両祖父との別れを看取ることができなかった
はじめまして。私が20代前半の頃の祖父との死に別れについて相談したいのです。
その頃私は、県外に勤めておりました。父方の祖父は病院で寝たりになっていました。帰省のタイミングで会いには行っていましたが、最期、祖父を看取ることが家族の中で私だけできませんでした。
私は今30代前半ですが、どうして私はだけ祖父を看取ることができなかったのだ、う?と考えてしまい後悔とどうして私だけ?と思ってしまいます。
母方の祖父もその1年後に亡くなりました。その時も私は祖父の最期に会うことができませんでした。
大好きな祖父2人とお別れも言えず、会うこともできなかった。
なぜなんだろ、私は何がいけなかったのだろう?祖父達はどんな気持ちだったのだろう。そう思うと涙が止まりません。
父方の祖父は、生前母に私の事を優しい子だ、本当に優しい子だと言っていたそうですが、そうなんでしょうか?
祖父が逝ってしまう時に側に居なかった私が優しいのでしょうか?ひどい子だと思ってしまいます。
亡くなった方のことでいつまでも悲しんではいけないと聞きます。前向きに生きていきたい、そう思うのですが、祖父のことを思うと、寂しさとやりきれなさでいっぱいになってしまいます。家族全員揃って最期を看取ってあげたかったと思います。
最期に会えないのってどうしてなのでしょうか?
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
看取る事が出来なくても、純粋な想いは必ず届きます。
初めまして、今日は。
私も大切な人を看取り、そして看取る事が出来なかった事が御座います。この世とは此岸(しがん)と言います。あの世は彼岸(ひがん)と言います。残された私たちが、悲しみから抜け出せずにいる事や悲しむ姿を望んではいません。
四十九日、それは亡くなられた方の霊魂がスッと愛する人の心の中に入って、共に歩み共感をして”命の時間”を過ごす事だと思っております。共感をして、我慢せずに泣いて・・そして、もう大丈夫と思った時にそれぞれが新たな人生と言う冒険旅行を歩み出すのです。悲しみから抜け出せずにいると・・お互いが、新たに歩み出せません。
一番のご供養は、純粋な祈りと過去でもない、未来でもない、この瞬間を日々、笑顔で過ごす事です。
お仏壇は、此岸と彼岸とをつなぐ電話と一緒だとも思っております。例え、お仏壇がなくても・・純粋に祈れば、スッと隣に現れて祈る姿を微笑んでくれます。
例え看取る事が出来なくても・・・その理由などをどうぞ、深く考えなくて大丈夫です。あなたの純粋な大切な気持ちは届いています。無理なく、継続してご供養を続ける事が大切です。私たちも、いつかは必ず彼岸の元に行きます。沢山、心のアルバムに想い出を刻んで、その時が来ましたら・・想い出を語って上げてください。私は、妻を病気により看取りその5年後に、ご縁があり私と子ども達をとても大切に思ってくれました彼女を東日本大震災で失いました。その彼女と、祖母を同じく看取る事が出来ませんでしたが、一緒に過ごした出来事を大切に心に仕舞いそして、彼岸に行った時に想い出のアルバムを開いて話して上げたい・・そう思って日々を過ごしております。
大切な祖父さまに心から・・
南無大師遍照金剛
あなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように、心より祈っております。
合掌
質問者からのお礼
この度は、ありがとうございます。
深く理由は考えず、両祖父に気持ちは届いている、天国から心配させないよう今を笑顔で過ごしていこうと思います。
お仏壇に手を合わせる時、普段の生活もおじぃちゃん達は見ていてくれる、そして側にいてくれる、そしてまた新たな人生を歩んでほしいと思って、悲しみすぎずに生きていこうと思えました。2人は私の中に居る、思い出や一緒に過ごした事は消えません。
本当にありがとうございました。