子供の死から立ち直ることができません。
私にはずっとお付き合いしている方がいました。しかし、その方との結婚を親には許してもらえず、親の決めた縁談で好きでもない方と結婚をしました。
結婚してからも彼との関係を断ち切ることは出来ませんでした。夫との間には子供が出来ず、彼の子供を授かりました。
しかし、その我が子を生後1ヶ月で亡くしました。死因は不明でしたが、私のせいで死んでしまったのではないかと思っています。
私がこれまでしてきたことの報いでしょうか。我が子の死の直後は自分も後追いすることばかり考えておりました。今でもふとあの子の元へ行きたいと思ってしまいます。何を思っても我が子が戻ってくる訳でもないですし、どうすればあの子に許してもらえるのかなどと考える自分にも呆れております。
命を亡くした子供に許してもらおうとか、苦しみから逃れたいと思う自分は最低だと思います。それにも関わらず、次の子が欲しいとさえ思っています。死ぬなら私が死ねば良かったのにと思います。こんな私は生きる価値がないと思うのです。でも、彼との関係も断ち切れませんし、離婚もできないまま生活しています。
周りには頑張って子育てしていたよとかあなたのせいではないなど優しい言葉をかけてくれる人ばかりなのですが、私はそんな言葉をかけてもらう資格はないのです。
しかし、子供を愛していたことは決して嘘ではありません。今までろくでもない生き方をしてきた私ですが、この子のためなら何でも出来ると思いました。私はこれからどのように生きていけばいいのでしょうか?あの子は成仏出来るのでしょうか?
あの子に戻ってきて欲しい、そのような気持ちでまた、子供を欲しいと思ってもいいのでしょうか?仮に次に産まれてくる子供があの子の代わりではないこともわかっています。あの子を重ねてはいけないとも思います。でも、子供がいる幸せを知ってしまった今、私の生きる意味はそこにしか見い出せません。こんな勝手な人間の相談ではありますが、どうかどうかお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の心と自分自身を見失わないでください。
はじめまして、今日は。
私は、まだ重い障害がある長男が4歳、健常児の次男がまだ2歳になったばかりの時に妻を病気により看取りました。その後にご縁があった方とお付き合いをしたばかりで東日本大震災により亡くしました。様々な出来事に負けてしまい自ら命を絶ち、蘇生された経験があります。
純粋に子供が大好きです。そして、私は大切な命の時間を経験させて頂くことが出来ました。
命ほど尊いものは御座いません。無駄な命など一切ないのです。この身体には多くの繋がりがあります。何百年と続くご先祖様や、父母の願いや思いが込められ・・誰かがあなたを必要とし、そしてあなたが誰かを必要とし、過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間を生きているのです。
命とは亡くなってしまったら終わりではありません。経験をし、亡くなった人の魂は生前、愛した人の身体に入って共に命の時間を過ごします。我慢せずに泣いて、共に想い出に寄り添って・・涙が止まり、もう大丈夫。そうお互いが思った時にそれぞれの新たなストーリーを描き歩み出す時間が、私は四十九日ではないのかと思いました。
水子さまも、あなたや誰も恨んではいません。もう、悲しまないで・・笑顔になって仕合せになって。ママが前を向いて笑顔で過ごすことを望んでいるよ、もう苦しくも辛くないからね・・
そう言っていると思います。ご供養とは、お金をかけて立派にするのではありません。純粋な思う心です。例え、お仏壇がなくても・・祈った瞬間、彼岸から私たちのいる此岸にスッと着て、その祈る姿に微笑んで応えてくれるのです。
そして、私たちが下を向いて悲しみながら日々を過ごす事を望んでいません。笑顔で日々を過ごす事こそ、ご供養につながります。心と身体を無理せずに修復をして、次のチャンスに備えてください。結果を急いで求めるのではなく、コツコツと丁寧に。心をとらわれたり奪われずに、あなたにはあなたの良さがあります。善きことを願っていれば・・自ずと好転をします。きっと、あなたも水子さまも新たな
仕合せな人生という冒険旅行を仕合せに歩めます。心をとらわれずに、あなたらあしく人生という冒険旅行を仕合せに歩めますように。心からお祈り致しております。
水子様に心から・・南無大師遍照金剛
合掌 礼拝
質問者からのお礼
お忙しい中、また多くのご相談が寄せられている中、私の相談に答えていただきありがとうございます。
「あなたや誰も恨んではいません。もう、悲しまないで・・笑顔になって仕合せになって。ママが前を向いて笑顔で過ごすことを望んでいるよ、もう苦しくも辛くないからね・・」の言葉に救われました。我が子は産まれてからたった2ヶ月という短い生涯ではありましたが、私はあの子を授かってからとても幸せでした。それなのに、死後に解剖され、死んでからも痛い思いをさせてしまいました。母として何もしてあげられず解剖後、痛かったよね、怖かったよねと抱きしめてあげることしか出来ませんでした。それでも、その「もう苦しくも辛くもないからね」と言っていると思うと永寛様に仰っていただけて私は救われました。
少しずつではありますが現実を受け入れられるよう前を向き、あの子が来世では長く幸せに生きられるよう祈りたいと思います。ありがとうございました。