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憎しみにとらわれないようにしたいです

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憎しみがずっと続いていた人が今後そうならないようにするにはどういう考え方をもつべきでしょうか。

約10年間、きょうだいに対する憎悪に縛られていました。
絶縁という悲しい形ではあるけど距離を置けたこと、経験を積み自分の心の弱さと向き合えるようになったことで、過去を過去として昇華できそうです。

過去に囚われて生きてきたので、逆に今はもったいない生き方をしてきたなあと苦笑いです。いきなりポジティブにもなれないのです。
あの時期の自分は醜くて浅い考えでした。またそうなってはいけないと思います。今後そうならないような考え方をご助言いただきたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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愛し憎んだ上で、どうするか

こんにちは、初めまして。

「約10年間、きょうだいに対する憎悪に縛られてい」たとのこと。経緯、その内容はは存じませんが、心身ともに大変なご苦労をされたと思います。「絶縁という悲しい形」と言われるように、憎しみと悲しみがない交ぜになったお気持ちを長い期間抱えられていたのですね。お辛かったでしょう。

とはいえ、「過去を過去として昇華」と言われているように、現在の状況に一定のご納得と、心の落ち着きを徐々に取り戻しておられることと拝察いたします。

「憎しみにとらわれないようにしたい」と、今後に向けての問いをしておいでですね。では、ご一緒に考えたいのですが、なぜ憎んだのでしょう。意見が違うから、筋の通らないことをしたから等々様々にあるでしょう。しかし、その根底にあるのは、肉親としての情、血を分けた者同士としての愛情があったからではありませんか。そうです、憎んだの愛していたからです。愛憎は一体です。

他人に対しての憎しみならばどうでしょう。出来るだけ避ける、取り合わない、最低限の付き合いですます、ができるでしょう。しかし、身内はそういきません。居を同じくしたり、行事ごと等で顔を合わせたり、言葉を交わさざる得ません。また、幼き時に共に遊んだ懐かしい日々も頭をかすめます。共に理解しあいたい、共に喜びたい、同じ方向を向いてほしい。しかし、それがかなわない時、何で理解してくれんのだ、分かって欲しい、分かって欲しい・・・、これが高じて力づくになり、憎しみへと発展していくのだと思います。

これからも、愛すれば憎むことが必ずついてくるでしょう。人間、一生煩悩と無縁では生きられないのです。しかし、その憎しみの正体を知った時、愛していることの裏返しなのだと少し冷静に物事見れるようになります。愛憎がある中で、別人格のその人を(自分には理解できないけれど)尊重する、という人生のスタンスを取れるのではないでしょうか。力が抜けたところに、「楽に生きたいと思っています」と仰る人生が実現するのではないでしょうか。

大変お苦しい状況を経られた思いますが、今の大切な学びに繋がっていることと存じます。

ご参考になれば幸いです。
お大事に。

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釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

この度はありがたいお言葉をいただきまして感謝いたします。憎しみの正体…深く考えるのを避けてきた部分があり反省です。何事も学びに繋がるんだなあと自覚できたようにも思えます。今回の助言をうけて、視野を広げていきたいと思っています。ありがとうございました。

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