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お寺を辞めなくてはならなくなった

回答数回答 3
有り難し有り難し 18

お寺に生まれお寺の後継として育ち、10年くらい寺に勤めましたが、激務と結婚のプレッシャーから無職になって17年になります。住職が退く時が来ました。無職でも寺から給料は出ていたのですが、それも打ち切りです。富岡八幡宮殺人事件と同じ立場です。新住職を恨んでもしかたがありませんが、自分が生きていけません。借金がかなりありますし、年金だけでは生きていけません。自己破産して生活保護をうけるのも難しそうです。もう死ぬしかないのでしょうか?死ぬなら富岡八幡宮殺人事件のように新住職を巻き込みたくはないと思います。恨み辛みの感情は有りますが。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたを応援しております

拝読させて頂きました。
今のあなたの状況やご家族の方々の状況そして今までの経緯についてわかりかねる部分はありますので一概に言えませんけれども、一度今まで様々背負ってきたことや感情的になって抑えてきたことも含めて重い荷物を下ろしてみること、そしてあなたの心身も休めること、ご家族の方々もゆっくり心身共に休めることは必要かと思います。できれば一度今までのことをリセットなさり、裸の素直な人間として立ち返ることが大切かと思います。今の様々な役職を捨ててもあなたは一人の尊い人間として存在しているでしょうし、様々なしがらみや呪縛を捨て去ってみると改めてあなた自身を見つめ直すこともできるように思います。あなたが一人の人間として、一人の僧侶として生きていくことは必ずできると思います。時間はかかるかもしれません。それでもあなたが生きることを見つめ直していくことはあなたにとって本当に価値あることです。不安や心配や恐怖もあるとは思います。とはいえ生きていれば大なり小なり不安はつきものです。ですがじっくりと時間はかかりますが焦らずに解決する道はあるでしょうし、また別の道は開けてくると思います。借金や病気にもそれぞれに相談なさりあわてずに他者のサポートを受けていきましょう。その時時のタイミングもありますし、助けて下さる方により方法も様々あります。答えを急いでしまいますとなかなかうまくいかずにかえって回り道することにもなってしまいますね。私から申し上げるのもおこがましいことではありますが、あなたは先ず尊い生命を受けて今現在でも尊い存在ですし、かけがえのない沢山のご縁を頂いています。そして何よりご仏縁を頂いていますからね。あなたにはあなたの人生をかけて得られるものがあります。どうか決してあせらないで下さい、決してあきらめないで下さいね。あなたは必ず仏様やご先祖様方が見守りお導きなさって下さるのです。あなたの病いが回復なさっていかれて心穏やかに安心なさってご生活なさり、一人の人間として一人の僧侶として心豊かに仏道を歩んでいかれますようにと切に祈っております。あなたを心より応援しています!
再度拝読させて頂きました。あなたが生きる道はあります仏の教えを受けた一人の僧侶として一聖としてしっかりと生きて頂きたいです。各宗派の宗祖は何もない遊行しながらの聖でした。私達にはその様な尊い先達や見本がおられます。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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「個人情報を公開しない卑怯者の戯言」(追記アリ)

以下は、標題の通りに受け止めて下さい…

お寺は、あなたを養うためにあるのではありません。
僧侶とは本来、生活費を稼ぐための職業ではありません。

寺檀制度、世襲制度の環境下にある私が申し上げても、『きれいごと』にしか聞こえないかもしれませんが…

お釈迦様の御教えに随い、苦しみの解決のための同志(僧伽)であり、その場所(僧伽藍)であったならば、現状の原因たるあなたの心労もなかったのかもしれません。

寺檀制度、世襲制度によって、確かに寺の運営という面に関しては、安定しました。
しかしそれは、本来『発心』というスタートから始まらなければならない手順を踏まないことに繋り、寺務・法務さえこなせれば『僧侶』として認知されてしまうという、本来の姿を見失うものでもありました。

一度は「役僧になる」と決心なさったあなたは、どうだったでしょうか?
「仏教に興味を持った」と思われた時のあなたは、どうだったでしょうか?

