否定的な言葉に敏感になってしまう
長々と失礼します。
現在私は子供を幼稚園に通わせながら、その時間内でパートをし迎えに行き家事育児をしています。
夫は子供が寝たあとの帰宅なのでいわゆるワンオペ育児です。
当初はそれが夫婦の役割分担だと思っていて、いつも家もキレイに子供の遊びにも全力で、習い事の宿題もキチンと、帰りが遅い夫にも出来立ての食事を、夫の親族も大切にとできる限りのことをしてきたつもりでした。
しかし姑から、外出時私が子供をトイレに連れて行くために夫に荷物を預けるだけで嫌味を言われ、自分の実家に顔を出すだけで嫌味を言われ、体調が悪く寝込めば嫌味を言われ、夫兄弟の結婚式のため10時間のフライトを子供とすれば「飛行機長くて『パパが』大変ね」と言われ、まるで私が育児を全て丸投げし何もしていない扱いをされています。
なぜか幼稚園の送り迎えも庭の手入れも土日も世話も全て夫に丸投げしていると思われていて、否定しても聞き入れません。
夫も2人目を検討したいか聞くと「うちは子育て向いてないから無理だよ」とワンオペの私に言い、「今日若くみられたよ」と言えば「普通思ったより若くいうものだから」、「年齢の割に傷の治りが早い(と同僚に言われた)」と言えば「絆創膏がいいんだよ」、「今日のご飯。いつもより美味しくできた」と言えば「食材がよかったの?」と。
小さく小さく「私」を否定してきます。
振り返れば入籍前、「結婚記念日は食事だけでも行きたい」と祝日を選んだのに1回目から無視、散々夫親族の法事で遠方に毎年通っていたのに私祖父の葬式に子供の病気で行けなかった時も「残念だけど」の言葉もなく「無理でしょ」と言い放ち、私の感情に関心を示さなかった夫。
私を「我慢強いママだね」「君は子供にとっていい先生だね」と肯定してくれていた知人も遠くへ行ってしまい、味方が誰もいない気持ちです。
日々の生活を頑張ろうとする時に彼らの言葉が呪いのように思い出されイライラモヤモヤしてしまいます。
私のこの気持ちをどのように持っていけばいいのでしょうか。
頭で理解していることと感情の折り合いがつかずにいます
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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ご主人との差を埋める方法
こんにちは、初めまして。
家事に育児に奮闘中ですね、お忙しいことでしょう。
また、義母さんからは誤解され、ご主人からは「小さく小さく」「否定」される、そのストレスをため込んでいらっしゃるご様子です。恐らくご主人にもその点を伝えておられるのでしょうが、なかなか伝わらない理解されないという状況だとお見受けします。
ご自身で「夫や義母から下げてみられており、承認欲求が自分を苦しめていると思う」と書いておられます。もうお気づきだと思いますので、この点はこれ以上書きません。ただ、承認欲求を小さくするのと同時に、話し合っても理解しようとしない人がいる、という現実も飲み込んでおく必要があると思います。特に、お義母さんとの付き合い上で、誤解されてる、違うと思っても、表に出さず「あー、また言ってるなー」程度で右から左へ聞き流すのも生きる知恵として必要でしょう。動かない巨石を動かそうと踏ん張るのではなく、初めから触らない程度での対処も必要かと。
一方、ご主人との間は365日一生を共にしていくのですから、お義母さんのように当たらず触らずでは済まないでしょう。ご主人の物言いは、もしかするとお義母さんに似ているのかもしれません。或いは、ご主人は仕事ライクなドライさ、分析、現状認識を優先して表現し、あなたのウェットな感情表現、心の機微とは少なからずすれ違っているのでしょう。あなたは、お爺さんの葬儀に出れなかった「残念」という感情を表現しているのに、ご主人は病気の子供がいたのでは出席不可能である現状認識を「無理でしょ」と表現したのもその一例でしょう。また、夫親族の方は優先し、自分の親族を大事にしてくれない情けなさも加わっていると思います。
私はこのようなお二人の差は、一般にしばしばあることだと思います。あなたの仰っていることは至極当然の感情であり、尊重されてしかるべきです。しかし、ご主人と差がある限り、少しづつ自分との差をこれからも伝えていく必要はあるでしょう。
ダイヤモンドはあれだけ固い石なのに、あるポイントをコンと叩くと不思議と割れるそうです。恐らく力づくで引っ張ったりたたいたりしても。表面が傷つくだけでしょう。力押しせずに、要点をさらっと伝える。伝わっていようがいまいが、気持ちを切り替える。そうしていくうちに、美しいカットのダイヤが表れてくるのでは、と思います。
ご参考になれば
質問者からのお礼
3年近く経ってしまいましたこと、大変申し訳なく思っております。
以前に私の悩みにお答えくださり有難うございました。
心の整理が思うようにつかず、また今という時に翻弄され続けこれだけの時間が経ってしまいました。
しかし頂いたコメントは何度も何度も読みなおしており、これだけ時間が経ってようやく心から飲み込めるようになりました。
この様な相談に真摯に向き合ってくださったこと、心からの感謝申し上げます。