心配症すぎる自分を変えたいです。
自分を変えたいです。
乱文・長文になるとは思いますが、お読みいただければ幸いです。
つい先日、友人との会話をきっかけに、半年以上前にあった出来事を突然思い出しました。
それまでは全く気にしていなかったのですが、その日を境に、そのことが私の頭の中を支配しています。
内容を詳しく話せず大変申し訳ないのですが…自分的にはものすごく恥ずかしく、自分を大嫌いになるようなものでした。
居ても立ってもいられなくなり、すぐに家族に相談しました。
内容を詳しく話したら、家族は「え、それがどうしたの?」「何を悩んでいるのか分からない」「悩む時間がもったいないくらいだ」と言ってくれました。
私は昔から心配症すぎる質で、何事も最悪の状態になったときのことを考えてしまい、そのたびに苦しんできました。
そんな私の性格を誰よりも理解してくれる家族なので、それらの言葉を聞いてすごく安心しました。
ですが、それからまたしばらくすると、自分の頭の中で最悪の状態になったときのことを考えてしまい、恐怖と苦しみに支配されてしまうのです。
家族が言うには、この半年間何もなかったのに、これから先、私が考える最悪の状態になることはまずありえないし、もし万が一、その状態になったとしても「絶対に大丈夫」らしいです。
そこまで言ってもらっているのにも関わらず、いつまでも最悪の状態が起こる可能性を考えてしまう自分が大嫌いです。
問題に直接働きかけて解決することがほぼ無理な内容なので、これから幸せに生きていくためには私がそのことを忘れるしかないのは頭では分かっているつもりです。
実際、そのことを思い出すまでは私自身全く何も気にせず生きてこれましたし、そもそも現時点では何にも起こっていないのです。
なのに、私は未だに過去の自分をひどく後悔し、未来を必要以上に恐れてしまいます。
「大したことない」と考えられるときもあります。でも少しすると、まるで忘れるのを自分で拒否しているかのように思い出してしまうのです。
これ以上、家族に心配や迷惑をかけたくないので、出来るだけその話をしないように、無理やりにでも明るく振る舞おうと心がけていますが、後悔と恐怖心にすぐ負けそうになる自分がいます。
こんな自分を変えたいです。
内容を詳しく話せず大変申し訳ないのですが、宜しければご意見をお聞かせください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
起きていない出来事にとらわれずに
初めまして、お早う御座います。
起こっていない出来事を考えたり、思ってしまうと・・心はその事で一杯になってしまい、不安にも心配にもなってしまいます。小さな子ども達が、過去でもない、未来でもない、今と言う瞬間。未来を恐れずに楽しく過ごす姿こそが、私たちのお手本になっています。
私にも、言い表せない様々な出来事がありそれを乗り越えて来ました。その時に思った事があります。
こうだから・・と後ろ向きに考えてしまっていると、その様な結果になり運命にもなってしまいました。逆に・・善きことを想いながら行動をしていると、次第に好転し始めました。結果、周りには良い方が集まって来ていつも見る風景など全てに有難いと心から思えるようになりました。
そうは言っても中々、人の心は変化を嫌います。いまのままの居心地の良さ、変化する事が大変でめんどくさい・・と。
ちょっとの勇気と努力で、夢も希望も叶えられます。物事にとらわれ過ぎずに、あなたにはあなたの良さが必ずあります。せっかく、比較的に恵まれた国に人として産まれ今を生きているのです。人生と言う冒険旅行を楽しみませんか?描くのも演じるのもあなたしかいません。運命も、未来もいくらでも変えられます。
今日と言う日は二度とないのです。今日を、楽しくあなたらしく過ごして見ませんか?
どんなに苦しくても、辛くても、その問題は留まりません。時間が過ぎるように映り動きます。苦しかったり、辛かったりする中で、ひょっこりと善いことが現れるから”有り難い”なのです。
物事にとらわれず、起きていない出来事を思ったり考えずに、人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように心から祈っております。
合掌
質問者からのお礼
永寛様
初めまして。こんな私の悩みと真摯に向き合って下さったうえでの有難きお言葉の数々、心より感謝致します。
自分を許すことができず、未来を怖がるしか出来ない日々にどうか別れを告げられるように…「人生という冒険旅行」を楽しめるように、少しずつ思考を変えていくための努力をしていきたいと思います。
自分に負けそうになったらまたこちらの回答を読ませていただきますね。
本当にありがとうございました。