私が僧侶として心掛けているものが、今の世の中から求められているものかどうか?
住職となって日が浅いので、まだ判りません…
精一杯を勤めて、「必要ない」と判断されたのであれば、私は潔く身を引く覚悟です。
しかし、自身の信仰としての仏教は、決して捨てません。

お寺というハコモノがなくても、お袈裟という仏教徒のシンボルはなくても、信仰はできます。

…あなたはどうでしょうか?

~~~~~~~~~~~~
追 記

ご指摘の通り、私の申し上げているのは『原則論』『理想論』です。

末法濁世の現在日本において、『理想論』を声高に唱えると、同門からもどのような目を向けられるか…
お分かり頂けると思います。

それを恐れるがゆえの、匿名参加の卑怯者です。

さて、「お寺を離れる」を機に信仰も失くされてしまうのか?…と、勘違いしてしまいましたが、違ったようですね。
今後も信仰が標となってくれるでしょうから、私の回答は不要でした。

『辻説法』…本来、理想論を掲げる者こそ、そのような布教スタイルをとるべきなのでしょうが、残念ながら私にはそこまでの意気地はありませんので、末法の〇〇坊主のまま、自分の力量に見合った工夫に励みたいと思います。

ご指摘、ご返信有難うございました。
(^人^)

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おきもち

GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...
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お釈迦様の息子ラーフラ様は弟子の中でも決して息子であることを威張ることはなく謙虚で真面目で忍耐強く、舎利弗の元で修行して密行第一や学習第一と呼ばれていたそうです。
あなたも同じような境遇なので、ラーフラ様を見習うのがいいと思いますよ。
父親や新住職に頭を下げて雑用係でも掃除係でも雇ってもらって仕事をしてお給料を貰ってはどうでしょうか。
いずれば親の介護も必要になります。
住職じゃないからこそ親の介護をする時間も確保できると思いますよ。
お坊さんというのは職業であり生き方でもありますから、どのような立場や職種でもお坊さんとして生きることは出来るのですからね。
お坊さんとしての努力目標の十重禁戒など改めて見直して努めてくださいね。
貪瞋痴を捨てて生きてくださいね。
先のことを考えてることは一旦横に置いて、今日一日精一杯生きることに集中してくださいね。
応援しています。

お返事ありがとうございます。
ラーフラは十大弟子の一人として大成されているのですよ。
また法然上人は悟ったのではなく、お念仏の教えが全ての人を救うことに最も適していると確信して山を降りたのですね。
世の中には寺に生まれても後を継がずに別の仕事をして生きている方が多くいます。
ですからあなたはあなたの生き方を歩むのがいいのでしょうね。
寺にいて貪瞋痴が増すのなら、寺から離れて生きることも良いことだとおもいます。
生活保護なども持病がありますし条件を整えたら可能かもしれませんから、専門の方に相談してみてくださいね。
あなたの仏道が増進しますように。
南無阿弥陀仏

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

暖かい言葉ありがとうございました。ただ、慰められてもなんの解決にはなりません。生きる方法が欲しいんです。私も本当は死にたくないですよ。

ガルーシャ様
本来ならそうなんでしょうが、江戸時代に寺檀制度ができて明治5年に肉食妻帯が解禁されて、寺は家業化してしまいました。
原則論では救われないです。現状どうかです。また僧侶が経済活動をしなかったかというとそうではなく、法を説き布施をもらって生活してきたわけです。それにあたり最低限のものしかもたず、乞食坊主といわれながらも法を説いてきたわけです。私は寺を出ますが、法は説いていきたいと思います。乞食坊主になって辻説法をしたいと思います。

三宅様
ラーフラは大成しなかったと私は何かで読みましたが記憶違いでしょうか?
もう実家の寺に関わるのはやめたいと思います。惨めになるだけですから。結局うちの一家は寺にしがみついているだけに思います。法然上人は家庭の事情で出家し比叡山に登りましたが、当時の仏教界に絶望し、黒谷に遁世し、必死に仏教を学び、43歳の時に悟りを開かれ、野に下り最初は西山のちに吉水の草庵で、貴賎に法を説いて亡くなりました。その爪の垢でも煎じて生きたいと思います。ありがとうございました。

ガルーシャ様
