許さないといけませんか。
私は幼少の頃から2つ上の実の兄に性的虐待を受け続け失語症になり友達もできず親にも言えず高校生になりました。
高校生になって親友ができ、はじめて相談し、一緒に泣いてくれて少し心が救われました。
その頃、母が兄の性的虐待に気が付いた。
でも責めたのは私でした。
お前が誘ったんやろ。お前なんか死んだらええのに。
ずっと自殺ばかり考えていた中学校までの気持ちに戻りました。
両親と兄を殺すか私が死ぬかしか答えが見えませんでした。
何年か悩んで家を出るという選択肢が見えました。母は世間体が大事で、高卒で就職しても一人暮らしも駄目。門限守るために残業も駄目。会社に残業させるなと言いに行った。
結局、二十歳超えても就職しても私は自由になれないとわかって絶望し、会社辞めました。給料のほとんどを母に回収されて、夜兄から逃げる為に出歩く事もできない。働く意味がなくなりました。
結局結婚するまで兄から逃げる事はできませんでした。
兄からの性的虐待から逃げる為だけに結婚しました。相手の方が提案してくれ、助けられました。結婚し、近距離別居になり、それでも頻繁に突然訪問してくる兄が怖くてひどい鬱になりました。
その頃母が病気で余命宣告され、私が介護しました。死ぬまで世話しました。
私だけを悪者にし、暴言を吐き、周り全員私の敵にして、旦那以外の全員から責められる、1番辛かった時期でした。
母の死後、父に全部話しました。泣きながら謝ってくれました。父は兄のこと何も知らなかった、気付いてやれなくてごめん、と号泣されました。父だけは味方だったのだと思い、頼りました。もう一生兄に会いたくない、と言いました。兄は結婚して子供もいるから兄嫁の為、黙っててくれ、と言われ、黙りました。
結局父は兄嫁の為、私を排除しました。
また絶望し、全てを諦めました。
今は父とも連絡を断ち、離れたところで住んでいます。
もう離れて何年も経ちますが、悔しい、辛い、理不尽だという気持ちが消えません。
周りは兄と父はともかく母はもう亡くなってるんだし、もう許してやれと言います。
私は母の言動でずっと傷ついてきたのに、まだ引きずって苦しんでいるのに死んだら許さなくてはいけないんでしょうか。
今も親戚から私だけが悪者にされている。兄だけが何も悪い事してない顔して普通の生活しています。兄も母も許せない。気持ちの持っていきようがない。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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心の安らぎを求めて
追伸:お礼返信ありがとうございます。言葉足らずの点お許しください。怨みと、許すことは別の事と思った方がよいと思います。怨みを静めることは自分の心の内側。許すことは対象者がかかわりますので、まずは、怨みを静める自分への言葉がけが良いと思います。また、ネガティブな想いは、仕方ないと思いますが、貴女が悪いわけではないのです。ですから、自分に思いやりを向けてください。自分に優しくしてください。字数制限で以上です。またお気持ちをお伝えください。
キヨコ 様 相談ありがとうございます。
恐ろしい、悲しい体験ですね。私も許せない気持ちになります。
絶望感を抱いても不思議ではないことだったと思います。
お釈迦様は
「怨みは怨みによって静まらない、怨まないことによって静まる」と、お説きになられました。許さなくてもいいから、せめて怨むことを捨てませんか。
幸い、あなたは、連絡を断ち、離れて暮らされているようですから、そのまま離れたままで自分の為に生きていくのがいいと思います。
許す必要はありませんが、怨みで心がざわついて、怒りのもって行きようがないと感じる時は、「自分は怨みを捨てた。私は安らぎを求めたい」と何度も思ってみてください。そして、怨みを抱く他人に左右されることなく、自分の心の安らぎや幸せを求めてください。
さらにお釈迦さまは、「自分を愛しいと思って、自分をよく守りなさい」「自分の目的を知り、自分の目的を追求しなさい」ともお説きになられました。
つまり、トラウマになるような辛く悲しい経験は、自分に思いやりを向けて、自分を癒すという事です。
あなたが、「親友ができ、はじめて相談し、一緒に泣いてくれて」心が救われたように、自分の心が癒されることをあなた自身が行ってください。
あの時、親友は、どんな言葉や態度で優しくしてくれましたか?
