乗り越えられない壁
何度も相談させて頂きます。
神様仏様は、その人が乗り越えられない壁(苦悩)はない、や、与えないと言いますが、本当ですか?
生きる事が、こんなに苦痛なのだと実感しています。
幸せな人生を送ってみたいって、考えてます。
笑って過ごせる時間が、この先の未来に見えないんです。
体の表面だけじゃなく、芯まで冷えてる感じです。
生きる力を貸して下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様と乗り越えられない壁は無関係です。
こんばんは。亀山純史と申します。
仏教においては、「仏様は私たちに乗り越えられない壁は与えない」という考えはないと思います。それは、私たちは仏様によって作られたものではないからです。つまり、「私たちに乗り越えられない壁は与えない」ということを、見方を変えて言えば、「私たちは乗り越えられない壁はないように作られている」と言えるわけですが、私たちは仏様による創造物ではありません。また、仏様は私たちを試したりする存在ではありません。
確かに、私たちの人生は人によって様々です。人の数だけ人生模様はあると言っていいのではないでしょうか。今月の17日は阪神淡路大震災から25年が経ったことがニュースになりました。3月11日は東日本大震災がニュースとなることでしょう。前日まで、午前中まで、普段と変わらぬ生活が、あの震災で一変しました。私たちは、このような不幸な出来事が、なぜこの私の上に起こったのかを説明することは出来ません。
このhasunohaでの私の回答で、しばしば引用させていただいております、村山聖(さとし)九段という将棋の棋士のことばを紹介しましょう。彼は五歳のときに腎臓の難病であるネフローゼ症候群にかかりながらも、病と闘い「東の羽生、西の村山」と並び称される棋士へとなりますが、彼は1998年の夏、29歳という若さでこの世を去ってしまいます。 そのような彼はいくつもの言葉を残しています。たとえば、
「私自身も修行時代、もし健康だったらと思うことはありましたが、ない物ねだりをしてもしかたがありません。もしも健康のままだったら健全な体を感謝することなく終わっていたでしょう。私にとってこの病気は体の一部になりました。もう何十年も走っていません。もう走ることはないでしょう。しかしいっぱい走る体験よりも、もっともっとたくさんの体験をこの病気はくれたように思います。」
「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。それが人間の宿命であり、幸せだ。僕は、死んでも、もう一度人間に生まれたい。」
私自身、「辛い」「苦しい」と感じる人生においては、仏教が説くところの「人生は苦である」ということを、人一倍自覚することが出来た人生であったと思い、少しでも村山聖棋士のように、前向きに生きて行きたいと思っています。
「『壁』の種類」
(詳細が判らず、お悩みの内容汲みきれていない回答になりますが…)
あなたのおっしゃる『壁(苦悩)』というのは、過去質問で書かれている『離婚後の様々な困難』ということでしょうか?
取り敢えず『壁』をそのように解釈した上で回答致します…
『壁』にも「今乗り越えることのできるもの」と「そうでないもの」とあります。
「今乗り越えることのできるもの」は、そもそも問題とならないでしょうが、逆に『乗り越えられる理由』としては、「過去に似たような壁を乗り越えたことがあり、乗り越えるノウハウ(経験・知識)を持っている」もしくは「乗り越えるだけの体力(気力・心のエネルギー)がある」などが考えられます。
つまり、乗り越えることができず直面している『壁』は、『以上の条件に該当しないもの』となるわけですが…
「そもそも乗り越えることが不可能な『壁』なのか?」
「ノウハウがないために乗り越えることができない『壁』なのか?」
「体力(気力・心のエネルギー)が今は十分でないことが理由で、乗り越えることができない『壁』なのか?」
…によって、それぞれ対応が変わります。
もし、お話頂けるのであれば、支障のない範囲で結構ですので、もう少し詳しく「現在の身の回りの状況」「これまでの経緯」「直面している『壁』の具体的な内容」などを教えて頂けると、回答僧も共有しやすくなるのではないか…と思います。
ご質問がある限り、回答僧が何度でもお付き合い致します。
納得行くまで、諦めずにご質問下さい。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
与えられた機会と思いもう少し頑張ってみます。
またつまづいたら、相談させて頂きます。
ありがとうございます。