信仰は捨てません。法然上人は出家にて(念仏を)申されずば、在家になりて申すべしと申されました。今は出家も在家と変わらないいやそれ以上の生活を送っていますから、還俗には意味がないのでしません。草庵からインターネットで匿名の卑怯者として法を説いていきたいと思います。それを辻説法と言ったのであって、街頭演説みたいなことをするゆうきもありませんから。気持ちに余裕がある時だけ、答えられるのだけ、このサイトで回答者になっていますから。私も卑怯者ですよ。
三宅様
悟りを開いたは語弊がありましたね。念仏の教えこそが、万民救済につながると確信したから、使命感で山を降りたのです。一遍上人も一度は坊さんになりましたが、在俗の生活に戻り、遊行して念仏の教えを全国に広めて亡くなりました。一向上人も同じです。違いは一遍上人は西山派から出て、一向上人は鎮西派から出たことです。教えは多少違ったのかもしれませんが、そういう念仏聖によって全国に念仏がひろまったわけです。遁世僧モデルという最新の学説があり、鎌倉仏教は当時の天台宗にみんな絶望して山を降りたわけです。出家して再出家するのを遁世といいます。それでも仏法を解き続けた鎌倉仏教の祖師たちは偉いです。官僧を辞めて貧乏な生活を送りながら、法をときつづけたのですから。それでどれだけたくさんの人が救われたか。ただ時代が違いますから、当時はいかに死ぬかが問題でしたが、今はいかに生きるかが大事です。四苦の生に比重が移ってきました。かといって現世利益は違いますし。仏教はそんなそくぶつてきなものではないですし。私の好きな御法語に二世安楽があります。いけらば念仏の項つもり、死なば浄土にまいりなん、とてもかくてもこの身には思い煩うことぞなきです。
南無阿弥陀佛

「お寺全般」問答一覧

お寺でおじさんからナンパ

先日、厄除け祈願のためお寺へ行きました。そこは初めて行く場所でとても楽しみにしておりました。 お護摩まで時間があった為、境内を散策していると、親ほどの年齢の男性に、写真を撮って欲しいと言われたので、写真を撮りスマホを返すと、地元の人ですか?と聞かれたので違います。と答えるような軽い会話をしました。するとその男性はよかったらお食事でもと誘ってきました。断ると足早に去っていき、それ以上は何もなかったのですが、20〜30は歳の離れた男性からお寺という場所でそのような目で見られたことがすごくショックで不快な気持ちになり、とても嫌な思いをしました。 思い返してみれば、写真を撮って欲しいにも関わらず、すぐにスマホが出てこなかった事と、私がお賽銭をいれる直前に声をかけてきたところからそもそもナンパ目的な点とお参りを邪魔された点にとても腹が立ってきました。 その後、無事にお護摩を終え護摩札を受け取りましたが、モヤモヤが消えません。 境内でそのような事(ナンパ)をする方をお寺の方々はどう思っているのか気になり、また嫌な思いをしたお寺は自分には合わないのかと思い相談させていただきました。

有り難し有り難し 17
回答数回答 2

ご先祖の菩提寺を調べたいのですが

自分の先祖の菩提寺が知りたいです。 過去帳で原戸籍以前のご先祖にどんな人がいたのか知ったり、当時何があったかわかる範囲で調べたいと思っております。 今まで、私の祖父は父の顔を見る前に亡くなったと聞かされており父方のご先祖に関する情報はほとんどありませんでした。 父本人も、祖母方の親戚筋ももうおりません。 戸籍の取り寄せで天保年間生まれの曽祖父まで辿れたのですが、それより昔の人のことや歴史上何があったか知るには菩提寺の過去帳を調べて頂いたり口伝で伝わっていることを教えて頂くことだと聞きました。 宗派もわからないのですが、ご先祖の本籍地の周辺のお寺にしらみつぶしにお手紙を書くしかないでしょうか。 現在あるお寺が新しいと意味がないし、逆にお寺がなくなっていることも考えられますよね? アタリをつけるにはどうするのがいちばんよいのでしょうか? ちなみに、途中で分家の際に苗字が変わっているものの、いちばん古い戸籍の戸主の父母の苗字もあり、「ご先祖さまはどこかの村長さんだった」とも聞いた覚えがあるので、過去帳や郷土資料に名前が残っている可能性は大きいと思います。 アドバイスが頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

hasunohaが繋いでくれた幸せの縁