それを思い出すように、優しい言葉、優しい態度を自分に向けていきましょう。
深いゆっくりとした呼吸と、腕や胸やお腹をゆっくりと擦るようにして。
温かく、優しい感じを感じてください。ご主人にもハグしてもらってください。
あなたが、怨みを果たさなくても、報いは受けるものです。
だれでも悪業の因縁がついて回るでしょう。
どの様な報いかは、我々の知恵、知識では分かりませんが、
あなたは、善業を積むことにして、自分の目的の為に生きることを願います。
一礼
よく語ってくださいました
本当によくこれまで生きてくださいました。ここに語ることにも勇気がいったことだと思います。何とお声がけしてよいか分からないほどの壮絶な環境の中を生き抜いてくださったことに胸がつまる思いです…。
先にお坊さんが紹介くださっていますが、
「実にこの世においては、怨みを以てしたならば、ついに怨みのやむことがない。怨みを捨ててこそやむ。これは永遠の真理である」
という教えが『ダンマパダ』というお経に説かれています。けしてこれがあなたの「答え」ではありません。この教えを「問い」としてあなたの救いを求めて考えていってほしいと願います。
正直なところ、それほどのことをされて相手を許すというのは私ならば難しいと思います。「家族」というフィルターを通してぼやかされてはたまりません。性犯罪者と同居し、しかもその同居相手が皆にかばわれるなどというのは本当に理解できず絶望でしかなかったことと思います。
でもそれが現実として起きてしまった…。ならばあなたの救いはどこにあるのか。
仏教は全ての人の救いを説きます。あなたも救われなければいけません。何か特定の目にあった人がそれでもう救われないという教えは「真実」の教えではないでしょう。
「真実」とは 「真理」が「事実」として私に成り立つ という意味です。
上記の教えが真実ならばこれがどのようにあなたの上に事実として成り立つのか。
「怨みを捨てる」というのは「許す」という主体的な態度選択に近いニュアンスであると思います。
一方で「怨む」気持ちというのは受動的というか、様々な境遇の中で湧き上がってくる感情であると思います。そのような目にあったあなたが相手を恨む気持ちが生じるのは自然なことです。
そのあなたが自然な怨みの気持ちだけに流されず、自分の意志として主体的に「怨みを捨てる」、つまり「許す」としたら、その対象はまずは自分自身なのではないかと思います。
もっとこうできたのでは?私が悪かったのでは?
もしもそんな思いで自分を責めることもあるならば、そうではないのだと。あなたはあなたでその時できる全力で抵抗してきたのだと、過去のあなたを許していただきたいです。
その先にもしかしたら、相手を許すことはできずとも、悲しい人であると憐れむことができるような日もくるかもしれません。
…何だか語りきれません。またお待ちしています。
質問者からのお礼
釋孝修様
ありがとうございます。
実際今、遠くに離れ連絡を断ち、心穏やかな日を過ごせる日も多くなっていますが、ふとしたきっかけで思い出し、涙が止まらなくなるんです。私の人生全て兄と両親に駄目にされた、と。理不尽さがたまらなく、苦しいのです。
怨みはもうないのかもしれませんが、色んな後悔や、自分の生きる意味がわからなくなります。未だに彼らに左右されてる自分も嫌いです。全部知った上で側にいてくれる主人にも申し訳なくなります。
私に一度も嫌な言葉を言わなかった、亡き祖母と祖父にとても会いたくなるのです。
怨まない、自分を許す、頭ではわかっても心では理解できない、そんな感じです。
言葉にして吐き出すと楽になるかな、何か気持ちの変化があるかな、とこちらで相談させていただきました。
誰かの目に留まり、思って頂けただけでありがたく思います。
私はまだまだです。心穏やかな人を傷付けない大人になりたいです。
ありがとうございました。
吉武文法様
ありがとうございます。
怨みの気持ちはきっと年数が経って薄れ、諦めの気持ちに変わっているような気がします。
兄を責め、兄嫁やその子供らに言ってやろうかと何度思ったかわかりませんが、私のこの人生はもう変わらないし、手に入れられなかった色んなことももう何をしても無理なのだと思い知り、諦めました。
怨まず、許してはいないが私1人が泣き寝入りするしか方法がないと行き着きました。
納得して今があるはずなのにふつふつと理不尽すぎる、なんで私だけが貧乏くじを引かされているんだ、私が何か悪いことをしたのか、絶対的に悪い事をしたヤツとそれを庇った奴がどうして私を除け者に?
幼稚園入園から中学校卒業までの記憶がほとんどなくなっているくらいの私の傷はどこで消化できるのか。
前世で私はとんでもない極悪非道な事をしでかしたから今世ではバチしかない一生なのだろうか。こんな目に合う理由、原因がわからないままだから苦しいのかもしれないです。
たぶん兄や父が亡くなっても私は許せず、ずっと苦しんでいるのだろうなと想像します。
許すって本当にすごく難しいですね。
相手を許す事も、自分を許す事も、難しいです。
高校以前の記憶が全て消えて無くなればいいのに、と本気で思います。どんなに楽だろう。
兄が死にますように、母が死にますように、とそんな恐ろしい事を本気でお参りした自分も、全部忘れてしまいたい。
救われる、てどんな風なんでしょうか。
私を救って頂けるなら、少しでも楽にして頂けるなら、どこへでも行き、何でもしたいです。
奴らが悲しい人だと哀れんでやるのももったいないと思ってしまうような黒い気持ちばかりの私ではどんな神様も仏様もご先祖様も救ってはくれないのかもしれませんね。
泣けて仕方がないです。
自分の中で消化しないといけないのにそれができずに苦しいです。
でも、聞いて頂けて、生きててよかったんだと言ってもらえて涙が止まりません。
死にたくても死ななかっただけなんですが、生きてても良かったんですね、私。
ありがとうございます。