不仲だった母親の死
先日2年前から病気だった母親が亡くなりました。
長いこと不仲で、1年半前に母親と大きな喧嘩をして家を出て一人暮らしをしていました。
ここ半年は母親が弱ってきたこと、私も一人暮らしを経て考え方が大人になったこともあり会う気になり四度だけ会い、少しだけ連絡を交わすようになりました。
もっと会いに行かなくてはと思ってはいたのですが、昔の母親の記憶と、弱っている母親を見るのが辛くなりズルズル先延ばしにしていたところ、母親の容態が悪くなり、実家に駆けつけて一週間介護した後亡くなりました。
葬儀後は、一週間祖父母、叔母、父親、子供に看病され、看取られ母親も満足していただろう、私自身もその1週間でようやく素直になって母親が意識があるうちに謝罪、感謝を伝えることができたので良かったと思っていました。
しかし、遺品整理をしているとき、母親から私への謝罪の気持ちが書いてある文章、また私と暮らしたいという日記などを読むうちに自分の過去の行いに対して申し訳ない気持ちがどんどん膨らみ、辛くなってきてしまいました。もっとこうしてあげればよかった·····ということが沢山あり、後悔の念で押しつぶされそうです。
しかし、家を出たことで母親に素直になれたと思うところもあり、過去の自分を責めきれず、そんな所も嫌になってしまいます。
出来ることなら母に会ってもう一度やり直したいですが叶わないため、この気持ちをどう消化すればいいのかわかりません。ふとした瞬間に気がつくと頭の中が母親のことでいっぱいになり涙が出てしまいます。助けてください。
お坊さんからの回答 1件
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涙の中での再会
外国の話ですが、ある男が居ました。この男はサーカスを経営して町から町へ旅しているのです。
そのサーカスに少し障害のある女性がいて歌が大変上手なのです。
ある時この女性が病気になり男は街に置き去りにしてしまいます。
数年してある町に滞在したとき、女性が得意だった歌を歌っている人に出会います。
その歌をどうして知っているのかと尋ねると、自分は路上に倒れていた女性を引き取って1年程世話をしていたのだが先日亡くなったと。その女性がよく歌っていたのだとサーカスの男に伝えました。
サーカスの男は海にゆき砂浜で自分の行いを悔いて慟哭するのです。この時に男の中に路上へ捨てた女性が帰ってきて再会していると私は感じます。
あなたのご相談を読んで思うことは、親孝行ができない事を学んで本当の意味での親孝行を行う歩みがあると思うのです。
もうひとつ付け加えるならあなたはお母さんと出会っておられますよ。涙が出て後悔しているのがその証です。
人と人が本当に通じるとはどういう事か、深く学んでいただきたいと申し上げます。
質問者からのお礼
桃川英明さま
この世に存在する母親がいなくなった今できる、本当の意味での親孝行、本当に人と人とが繋がること、がまだ私には明確に理解できないですが、これからの指針にしていこうと思います。ありがとうございます。