家族葬にする予定ではいるのですが回答受付中
先月5月24日に享年105歳で
祖母が逝去しましてしまいまさか
父親が腰を痛め入院中にまさか祖母が息を引き取ってしまう事になり
母と孫である私とで緊急搬送先の病院で看取る
事になり先に火葬も済ませて
葬儀が父親が退院したらとなりましたが
日取りも曖昧になり49日を目処に
葬儀が出来たらとは考えてはいますが不安です
このまま祖母が無事に成仏できないのではないかと不安です
アドバイスをよろしくお願いします
お坊さんからの回答 2件
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回向(成仏を願う)
本来は生前に出家して授戒を受ける(仏門に入って仏教徒ネームをもらう)ことがベストなのですが、それが叶わずに亡くなった人についても、せめてもの弔いにと、お通夜や葬儀を通じて出家の儀式を行い、正式な仏教徒となってもらってから旅立ってもらうのが慣習となっています。
この世では悟れず亡くなった人が、来世以降に悟れる(真理に目覚めた者=仏様となる、成仏できる)ようにと願うことが、仏教的な弔いとなります。
葬儀や法事では、生きている私達が仏教的な善い行いをして、善行為によって生じた功徳(心に貯まる善い癖、悟りやすさ)を、亡き人のために回向(えこう)する、つまり功徳をシェアするように願いを込めることがメインテーマです。
ですから、仮に49日を過ぎて祖母がすでに別の生き物に転生されていたとしても、その新しい生命の幸せや悟りを願って、私達が仏教的な善行為をすることが、回向になります。
数か月後に街ですれ違うベビーカーが祖母の生まれ変わりかもしれないので、故人の幸せを願うことは、結局は生きとし生けるものの幸せを願うことになります。
供養とは「おもてなし」であり、亡き人を迎えておもてなしすることだけではなく、僧侶や親戚、さらには関係のない迷える霊(餓鬼)達まで招いて供養する(食事を振る舞う等)ことも善行為なのです。
供養は、布施(見返りを求めず他者にサービスすること)の一種ですが、金品の寄付やおもてなしだけでなく、電車で席を譲ったりすることも布施になります。
布施、供養、お経や念仏を唱える、仏様を拝む、瞑想する等も功徳につながり、その功徳を亡き人のために回向することは、命日から何か月、何年経過していても素晴らしい行いです。
なので、49日以降であっても供養や回向、それにまつわる儀式を行うことは大歓迎です。
浄土宗の場合は、南無阿弥陀仏と念仏を唱えることに大きな功徳があると信じますので、南無阿弥陀仏と念仏して亡き人のために回向(成仏を願う)します。
成仏すると煩悩(悩み苦しみの原因)から解放されるので、究極の平安に到達します。
成仏すると輪廻転生から卒業できると考えられています。
ご縁ある方々が心込めてご供養なさって下さいね
拝読させて頂きました。
お祖母様がお亡くなりになりあなたや皆さんさぞお悲しみのことと思います。詳細なことはわからないですけれどもあなたや皆さんのお気持ち心よりお察しします。
お祖母様が心から安らかになります様に心を込めてお祈りさせて頂きます。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ
あなたも皆さんもお祖母様が心から安らかになります様に心を込めてお祈りなさって下さいね。至心合掌
お祖母様は必ず仏様や神様が導いて下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様がお祖母様をあたたくお迎えなさって下さいます。お祖母様は先いかれた皆さんと再会を果たされ心からお喜びなさりご安心なさるでしょう。お祖母様は一切の迷いや苦しみから救われて心清らかに円満にご成仏なさっていかれます。そしてこれからもあなたや皆さんのことを穏やかにお見守りなさっていて下さいます。
お祖母様とあなたや皆さんとのご縁はこれからもずっと続いていくのです。
お葬儀についてはご縁ある方々で可能な範囲でご都合をつけてお勤めなさるのでいいのではないかと思います。
先日ウチのお寺のお檀家さんのお母様のお葬儀を七七日(49日)忌法要でお勤めさせて頂きました。その際ご親族の方々やご縁あるご友人の方々にもお集まりなさって頂いてお勤めさせて頂きました。(人数は20名程度でした)
菩提寺のご住職様にご相談なさってそのご指示の通りお勤めなさってみてください。そして心を込めてお祖母様をご供養なさって下さいね。
お父様がご回復なさり、ご縁ある皆さんが心を込めてお祖母様をご供養なさって下さいます様に、皆さんがこれからもお祖母様にお見守りになられ健やかに生きることできます様に切に仏様や神様やご先祖様そしてお祖母様に祈っております。至心合掌
質問者からのお礼
回答有難う御座いました
今回は本当に急にという形だったので
気持ちも落ち着かない感じですが
ホットしました
祖母はを見とる時にはもう体はしんどくないね
と声もかけることが出来た事を思い出しました
有難う御座いました