夫と今後どうしていか分からない
私の夫は脳出血の後遺症で身体が動かせない喋れない胃ろうを使わないと栄養が摂れない状態です。
倒れてから今年で四年目になります。
先日実家の父と話した時に
「認知症の祖母が今後延命の為に胃ろうを進められても断る」
と言われ
「夫と祖母になんの違いがあるのか?」
と質問した所
「お前を認知しているからいいじゃないか」
と言われました。私はこの答えに納得がいきませんし、私の夫はこのまま死ぬまでベッドから動けず自宅にも帰れない人生かと思うと、どうしていいのかわかりません。
私自身も精神疾患を持っておりひとりで暮らす事に苦痛を感じますが生活保護を受けているため実家に帰ることも出来ません。これからの人生どう過ごしていいのかわかりません。アドバイスがいただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
枠にはまらず、あなたらしく人生を歩んでください。
初めまして、お早う御座います。
人生とはマニュアルがありません。生まれた時、スタートラインと・・辿り着く場所、ゴールの二つが全ての生きとしいきる全てが一緒で、その間の人生という長い冒険旅行は、自分で自由に描き主人公を演じ歩むのです。それは、誰もが変われないのです。
人は、何かのきっかけがなければ・・目の前に仕合せがあることや、有難さ、当たり前ということはない・・というを忘れてしまいます。
過去を思って、引きずって生きるのではなく・・訪れていない未来を思うから、それが不安になる。二度と今日という日はなく、この瞬間を大切に過ごすことを亡き妻や、東日本大震災で付き合い始めたばかりの彼女を失って気づきを与えられました。
脳腫瘍で手術が出来ない脳幹部に腫瘍が出来た妻は、亡くなるのを待つだけしか選択がありませんでした。早く気が付かなかった自分をとことんまで、追い込み悔やんで過ごしていました。ある時、思考が変わりました。残された時間を有効に自分らしく接して行こうと。人生は長さではありません。どれだけ自分らしく過ごせたか?だと思います。命あるもの、形あるものはいつかは無くなります。別れがあるから、新たな出会いがあります。
妻や、父を見取る時・・不思議と、もうこんなに苦しんだんだから・・もう大丈夫だからゆっくり休んで・・と思いました。余命を聞き、いない空間を生きて行けるのか・・不安にもなりましたがその時が来て、お互いがしがらみや苦しみから解放し・・新たなストーリーを歩みだすことが大切だと思ったのだと思います。
頭では理解をしていても・・解せないことだと思います。誰もが、誰かを必要として、自分も、誰かを必要として今を生きています。今は、延命治療等がございますが、ご本人はそれを望んではいるのでしょうか・・・とてもお辛いことですが、時には大切な方のお考えを尊重してあげることも必要かと思います。
与えられた人生です。あなたらしく人生も運命も自分自身もいくらでも変えられリセットが出来ます。周りに心を奪われたり捕らわれたりせず、この瞬間をあなたらしく過ごして見ませんか?思考を変えればきっと・・目の前にあるものや考えが変わって来ます。辛い出来事も時が動き変わるように留まらないのですから・・。
あなたらしく、人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。
合掌