家族を大切にするとはどういうことか
家族のことは「嫌いではない」と思っています。でも、「好きというわけでもない」とも思います。
趣味の話や仕事の話、日常にあるような会話は楽しい時もあります。時々空回ってるとはいえ、私が好きなんだろうなと思ったものを買ってくることもよくあります。
一方で、私が苦手な話題を、私がそれは苦手と言っても気にせず振ってくることもよくあります。私の障害を説明しても楽観的に流されたり、嫌なことがあって相談しても問題視されず流されたことがありました。いつの日か、趣味仕事の浅い部分以外、特に私の心の内は、話そうと考えるだけで涙が出てきてしまうほどになっていました。
私は自分の心を実感するのがとても苦手で、悩みも上手く伝えられてなかったのかもしれません。けれど、もうそれを伝える勇気も、勇気を振り絞る気力も無くなってしまいました。
今は自分が楽でいられるよう、実家から離れることを決めました。家族に何も話さず、離れる時だけ一言二言残して、後はお世話になってる役所の人に説明してもうような形になっても、です。
けれど、ふと心の端にもやもやも残っています。
もう気力もなくどうしようもないと思っても、これでいいの? とも思ってしまいます。
何も言わず家を出ていけば、少なからず家族に傷を残すかもしれません。連絡は完全に閉ざすつもりはありませんが、少なくとも10年くらいは話せないと思います。
家族を大切(?)にしたくないわけではない。けれど、もう心がどうしようもない、とも思っていて。
決めたことを変えるつもりは、今のところありません。ただ、家族を大切にするっていうのは、どういうことを言うのだろうと思ってしまうのです。
いつか、何か出来ることがあるのでしょうか。
片耳難聴、軽度(グレーゾーン)の発達障害。 モヤモヤを人に話してもスッキリしないどころか、余計なことまで思い出して自分で鬱々としてしまうタイプです。今はゲームとSNSが心の支えです。
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一度距離を置いてみてはいかがでしょう
拝読させて頂きました。
家族との関係やコミュニケーションについてはそれぞれ皆違っていると思います。親密な方々もいるでしょうし、ドライな関係の方々もいますからね。往々にして家族関係はお互いに甘えもありますし、これぐらいわかってくれて当たり前だという思い込みもあります。ですから家族が思うように対応してもらえないと感情的になって衝突してしまうことも間々ありますからね。また家族との依存関係は年齢によっても違ってくると思います。
成人になって心身ともに自立していくならば家族との関係もどんどん距離を置いていくことにもなるでしょう。
進学に伴い親元離れて生活した場合には親と会って話すのも年に一度あるかないかになったりもします。
生活面でも一度距離を置いてみることもありかと思います。距離を置いてみて初めて親の存在や家族の存在や身近な方々とのご縁について考えさせられたりしますからね。近くにいるとその存在の有難みはかえってわからなかったりするものです。
ち
なみに私は18才で地元を離れて40才まで戻りませんでしたので、親や家族や親族と会うのは年に1度か2度しかありませんでした。会わない期間が2~3年あった時もありましたね。とはいえ家族はいろんな巡り合わせで会う機会は巡ってくるものです。それでもいいと思います。
あなた自身はこれからも家族以外の方々とのご縁もできてくるでしょうし、他の方々との付き合いを通して沢山のことを学ぶでしょうし、人々の様々な生活感や価値観の違い習慣や金銭感覚の違いも実感していくでしょう。
そしてあなたの思いをいろんな方々に話してみてぶつけてみて下さいね。家族以外の方から聞くことの方がしっかりと聞くことができることも沢山あるのです。ここでこのように話してみるのもいいですよね。
改めていろんな方々とのコミュニケーションを通しながらまた時間がたってから家族との関係を見直してみて下さい。
あなたにとって家族の方々が大切な存在であること、家族の方々にとってあなたは大切な存在であることに変わりはなしのですからね。