遺体の隣で夜を明かすことについて
先日母が他界し、簡単な葬儀を行いました。
葬儀を行う直前まで家に遺体を安置していたのですが、そこで問題が起きました。遺体の隣で寝ることについてです。
姉や叔母、祖母などは母の隣で寝たいと言ったのですが、私は遺体の隣で寝たいと全く考えていませんでした。そのため自分は違うところで寝るから皆で寝てあげてと言ったところ、叔母が激怒。母もきっと子供にそばにいてほしいはずだ、自分の娘も同じ立場ならきっとしてくれると、私をどうしても母親の隣で寝かせたがりました。結果私が折れて姉と二人寝ることになったのですが、未だにもやもやした気持ちでいます。
実のところ母は私の幼少期に情緒不安定から来る虐待をしていたところがありました。その時の記憶がはっきり残っていて、私の母への思いには感謝や愛の念もあるのですが、未だに母へは恐怖心が強く残っていました。そのためもあるのか、悲しい気持ちはあるのですが、姉や叔母たちよりも気持ちに区切りをつけることが早くにできていたように感じます。
叔母たちに言われた隣で寝るのが当たり前という言葉は、私の気持ちを無視した言葉のようにも思われ憤りを感じてしまうのですが、このように思うことは正しいのでしょうか。
また、遺体の隣で寝るということは一般的に見てどのような扱いなのでしょうか。
姉も寝るときは電気をつけたほうが母のためになるなど、本当にそれでいいのだろうかという行動をとっていたように思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分の感覚を大切に
こんにちは、初めまして。
お母様を亡くされたのですね、お悔やみ申し上げます。
周囲の肉親、親族とご自分の差異についてお悩みですね。周囲対一になると心細くなられることでしょう。
ご相談の内容は、二つの意味があると思いました。
1・ご遺体と共に寝ることへの抵抗感
2・そもそも母親との間にある複雑な思い
1に関しては、温度差が人によって違って当然だと思います。お姉さん、叔母さん或いは電気をつける付けない、そのぞれの思いややり方はあるのでしょう。ただ、生者と死者という厳然とした壁を感じる人にとっては、添い寝するという事に一種言い知れない不自然さを感じることもおかしくは無いです。こういった違いを尊重されず、強要されたことはあなたにとって不本意だったでしょう。
「母もきっと子供にそばにいてほしいはずだ」と言われたという事ですが、恐らく添い寝というのが親孝行の印のような意味で発せられた言葉だと思います。つまり、添い寝をしないことが親不孝のように言われたことも、あなたにとって不本意だったでしょう。
以上、1に関してはあなたにとって望まない扱いをされたのだと思いますが、あなたはあなたの感覚のままで宜しい、と思います。無理する必要はありません。
2に関しては、「母は私の幼少期に情緒不安定から来る虐待をしていたところがありました」とあるところから、あなたにはそもそも複雑な感情があったのでしょう。その「虐待」の程度は分かりませんが、あなたのこころに残ってしまうほどのものだったのでしょう。残念な思い出になってしまったことは事実でしょう。ただ、この先の人生でお母さんの弱さが分かることもあるかもしれません。或いは同じ母親になった時に、二度と繰り返さないという反面教師の意味で、自分の目指す母親像を考えるきっかけになるかもしれません。いずれにせよ、お母さんを悼みながら、じっくりと時間をかけてお母さんの思い出を大切にしてあげてください。
以上二点について、私の思うところを書きました。
周囲との差異を胸に納めつつ、自分なりの感覚、考え方も大切にしていって下さい。
ご参考になれば幸いです。
質問者からのお礼
丁寧な回答をありがとうございました。
自分の正直な気持ちに後ろ盾ができたように感じ、大変嬉しく思っています。