いつもありがとうございます。母の命日にお寺の近くで怪我をし門前の治療院で出会ったご縁、おかげさまで順調です。 その後、異動先でも彼は健気でした。もちろん治療院全体の患者に対する姿勢でもありましょうが、ちょっとした気遣いで人としての器を広げていく仕事環境や切磋琢磨している姿は、とても清々しく素敵でした。 気丈に振る舞いながらも新天地で生まれた弱音をこぼしてくれたこと、カーテンの向こうで波に揉まれている様子、三兄弟の次男らしく、周りに可愛がられながら、彼なりに努力している姿がありました。 帰り際、先輩からビシッと突っ込みがあった時に思わず「すみませんすみません!私の方がウッカリな所があって…」と、異動前にあったエピソード「私が予約を間違えた時に、彼が怒ったこと」や、「山程お客様に頂いた甘栗をそのまま手技療法の治療家に渡すわけにはいかないと、硬い皮をむいて、人数分差し入れた話」をこぼしました。あり過ぎて皮付きのまま渡した分は「僕と〇〇先生で、食べてましたよ」など先輩方には冗談として笑ってもらえたような記憶です。 去年の春まで介護支援記録を書いていたことから、一言一言を記し事実と感情を客観的に振り返る習慣が自分の中に未だにあるのですが、改めて今、彼の言葉の奥にある優しさや気遣い=愛情とその「真逆の言葉との違い」について鮮明になる今日この頃です。 彼が望むものは何だろうか…ずっと考えました。 きっと「自分が尽くせる存在、自分の好意を認めてくれる人」であり、自然と出る優しさ=自分の存在価値を肯定されることで、安心や落ち着き、自信に繋がるのかと思いました。 まだまだ経験を積んでいる段階なので「失敗や弱点などのミスも受けとめてくれる存在」「必要に応じてより良くなるためのアドバイスや、別の視点からヒントをくれる人」が何より有難く映るのかとも…チームそのものが成長したい気持ちに満ちた風土なので、陰からありのままを包み込んで「疲れた時に休ませてくれる存在」がいれば「ひとりでにまた前進していく」そんな風に映りました。そしてそれは、私がかつて施術者として探求、観じていた理想と一致しました。 二人共「精神的な繋がり、思いやり」があればそれぞれが日常の目標・自己実現に向かって頑張れる。そんな絆に恵まれたこと、幸せに結びつくご縁をhasunohaが繋いでくれたことに深謝の限りです。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

周りから「寺社に行くな」と言われた

 いつもお世話になっております。  ここ数週間の間、寺社で立て続けに不審者に遭遇しています。 見つめられる、近寄ってこられる…  私は、色々な寺社で男性信者から性的な前兆事案に遭っています。 「前兆事案」とは、刑事用語で、「犯罪には至らないが、やったら おまわりさんに注意される行為」のことです。  たとえば、見つめる、声掛け、後をつける、触られるなどです。 もっと厳密な意味があるのでしょうが、私の解釈はこのような感じです。  近所のお寺にウォーキングに行っていたのですが、このお寺では 2回ほど不審者に見つめられました。他にも様々な寺社で不審者に 遭っていることをおまわりさんに告げると、 「辛いかもしれないけど、お寺にはもう行かないほうがいい」 と言われてしまいました。  仲良くしているおばあちゃんにも、 「なんであんたは、変な奴が来るってわかってる所に行くんだ。 大馬鹿三太郎のやることだよ」 と言われてしまいました。  結論、「お寺好きの友達と予定を合わせて一緒に行く」という ことになりましたが、友達は医療系専門学校に通っていて、多忙です。  おばあちゃんは、 「なんとか就職できれば」 と言ってくれたのですが、 「まだ先生から、訓練すら段階的にレベルを上げて、という話で、 就職なんてまだ先」 と言われたことを伝えました。  悪しき野心を抱いたケダモノたちのせいでお参りが できなくなってしまうのは、悲しいし悔しいです。  しかし、うちには浄土宗の仏壇があるので、それを大事にして いればいいのでしょうか。でも、私は寺社のあの雰囲気が好きです。  行けなくなるのは、本当に悔しいです。

有り難し有り難し 17
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お寺の跡継ぎについて

