葬儀に出ないのは親不孝ですか?回答受付中
お世話になります。
元々両親や姉妹と折り合いがつかず、結婚を機に20年前に遠方へ逃げるように嫁ぎました。
伴侶は慈悲深い人で命を救ってもらったと言っても過言ではないくらい今は幸せにしてもらっています。
そのお陰で今となっては厳しかった母や、酒乱だった父にも訳があったのだろうと恨みも薄れてきて、それなりに良好な関係を続けて来ましたが高齢である事や病気などもありいつ天寿を全うするかわからない状況になってきました。
しかし姉妹と今年に入ってから些細な事から諍いがあり、私や愛する私の家族の心を深く傷つけられそれまでの我慢も堪えきれなくなりもう会わない方が良いと思っています。
そこでご相談ですが、親が亡くなった時に葬儀には行かず遠方から供養する事は親不孝なのでしょうか?
また、供養の仕方もご教示頂けましたら幸いです。
お坊さんからの回答 2件
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それとこれとは別
人間一人が死亡したときには、単なる儀式だけではなく様々な手続きや後処理、家族で判断しなくてはならないことが発生します。
葬儀を欠席すると、面倒な作業を姉妹やその他の親戚に押し付けることになる可能性があるので、大人(社会人)として褒められた行為ではないと思います。
家族間の不仲はプライベートな感情であり、それを理由に第三者に負担を押し付けるのは良くないと思います。
これ(人間関係)とそれ(様々な手続き)とは別だと、割り切って考えられるなら、プライベートでも仕事でも怒り悲しみのストレスを引きずらない生き方になれます。
悩み苦しみストレスを長引かせない性格になるための修行(訓練)だと思って、感情は感情、手続きは手続きだと割り切って、覚悟を決めて葬儀に出席なさってはどうでしょうか。
なお、たとえば南無阿弥陀仏と念仏を唱えて冥福を願うことは、いつでもどこでも可能です。
また、あなたが日常生活で善い行いをしたときに、その功徳(良いことをして悟りやすい性格になること、心に貯まる善の癖)を亡くなった人にもお裾分け(シェア)することを回向(えこう)と呼びますが、日常生活で良いことをして功徳を亡き人の来世の幸せのために回向するよう、日頃から意識すればそれも供養になると思います。
欲・怒り・怠け・プライドの煩悩はだれにでもあり、それら煩悩が悩み苦しみの種になります。
自分の煩悩には素早く気付く智慧と、他人の煩悩は大目に見てあげる慈悲を大切にし、その智慧と慈悲によって発生する功徳(悟りやすさ、成仏しやすさ)を故人や生きとし生けるものに回向するように願いましょう。
それはどこでもできる供養になります。
状況によって判断するしかないが、欠席も選択肢
親兄弟が仲良く過ごせれば、それに越したことは有りません。しかし、現実には虐待やイジメや争いが存在する場合も少なくありません。
親の葬儀なんだから、当然子供は全員揃っていると思っても、実際には誰か欠けているという場合も現実にはあります。何等かの事情があるとは思いますが、事情を聞ける場合もあれば、聞きにくい場合もあります。日頃疎遠であったり仲違いしてても、親の葬式となれば連絡してきて、「遺族として参列して欲しい。」と言って来る可能性もあるかもしれません。その場合は、参列した方が良いと思います。
しかし、「連絡も無い。」という場合であったり、連絡が来たけど「来るな。」と言われたという場合もあると思います。そうなると、無理して参列しても再び諍いが生じたり不快な思いをしたりする可能性があります。其の場合は、欠席も選択肢の一つだと思います。無理して参列しなくても良いと思います。
葬儀の参列と言っても、遺族として喪主に協力して弔問客へ対応したりする場合もあれば、ただお焼香の場合もあります。姉妹との諍いの可能性が想定されるのなら、欠席も止むを得ないかもしれません。遺族席に座ることにこだわりが無ければ、一般席に座り焼香だけして帰ってくるという方法もあります。
葬儀に出れなくても、時期を見てお墓参りはしましょう。
質問者からのお礼
丁寧なご回答ありがとうございました。
職業柄人の生死を間近で見てきた事や身近な方や先祖の供養、両親が平静に過ごせるよう何か自分に出来ないかと自分の人生を振り返りながら、また、これからの人生をどう生きるかなど考えながら昨年無事に八十八ヶ所巡礼を達成することが出来ました。
にも関わらず姉妹に対する積年の感情は未だ払拭出来ず、これは大変な修行だと感じましたがご指導頂いた煩悩の気づきと慈悲の心を持つ事それに気づく良いモデルケースだったのかも知れません。
諸手続きについては姉妹の世話になるのは自分のプライドが許さないので自分でやろうと思っていましたが理由が意固地な自我の尊重これもまた煩悩なのでしょうね。
かと言って今までの事を帳消しにして力を合わせて…という気持ちには今のところはなれないまだまだ未熟な自分に改めて気付くことが出来ました。
いつか和解できるように、起きた事象に対して冷静かつ客観的に俯瞰して見る寛容さ、そしてそれにはどのような意味があるのか深く考えられるような経験と知識、そして功徳を積んで惜しみなく回向していきたいと思いました。
吉田俊秀様
現実に則したご回答ありがとうございました。
血縁があろうと相容れない関係というのはそう珍しくないだろうと思っておりましたが、葬儀にも参加しないのは人としてどうなのかと不安になりご相談させて頂いた次第です。
その一方、様々な負の感情を抑えて世間体を考えてただ漠然と供養の気持ちよりもイライラとその場にいるだけならば、遠くからでも冥福を祈った方が良いのではないかと思いました。
吉田様の貴重な現場でのお話し大変心が軽くなりました。心から感謝申し上げます。