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仏教における成功哲学

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有り難し有り難し 9

イチローの功績が仏教解説に引用されたり、多くの僧侶様が二足わらじで多方面にご活躍されていたりと、仏教の教えには病のような苦しみの渦中から救う他に、現代社会の成功哲学に通じる側面もあるのではないかと思います。
(成功よりも活躍と表現した方が相応しいかもしれません。)
 
偉大な仏の姿を身近に感じているだけでも、慢心や傲慢になってしまうことの戒めになると想像できますが、それは今の私にとっては多分まだ先の話かなと思います。
(人生もう一花咲かせてやりたいという野心はやっぱり捨てられませんが、それは10年・20年をかけてでもというビジョンでいるつもりです。)
 
とりあえず社会復帰というレベルでの成功の第一歩をイメージしただけでも、それが”欲”のようにさえ感じてしまうのが、病魔に仏との交信を妨げられているというか、歪められているように感じてしまいます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

脚下照顧ですかね

拝読させて頂きました。
読ませて頂き感じたのですけれども、あまりあれこれと思うよりはおおらかにいろんなものを受け入れていくことの方が望ましいと思います。
あなたがこれから生きていくことを見出して社会の中で生きてステップアップしていくことはとても尊いことです。
頭の中であれこれと考えるよりも今あなたが生きている目の前のことや身近なことや足元をゆっくりと見つめながら落ち着いて一歩ずつ進んでいくことが大切です。
仏教的には脚下照顧ですね。
どうぞあわですに一歩一歩前を向いてしっかりと進んで下さいね、そして心身ともにご精進なさって下さいね。
あなたを心より応援しておりますね!

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

Kousyo Kuuyo Azuma様
お忙しいなか、ご回答くださりありがとうございます。
 
>”足元をゆっくりと見つめながら””脚下照顧”
極端になりすぎるのを避けるために極端になってしまう傾向を自身でも感じていました。内とか外さえもを極端に捉えていたような気がします。
内面に重きを置きつつも足元を見つめていれば、常にうっすらと外側が見えているので、急に外側がはっきり見えても動揺することが無くなる。(本来の意味とは異なるかもしれませんが)今の私には、このように解釈させていただくと、とても気持ちが楽になります。
なかなか思いめぐる考えを止めることは難しいと思いますが、見つめ方の角度を変えることで、”ニュートラル”にも目を向けられるようなヒントとなる言葉を教えていただき、本当にありがとうございました。

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