田舎にあるお寺の娘です。 現在、父が住職をしていますが、現在跡継ぎ問題に直面しています。 うちは三姉妹で、両親は、いままでも私たち姉妹に寺を継ぐよう強く言ったことはなく、今回、両親が高齢になってきていることもあり、このタイミングでと思い、私から今後のお寺について相談?した際にも、「わたしたちが幸せになるのが一番だから」と、寺を閉じることも視野に入れて考えているようです。ですが、やはり話をしていると祖父母や代々寺を守ってきたご先祖様に申し訳ない、悲しいという気持ちも汲み取れます。お寺を閉じるという選択は、私にとっても心苦しいものでもあります。ですが、自分自身が出家して尼僧になり、後を継ぐという覚悟も決まっているわけではありません。。 ちなみに次女は結婚して家を出ており、長女は何度かお見合いもしましたがいままでは良いご縁がありませんでした。わたしは現在、一般の方と5年ほどお付き合いしており結婚も視野に入れていますが、私以外に望みがなく、私がお寺の後継者の方とご縁があれば、お別れすることも考えています。 現在の選択肢としては、 1.姉妹の誰かがうちのお寺を継いでくれるどなたかと結婚する 2.姉妹の誰かが出家し継ぐ 3.お寺を終う 上記のいずれかなのかと思います。 跡継ぎ紹介システムなど、検索してみましたが、よくわからず。。 また、父が言うにはうちのお寺は過疎地域にあり、経済的にもここを継ぎたいという人を見つけるのは難しいだろうと。。 確かにお寺だけでは収入は十分ではなく両親は他の仕事もしています。しかしお寺自体は歴史もあり、このまま閉じてしまうのは悲しいです。今後お寺を続けていくにしても、なにかお寺自体も盛り上げていく新しいやり方が必要なのかなと思います。 似たような境遇の方のお話や、跡継ぎ問題、過疎地域にあるお寺の存続問題など関してなにかアドバイスのある方がいらっしゃれば、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 5
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所属寺院は…

はじめまして、よろしくお願いします。 ある別院さんの納骨堂でお世話になっています。 今回、使用者名義の母が病気になりいろいろな事が難しくなったので、使用承継のお願いをしました。 書類と説明をしていただいたのですが、その際“所属寺の証明欄に必ずご記入いただく様お願いします”と言われました。 私は幼い頃からこちらの別院さんしかお参りしていないので、他にはない事や今は県外に住んでいる事を伝えると“決まりですので、どこか探してもらえませんか”と言われるばかりでした。 母が手続きをした時はどうしたのかと書類を確認していただいた所、“お母様も同じ様に言われたようで、その時特別に承諾したようですね。ですが今回は決まりですのでお願いします。こちらのお寺の名前を出してもらえばわかってらっしゃるので大体のお寺で記入してもらえるので。”と言われました。 今住んでいる県のお寺さんで探してみたのですが、夫の転勤が多く、居住地が定まらないのでご記入いただけませんでした。 書類と説明をしていただいたお寺さんの“うちのお寺の名前を…”の言葉を信じて、そのお寺さんもある県でも問い合わせしたのですが、“何日か行事に通っていただかないと記入する事は難しいですね”と言われてしました。 私がお願いにうかがうお寺さん選びが悪いのでしょうか。本当に困り果てています。 どうすれば書類に記入していただけるのでしょうか。 どうかお教えいただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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檀家でない者が法要をお願いするのは

実家は真宗大谷派、私自身は現在実家から新幹線の距離の街に住んでおります。 父の死後、母と兄の私や家族に対する態度の豹変、虚言による中傷の為実家とは絶縁しています。 今年の夏、亡父の七回忌ですが、今住んでいる街で自分達だけの法要をしたいと思っております。ここ1年ほど近所の日蓮宗のお寺で写経会や行事に参加しており、事情を話しましたらご住職より快諾頂きました。 地方も宗派も違うので法要のお布施の額も全く分からず、街の仏具店で尋ねましたら、そもそも檀家でもないのに法要を行うのはその寺の檀家さんからすると義務を果たさず美味しいとこ取りともいえる、かなり図々しいことなのでお布施はこの程度はするべき、と実家の菩提寺の法要のお布施の2.5倍ほどの額を提示されました。そこまでは厳しいので多少躊躇しています。 お寺の写経会は本当にいいの?というくらいお金がかからないし、誘われるまま行事にも参加していましたが、やはり檀家さんからすると余所者がお寺を利用しているという認識もありかな、と思っております。 また、宗派も違うのに法要をお願いするのは常識外れなのではと今になって悶々としています。 住職さんは快く受けてくださいましたが、なら一層お布施くらいは高額納めるべきなのか? そして檀家でもない者が気軽にお寺を利用して良いものか。 助言くだされば有り難く存じます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