昔の記憶
現在、結婚し、2児の母です。私は青春時代
付き合っていた方がいました。その方と付き合ってる時に、私は、例えば大切な人がバイク事故で亡くなったならその人にとって事故現場が最後の場所になるから、その場所で手を合わせれるような大人になりたい!と話した事があります。
私の未熟さゆえ、その方とは別れ10年近くたったある日のニュースで、その方が、バイク事故で亡くなったと知りました。私は、葬儀会場に行き手を合わせ、遺影をみて、昔と変わらない姿に少し安心したのと、何故彼が事故死を遂げたのか現実を受け入れるのに時間がかかりました。もちろん事故現場を探し、お花や、付き合ってた時話したバンドのCD等お供えしたりしました(現在も現場に足を運んだりします)
その半年後に次女をさずかり、もしかして次女は亡くなった彼の生まれ変わり?とも思ってしまいました。
そんな次女がこの春、高校生になります。私が、亡くなった彼と付き合いだした歳です。次女の進学先が決まり、なぜか私はその彼と付き合ってた時の事が昨日の事のように思い出し、ドキドキしてしまったり、にやけてしまったりあの頃に戻ってまた彼に会いたいと思ってしまいます。別に会えなくても、彼が死なずにいてくれたら、それだけで良かったのに死んでしまったら二度と会えない、ただ虚しい気持ちになります。
お坊さん、私はまだ彼の死を受け入れられてないのでしょうか?また次女は彼の生まれ変わりでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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想いや願い。純粋な心は必ず届きます。
初めまして、お早う御座います。
私は、30代初めに妻を病気により看取りました。仕事ばかりに追われ、異変に気づくのが遅く余命も僅かでした。それでも、寂しくないように懸命に命の灯を消さぬように灯して余命よりも8か月、奇跡的に生きてくれました。その時の2歳になるか、ならないか・・次男も今では16歳。重い障がいがる長男も19歳になりました。
二度とこんな辛い思いをしたくはない・・そう思い過ごしていました。妻を看取り4年後に職場で知り合った方に告白をされ必死に諦めず側にいてくれました。その思いに少し傾き出した頃、東日本大震災で彼女を失ってしまいました。呆れるほど、絵にかいたように・・これでもか!と嫌になるほど困難が押し寄せました・・。
人は、亡くなったら終わりではない。そう、私は思います。四十九日とは・・亡くなった方が、生前愛した人の心の中にスッと入って、共に悲しみや辛さを共感して耐えずに思い切り泣いて過ごす”命の時間”だと思いました。そして、お互いにもう大丈夫・・と思った時、それぞれが新たな人生と言う冒険旅行を歩み出す・・それが四十九日ではないのでしょうか?
お仏壇はあの世のこの世との電話とも私は思っています。例えお仏壇がなくても、純粋に祈れば・・側にスッと来て、その祈る姿に微笑んで応えてくれるのです。
きっと、彼も・・一緒に過ごした時をたまには思い出してね!笑顔で過ごしてね!と教えたかったのだと思います。一番のご供養とは、お金をかけて豪華にご供養する事ではなく、笑顔で日々を過ごす事が残された私たちが出来る一番のご供養であり、彼岸(あの世)にいる皆んながそれを望んでいるのです。
彼はしっかりと、彼岸に行って彼の新たなストーリーを歩んでいます。元気でいるかい?と問いかけてくれたのでしょう。そして、こんなに多きく立派にそだったんだね!と喜んでくれているのです。
ふと、思った時にその懐かしい想い出を思い出して上げて心の中でも良いです。手を合わせて上げて見てください。
彼の分も仕合せに、そしてあなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように心からお祈り致しております。
亡き、彼に心から・・・
南無大師遍照金剛
合掌 礼拝
尊い記憶ですね。
今の次女さんと
その頃の自分とが重なって
昔の記憶が甦っているのでしょう。
でも
その彼はもう成仏して
仏さまとして有縁の方々を見守ってくださっています。
あなたもその内のお一人でしょうね。
次女さんは
決して生まれ変わりではなく
仏さまの世界から賜った
尊いいのちです。
次女さんを誰ともダブらせることなく
一個人として向き合ってください。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
心がスッキリしました。
これからも日々精進し、今の幸せを亡くなった彼の分まで味わいたいと思います。
ありがとうございます。
亡くなった人達…、私は自分が生きてる間はその方達の事を忘れる事はないと思ってます。たまに目に見えない自分の気持ちが不安に感じてしまいますが
瞬間、瞬間を大事に精一杯毎日を過ごします!