寿命
私は15歳の時に祖父を
17歳の時にクラスの友人を
21歳の時に祖母、24歳の時に先輩を
そして29歳の時に実父を亡くしています。大切な人を亡くすたびに、今、生かされてる事に感謝し「ありがとう」の言葉を大切に発するようにしています。
が、たまに亡くなってしまった大切な人達は、あの世でどうしているか?私はどのように見られているのか?気になります。人はおぎゃーと生まれた瞬間から死に向かって生きてると聞いた事があります。限られた時間を、家事や子育て、仕事に精一杯生きてるつもりですが、自分の寿命も知りたいです。
よろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
知ると言うことは他人も分かるということです。
実は、聖者と呼ばれた方は、自分の寿命が分かっています。
何故なら、生まれてきた意味を知っているからです。この世の人々に何を伝え、何をすべきかを分かって誕生してきているので、その役目、使命が終えたら、この世に存在する必要がないゆえ、この世から去るだけです。同時に寿命も分かっていると言えましょう。
残念ながら、私も含め、多くの人たちもその事(自分の使命)を理解していないので寿命が分かりません。分からないからいいのですが。
母は私の23歳の時、父は25歳の時、亡くなりましたが、それも寿命だったのでしょう。
そして、なおさんさんは、ご自分の寿命を知ってどうしますか?
知るということは、自分だけならまだしも、大切なご主人やお子さんの寿命も知るということになります。それは、想像しただけでも耐えきれないでしょう。
又、知ったら、それなりに生きるというのなら、今この瞬間瞬間を大切に生きましょう。
人は亡くなってしまったら終わりではありません
初めまして、今日は。
私も、30代初めに大切な妻を病気より亡くし、私や子ども達の事をとても大切に思ってくれた方を東日本大震災で亡くし、その直後に父を看取りました。
祖父母の死など、小さい時から”命の時間”を沢山、経験させて頂きました。
人は、死んだら終わりではありません。亡くなった人の魂は・・生前愛した方の心にしスッと入って、共に過ごします。一緒に悲しみ泣いて、お互いがもう大丈夫。
そう思った時にそれぞれが新たな人生を歩み出すのです。それが四十九日だと思っています。
そして、お仏壇は、彼岸(あの世)と此岸(この世)との電話と一緒だとも私は思っています。純粋な祈りは、国境も、人種も、宗教と言う壁もなく隔てなく届きます。祈る姿の隣にスッと来て、笑顔で応えてくれます。お仏壇がなくても、祈ると側に現れてくれるのです。
人生とは長い冒険旅行と一緒です。苦しい事も、辛い事も多いですが、善き事もあります。生きるヒントや知恵が散りばめられていて、それぞれが同じスタートラインに立ち、ストーリーを描き宿命は変えられませんが・・運命や、人生、自分自身はいくらでも変えられます。
ご供養、それは立派にお金を掛けするものではありません。純粋な祈り、そして日々を笑顔で過ごす事、それこそが”本当のご供養”だと思い私は過ごしております。此岸に残された私たちが悲しみ日々を過ごす事を望んではいないのです。
時々、大丈夫かい・・?
気を付けなさい!
と、何かしらのサインも出してくれます。例えば、電車に間に合わなかった=事故に巻き込まれなくて済んだ等、日常でそんな出来事もありますよね?無理に間に合うように急いでいても、間に合わない時は・・きっとご先祖様が気を付けて!と訴えているんだな・・そう思って無理をしません。
お心、とても素晴らしいです。そのお心を大切にして、あなたらしく大切な心を捕らわれず、全てに当てはまる”ほどほど”に、過去でもない、未来でもない、二度と来ない今日と言う日をあなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように、心よりお祈り致しております。
亡きお父様や皆さまに心から・・
南無大師遍照金剛
合掌 礼拝