日の行動を思い出して、何をしたのか書き出してみることはできますか?一行に一つの事柄で。
 次に、それぞれについて誰が関わってくれているのかを書き出してみましょう。すると、「誰に、何について」ありがとうと言うべきかが見えてくるでしょう。
 次に、ターゲット行動を決めます。「やって貰っている」ことのうち、「自分でできそうなこと」をターゲットとして1つ選び、自分でやってみることです。「トイレットペーパーを切らさないようにする」もOK。やる気は不要です。ただ淡々とやる。「○」か「×」がつけられる、明確な行動をターゲットにしましょう。
 そして、「○」がついたものに関しては、あなたが自分で行い、つまり他人のせいにしない、責任を取った行動だということです。
 お分かりでしょうが、全部をターゲットにし、○にする必要はないのです。「これは自分でできそうだな」という、甘いターゲットを選びましょう。
 なぜ、こんなことを言うのか?
 私は浄土宗という宗派の坊さんです。「南無阿弥陀仏」というお念仏を称える宗派です。そして、それには「3つの心持ち」が大切だと説かれています。では、その心持ちはどうやったら得られるのか?ーその答えが奮っています。
 お念仏を称えれば、自然と心は付いてくるよ(だから、行為を続けられる努力はしようね)
 「やる気」は後から付いてくるのです。あなたが発見した通りです。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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