愛か執着か
初めてご相談申し上げます。
15年程前に離婚し現在独身です。
離婚後に知り合いお付き合いをした方がいましたが1年ほどで破局しました。
狂信的に彼を愛して、それも原因のひとつだったのか上手くはいきませんでした。
その後別の男性と10年弱お付き合いをし、昨年の夏に破局しましたが、お付き合いを長く続けていても頭の中にはずっと、以前にお付き合いしていた彼の事が離れませんでした。
破局し生活を一新したのち、駅で偶然
10年ぶりに以前お付き合いしていた彼に出会い、その後度々お酒を飲みに行ったり色んな事を語れるような仲になっています。(彼も独身でフリーの身です)
再会してやはりこの人しかいない。この人以外考えられないと確信するようになり、ただ苦しいです。
こんなにも人を愛する事が出来るのでしょうか。
思い続けていた人にまた再会できるなんて運命と思いたい反面、そんなロマンチックな事を考えているのは自分だけと思い恥ずかしくなります。
彼の態度からひょっとして彼も自分に気があるのではと思う節もあるのですが男性にも女性にも誰にも態度を変えない人なので分からないのです。
人に話せば執着していると言われそうで1人で悩み考えています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愛か執着かの考え方の一つとして
メメントモリ 様
愛か執着かの考え方の一つとして、私の意見ですが
もし愛という定義が、不偏的で永遠なるものと捉えるなら、彼の幸せを徹頭徹尾祈ることではないでしょうか。その彼のパートナーがあなたか別の人かそれとも特定の人をパートナーとしないのか、そのことを問わない。またそれに拘わらず、彼の幸せを祈ることが本当の愛と言えると私は思います。
執着なら、彼のパートナーは、好きでたまらない私が相応しいと思い、自分の心を満たすことを優先に思ってしまうことではないでしょうか。
もし、メメントモリ様が彼を本当に愛するのなら、彼のパートナーが誰であれ、彼の幸せを祈り続ける行いをすることをお薦めします。その報いとして、彼があなたを選んだのならそれでいいし、そうでなくても、あなたは幸せを祈り続けることでしょう。と、私は思います。
お釈迦様の言葉に、求不得苦、愛別離苦というのがあります。「欲しいものが得られないと苦しい。愛する人と別れるのは苦しい」という意味ですが、この苦しみを滅するには、執着をなくすこととだと説かれております。どうか客観的にみて自己の欲望(執着)を抑えて、本当の幸せを祈ってください。
一礼
追伸:早速の返信御礼メッセージありがとうございました。私は、あなたの彼への幸せの祈りが成就することを祈ります。ご縁に感謝申し上げます。再礼
質問者からのお礼
早速のご回答誠に有難うございます。
いただいたお言葉を一字一句かみしめて
まずは己と向き合い、彼の幸せを祈る事から始めてみたいと思います。